【桜井実華】
「うん。私は医者になるよ」

望は「ふぅん」とだけ言って食事に戻った。

私はお箸でハンバーグを小さく切って口に運んだ。美味しい。けどなぜか、心がざわつく。

「ごちそうさま」
「うん、お風呂入ってね」
「わかった」

バッグを持って立ち上がると、望も同時に立ち上がった。私が部屋に向かうと後ろでドタドタと足音がする。

望かな。

「ねぇ実華、どういうこと?」

やっぱり。聞かれると思った。

「どうして?音楽捨てるつもり?」

早歩きで部屋に入っていく。椅子にバッグを置いて周りを見渡す。

壁にはたくさんの賞状、棚の上にはコンクールの時の写真、そしてピアノとヴァイオリンが置かれている。

私は音楽が好きだ。捨てたりなんか……

「捨てたりなんかしない。けどね、私は医者にならなきゃダメなの。ね」

私は望に微笑みかけた。けど望は納得いかない顔をしていた。

「どうして?プロだって認めるほどの実力持ってたんでしょ?そのままプロ目指した方が絶対いいよ?」

確かにそうだ。

昔、ピアノの先生の友達のプロの方に褒められたことがある。「あなたはプロになるべきよ」って。

それからピアニストを目指すようになって、毎日ピアノを弾き続けた。ピアノの音が大好きで、大好きでたまらなかった。

だけど次第に現実を理解していった。お父さんの病院を受け継がなきゃいけないってことを。

お父さんは私を悲しませたくなかったようで、私の夢を応援してくれていた。だけど、私はお父さんの本音を聞いてしまったんだ。

「実華か望には継いでほしいんだ」
「実華はピアニストになるって言うし……」

私はそれから医者になろうと思うようになった。いつも優しくしてくれるお父さんに恩返ししなきゃいけないもの。

「お父さんのためだよ。許して」
「最悪最低な人だね」

望は怒って部屋を出ていった。

私だって……


ピアノの前に来るとつい弾きたくなってしまう。椅子に座ってしまえば終わりだ。指を鍵盤に添えると、勝手に手が動いてしまう。


私はピアノが好きなんだ……嫌いになんてなれないんだ……


「実華!?」

望の声であっと我に返った。望は私を大きな目で見つめて棒立ち状態になっていた。

「ピアノ……弾いちゃってた……」

あははと軽く苦笑いしてから、怖くて部屋を飛び出した。

目からは大粒の涙が零れ落ちた。
もう止められないくらいに。

わからない……わからないよ……

私が幸せになればみんな不幸になる。
私が不幸になればみんな幸せになる。

いったい私はどうすればいいの?