この話を佐久にすると、

「まぁ八重はいつもああした調子なもので」

とこぼした。

「仕方がないかも知らぬが」

そう言うと、会津の戦いで新式銃を手に新政府軍と戦った話を岸島に聞かせた。

「はぁ」

としか岸島には言いようがない。

「岸島さまは戦は?」

「それがしは鳥羽伏見のあと、江戸で手塚先生のもとにおりましたので」

「手塚先生…あぁ、尚之助さまから名前は聞いたことがある」

尚之助とは手塚と旧知であった川崎尚之助のことで、八重とは離縁したばかりであった。

「何か遭ったらしくて、八重に迷惑をかけまいと離縁したらしいけども、八重はあれで一途なところがあるから」

あれではどこにも縁付かせられまい、と佐久は諦めている様子であった。