何もかもが違って見えた一日を終え、放課後俺は朝の挨拶と同じように、新しいことを試みてみた。
「あのさ、勇……ちょっと相談があるんやけど」
 帰り道、いつも通り校門を出て、横で楽しそうに話していた彼の言葉の切れ目に、すっと話をきりだした。とたん、勇は一瞬驚いたように目を見開き、俺の顔を見た。しかしすぐにくしゃりと笑顔をだして、
「なあん?」
と首をかしげる。
 相談ごとの内容も言っていないのに、その笑顔が頼もしくて、頼もしくて。それだけですっと胸が軽くなり、自然と唇が弧を描いた。
「あんね、あんま詳しくは話せんのやけどね」
 俺は、語った。ある友達に出会ったこと。彼が深く深く傷ついているということ。俺がまっすぐに気持ちを伝えようとしても、彼にはなかなか伝わらないということ。彼を救ってあげたいけれど、どうにかしてあげたいのだけれど、俺の力ではどうしようもならないのだと言うこと――……。
 この一カ月と少しの間、温と俺の間に横たわった問題について、出来るだけ細かく細かく、話した。相談なんてはじめての事だったから、上手く話せるかどうか不安だったけれど、案外言葉はすらすらと口からこぼれおちてきた。
「……そうやねえ」
 そして勇にもしっかり、伝わったようだった。
 彼はしばらく押し黙り、うーんと空をあおいだ。丁度、遠くに見えたバス停にバスが止まったが、二人とも何も言わずにそれを静かに見送る。いつもだったら「バス!」と叫び、どちらともなく猛ダッシュでかけていくというのに。
「多分なんやけどさ」
 ぶんぶん車が通り過ぎていく中、勇がはっきりとした声できりだした。いつものように大きい声というわけではないのに、それは騒音の中やけにはっきりと聞き取れて。
「そいつ、友達ほしかったんやない?」
「友達?」
「うん、何でも話せるっちゅうか……自分を受けとめてくれる人? なんか、聞く限りでやけど、そいつ人生否定されっぱなしやん?」
「……確かに」
 友人の裏切り、後輩の死、教師から、クラスメイトに広がった存在否定――……自ら立ち直って、起き上がろうとしても、無残にも踏み倒され続けたのだ。しかも、五年という短い間に。
「やけさあ、あからさまに肯定してくれるんやなくて、フツーの友達ほしかったんやない?」
「あからさまな肯定やない、ねえ」
 ふと智奈さんの顔がよぎる。彼女の態度は、それにあたったのだろうか。
「で、俊ちゃん」
「うん?」
「俊ちゃんはそいつを見捨てる気、ないんやろ?」
「見捨てるっち……んなことするわけないやん」
 何を言いたいのだろう、そう思い勇の方を向いた瞬間、ばっちりと二つの眼が俺の瞳をとらえ、
「ならもう、せないけんこと、わかっとるやん」
と堂々と言い放った。
「へ?」
 あまりの結論の速さに、思わず勇を凝視する。しかし、彼は何でもないという風に定期券を取り出しながら、言葉をつづけた。
「俊ちゃんがそばにいてやれば良いんよ」
 そこに丁度、船着き場行きのバスが停まる。「プー」といって開いた扉にそっと手をついて乗り込み、そのまま空いている後ろの席に座った。
「どういうこと?」
「いくら言葉で『お前ちゃんと好かれとったんやぞ』っち言っても伝わらんし、逆に警戒されちゃったんやろ? なら、まあ当たり前やけどさ、行動で示すしかないやん」
「……確かに」
「やけ、べったりやなくてもいいけさ、何気なーく接してあげればよいんじゃね?」
 どこのどいつか知らんけど、俊ちゃん、そういう関係得意やろ、と彼は首をかしげて見せた。
「……でも、一緒にいてさ、何してやればよいと?」
 俺がかけてあげられる言葉なんて、ない気がする。そんな自信のない状態で、果たして俺に何ができるというのだろうか。
