屋上のあいつ

 幽霊はいなかった、という噂は掃除時間にはクラス全体にいきわたり、俺が幽霊を見たのは見間違いだったということが定説となった。しかし逆にこのことが女子の間では怪談話に火をつけたらしく、自分たちの知っている話を次々と話し合ってはさわいでいた。
「片倉君っち、霊感あるん?」
 見間違いってことになったから、引き合いに出されないだろう、そう高をくくっていた俺だったが、早々にその考えは甘かったと思い知らされた。聞き役に回ろう、そう思いぼんやりと女子の早口なおしゃべりを聞いていたら、突然「ねえねえ」と話を振られたのだ。そうだった、俺は一応、今回の騒動のきっかけを作った張本人なのだ。
「いや、俺にはないんやけど……」
 突然のふりに、なんとも歯切れの悪い答え方をしてしまう。
「俺にはっち?」
 もちろん、彼女たちがそこを拾わないわけがない。すぐに期待のこもったいくつもの目が俺に向けられた。あ、なんかこの光景デジャブなんだけど。
「俺のばあちゃん結構見えるらしいんよね」
「えー、すげえ!」
「どんなんみるん?」
「話して話して!」
 皆、このクラスのやつ等は好奇心だけは誰も負けず劣らず旺盛だ。そして俺は、こう頼まれるとついつい調子にのってしまう。
「結構あるんやけど――……あ、じゃああの話しちゃる」
 なんて俺、サービス精神が旺盛なのだろう。
「昔ね、ばあちゃんが入院した時の話ね。なんか看護婦さんとか面会の人がおる時は大丈夫なんらしーんやけどさ、夜とか人がいなくなった時に、病室の隅にたっとるんやて。ぼうっと、んで、じーっとこっちみとるっち」
「こわっ!」
「えーヤダ……」
 一斉に眉をひそめる女子達。その反応を見て、俺は内心ほくそ笑んでいた。実はこの話、流石ばあちゃん、とでも言うべきオチがついているのだ。
「でさ、あーんまり毎晩毎晩たたれるもんやけん、ばあちゃんもうるさくなったんやろうね。ある夜出てきたときに『あんた、言いたいことがあるなら言ってさっさどっか消えり!』っちしかったらしいんよ。したら、スーっち消えて、それ以来でなくなったんやて」
「ばあちゃん強!」
「やろ! もう初めて聞いた時流石うちんばあちゃんやなっち思ったもん」
 先ほどの恐怖はどこへやら、みんなにやにや笑いを口元にうかべていた。幽霊のほうも、まさか死んででてきてまで、見知らぬおばあさんに怒られるとは思ってもみなかったろう。
「でもそこまで動じんっち凄いね」
「ああ、多分ばあちゃんも小さい頃からそうとう見てきとるみたいやけん、『またか』ぐらいの感覚なんやない?」
 実際、うちの家ではばあちゃんのお陰でこういった話題は単なる世間話と同じレベルで語られる。俺にはよくわからないが、彼女にとってすれば幽霊はごく普通、当たり前に身の回りに存在しているものなのだろう。
「じゃあ次、夜に先祖がきたっち話」
 みんなの反応を見ていると、ついついたくさん話したくなってくる。幸いにも、この分野に関してはまったく話題に事欠かない。次から次に、ばあちゃんにまつわる不思議な話をしていたら、いつの間にか終礼の時間になっていた。
 掃除時間のお祭り騒ぎとはうってかわって、教室にはぴりぴりとした緊張感が漂っていた。特に、担任が教室に入ってきた時など、みなちらちらと彼女の手元に模試の結果の用紙があることを確認し、小さく息をのんだ。テスト結果が怖いのはもちろんだが、どちらかと言えばみんな担任の説教が怖いのだ。
「……なんか香月、怖くね?」
 担任の無表情な顔を見て、あちらこちらからひそひそ話が聞こえてくる。ああきっと、全体的に結果、あんまりよくなかったんだな。普段は緩いけど、こんなところではちゃんとメリハリつけるのが、一応進学校らしい。いつもなら皆、担任が「終礼を始めます」と号令をかけるまでは席に戻らないのに、今日は彼女の無言の圧力で、しずしずと席に戻って行った。最後の一人(升田だった。他のクラスの奴らとおいかけっこをして遊んでいたらしい)が着席するのを見届けると、彼女は俺に視線を送る。号令かけろってことか。
「きりーつ」
 のんびりと声を出し、ゆっくりと立ち上がる。高一の時から俺は二年続きで学級委員をやっていた。このまま三年目に突入したら、多分学級委員長(各クラスの学級委員をまとめるトップだ)になるんだろう。と言っても、名前だけ大層なだけで、あまり仕事はない。それで内申点が稼げるから、万々歳なポジションだった。
「きょうつけー、れい」
 おねがいしまーす、の大合唱と共に、いすがギーギーと音を立てる。
「はい、じゃあ模試の結果をかえします」
 担任は無表情のまま、出席番号順に名前を呼び始めた。背後の席から小さく「いきなりかよ」というため息混じりのツッコミがきこえてくる。結果が生徒それぞれの手に渡るにつれ、教室内のざわめきは大きくなっていった。
「片倉君」
「はーい」
 返事をし、結果のプリントを受け取ろうとちらりと担任を見ると、彼女はちらりと俺を見て、かすかに微笑んだ。思わず、「ん?」と目を見開き、プリントを受け取るとそのまま自然に結果に目をおとす。
 おお、すげえ。心の中で思わずそうつぶやいた。
 今回はセンター試験に向けたマーク模試だった。はじめての記述式でない模試だったので(模試には答えを自分で書く記述式と、鉛筆で選択肢を塗りつぶすだけのマーク式がある)、点がとれるかどうか、少し心配だったのだが。
「片倉ぁ、どうやった?」
 結果を見ながら着席すると、そろそろ名前を呼ばれるため近くにいた孝樹がすぐに声をかけてきた。こいついっつも俺の結果見にくるんだよなあ。
「すげえよ」
 どうせ隠してもとられるし、隠す必要もないから、にやりと笑ってプリントを孝樹に手渡した。とたん。
「全国偏差七十四!? お前……頭おかしいんじゃねえの!?」
 ばかでかい声で、人の成績を暴露した。呼応するかのように、クラス全体の「はあ!?」という声。あんまし知られたくないんだけど、どうせ後で担任が上位の奴の成績は言ってしまうから、ここで孝樹がさわいでも同じなのだ。
「でもまあ、こんなもんやろ」
「いやいやいやいや、お前決めるところはびしっと決めるんよなあ……頭おかしいわ、まじ」
 とかなんとか言っちゃって。信じられない、という風な顔をしているが、こいつも他のクラスメイトよりは成績の良い方だ。というか、多分いつも上位五番には入っているのではないだろうかと思う。まあ、言い返すのもまた面倒だから、いつも適当に流している。
「普通普通」
 けらけらと笑っていると、担任の大きな「高野孝樹君!」という声が響いた。はっと気づいた孝樹が、教卓の前へと走っていく。
「あなたの成績は、こっちです」
「……はい」