いわばそこまでやらないと官軍に睨まれると鼻つまみになっていた旧幕府側にあった山本覚馬が、府庁で顧問になっているというのは、まずこの時代の常識からは考えられない衝撃であった。

「まぁ山本先生は、こないだの蛤御門のさわぎのとき、大垣屋さんと炊き出しで助けてくれましたよって」

禁門の変で長州軍が放火し、京の町が七割ほど焼かれたあと炊き出しを提案したのが山本覚馬、それに賛同して米を支度したのが大垣屋清八であることを、町衆たちは知っていたのである。

「京が焼け野になったんは、応仁の乱以来や」

と言い、口では長州の面子を潰さぬように言いながら、肚の底では「あんたらが焼いたやないか」といった風で、

「確かにミブロは怖かったけど、帝まで連れ去った長州のほうがよっぽど魔物や」

などと言う噂まであった。