以下、少ない事績から断片をたどって綴ってゆく。

まず乗り継ぎで滞在していた香港で岸島は、アメリカ人の新聞記者からの取材を受けており、そのメモはのちに焼失したとされる。

記者はネリー・ブライという女性であった。

当時、ピュリッツァーの部下として世界一周競争の渦中にあって、日本に渡ろうとしていたブライは、日本に関する情報を収集すべく、現地に滞在していた日本人で取材を受けてくれそうな人物に、片っ端から声をかけていたのである。

そのうちの一人が岸島で、彼女は岸島が武士であったことに関心を示し、

「まだ日本にサムライはいるのか」

など、廃刀令から久しい状態で日本に武士がいるかどうかを訊ねたとされる。

詳しいやりとりは不明だが、ブライは日本にそのあと五日間も滞在し、鎌倉や横浜などを取材して周った。