数日後。

手塚の客間では、

「川崎の遺品を遺族に渡さなくてはならないが、どこにいるか分からぬ」

という役人からの相談で、

「岸島、お前なら何か分かるか」

「…確か生国が但馬出石というのは聞いております」

前に芦名鼎が酒の席で語っていたのを思い出したのである。

「あと、離縁した妻が京におります」

八重のことである。

これは八重の母親の佐久から聞いていた。

「ではその離縁した妻とやらに遺品を渡してもらえまいか」

役人は行李を岸島の前に出した。

「承知つかまつった」

役人が帰ったあと、岸島は行李を開けた。

「…確か日記は山川さんに渡さねばならなかったな」

行李の底から出てきた日記は、懐にしまった。