そこからしばらく、なぜか京の町は長雨がしとしとと続いたのもあって、岸島はすることがないときに聖書を読みふけった。

学問にさまでアレルギーがなかったのであろう、大垣屋に出入りする外国人にもさまざま聞いて回った。

様子を見ていた大垣屋の手代や番頭などは、

「岸島さまは変わっておられますなぁ」

などと口々に噂したが、

「お武家さまはお武家さまで、何かわれわれあきんどには分からぬ思いがあるのでしょうな」

とのみ大垣屋は言い、特にとがめることもなかった。