そろばんを教えながら、居留地の教会へ通うようになり、

「かつてローマへ渡った侍がある」

という話を宣教師から聞くことができた。

支倉常長のことである。

慶長年間というから、まだ豊臣家が滅亡する前の時期にあたる。

伊達政宗の命により、太平洋を横断しメキシコから大西洋を経てスペイン、さらにはローマまで渡った使節の話は、当時は日本に来た宣教師の間の暇話ぐらいにしか知られていなかった。

岸島は、それを聞いた。

「やはりこの国は、狭いのやも分からぬ」

岸島が感じたのは、新撰組というだけで仕事にありつくのも苦労をさせられる、明治のこの国の現実というものであった。