が。 岸島は違う。 「敵に情などかけてみよ、騙し討たれて首がなくなるのが関の山ではないか」 それが武略であり、おそらくこの時代の日本中の武士の大半の認識は、そうであったかも分からない。 だが。 仮にも岸島が新撰組であったことが知事の槙村に知れたならば、間違いなく学校は開設できず、山本も顧問を外されてしまう。 それは岸島にも分かったらしい。