 しかし。俺のそんな心配をよそに、勇はにかっと大きな笑みを見せ、ばしんっと俺の肩を叩いた。
「馬鹿やねえ、俊ちゃん!」
「は」
 訳が分からず、びっくりして勇を見つめる。
「何もせんで良いんよ! いつもどおりフツーに、友達として接しちゃればいいんちゃ」
 相手は友達が欲しいんやけ、という言葉に、ストン、と何かが落ちた気がした。
そうなんだ。そんな簡単なことで、良いんだ。会って、ただくだらない話をして、笑ったり、悩んだり、そんなことで。なんかもっと大きいことかと思っていた。何かすごい魔法の言葉みたいなものがあって、それを言えばすべてがうまくいくような、そんなものを見つけ出さなければいけないのだと、思っていた。けれど、よくよく考えてみれば。
魔法の言葉なんて、あるわけないか。
 一言が人生を動かすなんて、多分そうそう無いことだ。じわりじわりと小さな言葉や行動が、染みわたるように相手に伝わり、そしてある日ふとしたきっかけで、それに気付くのだ。そして、変わっていく。きっかけは一瞬でも、そこまでに至る積み重ねが無いことには、何も動かない。
「そうかあ」
「うん」
「そうだよなあ」
「……反応がぼけ老人みたいやぞ」
 何度も浅くうなづく俺に、勇がたまらず突っ込んだが、俺はしっかりと彼を見て、もう一度うん、と力強くうなづいた。
 すごい、友達って、勇って、すごい。
 俺のためだけに、真剣に悩んでくれる。そして、しっかりとした答えも、導きだしてくれる。しかも、ふっと、なんでもない風に。
「勇、ありがとう」
「別にいーよ。こんなんでよければどんどん相談せい!」
 むふ、と照れ笑いをうかべながら、鼻息をフン、と出した彼につられて、俺もにかっと歯を出して笑った。俺も、こんなセリフを堂々と言えるようになりたいな。
温の隣にいてあげること。今こうして、勇が俺の隣にいるということのように。
 まずどうやったら温の隣にもどれるだろうか。何もなかったかのように、「よう」とでも言って貯水タンクに登ればよいのだろうか。それとも、「この前は、ごめん」と言い頭を下げればよいのだろうか。どれも違う気がする。
 俗にいう、仲直りだ。そういえばあれって、ケンカだったのか。ケンカなんて、あんまりしたことがないような気がするな。誰かそんな風になった奴、いただろうか……そう思っていると、さっと孝樹の顔がうかんできた。派手ではないが、彼との言いあいも、ケンカと言えばケンカに入るのかな。あいつとの言い合いって、険悪な雰囲気になった後、そういえばどうしてたっけ?
 ケンカしたその日は、口もきかないしこっちを見もしない。なれっこだから俺も話しかけずに、そのまま帰る。けれど次の日、
『なあ、俊弥もあんときおったよな!?』
そんな風に、三、四人で話しているときに急に話を振ってくるのだ。ちょっと面食らうけど、俺も何もなかったかのように、
『おったおった! あの遠足ん時やろ?』
といつも通りの受け答えをする。それで元通り……なあなあだな。
 無かったことにしているわけではないと思う。けれど、仲直りにはっきりとした区切りなんて、ないのだ。変なくぎりをつけるより、そうしたほうがきっと楽なのだ。
 ちょっと時間をおいて、また屋上にあがっていこう。もしかしたら温は、姿を現してくれないかもしれないけれど。時間の許す限り、貯水タンクの上で景色を眺めていよう。たぶんすぐに真っ暗になって、小倉の街がチカチカ光ってきれいに違いない。まあ、かなり防寒していかないと、すぐに風邪をひいてしまうだろうが。
そうやって、いつか温が現れたら、とりとめのない会話をすればよい。時間の許す限り、ただ、のんびりと。