【桜井実華】
寒さが少しマシになって、でも暖かいわけでもない二月。

色んなことがあった一月、たくさんの人から大事なことを教えてもらったな。感謝しなきゃいけないね。

ぼーっと空を見上げていると、重い扉が開いたのが見えた。

「あ、赤坂」

もちろんその人は赤坂で、今日もお弁当を求めてやってくる。

「何ぼーっとしてんだよ。魂抜かれるぞ」

コツンと頭を叩かれて、仕返ししようとした頃には、もう隣に座っていた。

そんな幼稚な遊びに呆れながらも、バッグからお弁当箱を取り出す。

「今日のはきっとびっくりするよ」

今日のは、いつもよりも早く起きて、お母さんと一緒に作った自信作。

ちゃんと気持ちも込めてつくったんだから。

「わー!恵方巻きだ!」
「すごいでしょ。ちゃんとルール守って食べてね」

今年の恵方は北北西。二人揃って北北西を向いて無言でかぶりついた。

綺麗な空が私達を包んでいるように見える。

赤坂はその空に向かって、何か話しかけているかのように笑っていた。もしかして、翔くんに話しているのかな。きっとそうなんだよね。

翔くんのことがあってから、特に変わりが見られなかった赤坂。

いつも通り楽しそうに登校して、一緒にお弁当を食べて、いつものように話しかけてきて。

なんだか不自然だったから、思わず聞いてしまったんだ。今思えば、本当に迷惑なことをしたなとわかる。

『翔は、悲しむ兄貴の姿なんてきっと見たくないよ』

とか言っていた。

その時私は、実際赤坂が一番翔くんのこと、わかってるんじゃないかって思った。

でも赤坂が今何を思って、何を願っているかは私にはわからない。

私も何を願っていいのかよくわからない。

この冬は、たくさんの人に出逢って、たくさんの人に励まされた。

だからその人達から教えていただいたことを、自分のことに繋げられたらいいのかな。

じゃあ願うことはただ一つだね。

『皆さんの期待に応えられますように』

それだけを、心の中で強く願った。

「終わったー」
「私もー」

満腹になったお腹を撫でながら、大きくあくびをした。

新鮮な空気がすぐに体内に入り込んで、とても気持ちよかった。

「桜井は、ピアノ弾かないの?」

赤坂は、右手を高くあげて、空にかざしていた。

「弾くよ」

私も真似して、左手を空にかざした。

もうそばに太陽があるみたいで、今すぐにでも掴めそうだった。

「目標達成したらね。そしたらピアノ弾けるの」

その"目標達成"については詳しく聞いてこなかった。

あの時、翔くんのことを一生懸命診ていた女医の先生が、私の中でとても輝いていた。

真剣な眼差しで相手の目を見つめ、ミスが生じないように、丁寧に診ていてくれていた。

そんな姿を見て、私に憧れの心が生まれたんだ。

それから気持ちも変わった。

ただ、お父さんの病院を継ぐためだったけど、今では立派な女医になることが私の夢となっている。

赤坂が右手を下ろすと、私も左手を下ろす。

「翔、元気にしてるみたい」

その声は、全く悲しそうでもなんでもなかった。

「それはよかった」

私がニッコリ微笑んでそう言うと、赤坂は何かを探すかのようにバッグを探り始めた。

そして頬が緩み、優しい表情へと変わった。

「俺、翔と一つ約束守れなかったんだ」

取り出したのはあの美術館のチラシ。

このチラシは私がいらないから、と赤坂に譲ったもの。

「間に合わなかったんだよ。もう少しで行けたのに」

悔しそうでも、悲しそうでもなかった。ただ、呆れたような笑みを浮かべて笑っていた。

「だってアイツが勝手に死んだんだもん。俺はもう少し頑張れって言ったのに」

赤坂は悲しむどころか、大きな声で笑っていた。

それはきっと心の中の本当の気持ちで、作り物なんかじゃないのだろう。

「そっか」

私が言えることはそれだけ。彼の世界観を壊したりなんか、絶対にしたくなかったから。

「で、翔が桜井と行ってきてって。翔からのお願いだよ」

私は素直に嬉しかった。

今まで、こんな誘いを受けたことなんてなかったし、家族以外の誰かと美術館に行ったこともなかった。

それに、翔くんのお願いだもの。断るわけにはいかない。

「もちろん行くよ」
「じゃあ放課後ね!」
「え、ちょっと!」

いきなり放課後と言われても困る。だけど、赤坂は、とっくに屋上から消えていた。