『片倉、お前他人に流されてるだけじゃん』
 気がつけば、船を降り、バス停の黄緑がかった蛍光灯の下に、ぽつんと立っていた。周りには、向かうところもないのだろう、しわくちゃのおじさんが二、三人、短くなった煙草を手に暗くなった海を見つめている。
寒い。はあ、と息を吐けば、白い気体がさっと冬空に溶けていく。冬の澄んだ空気のはずなのに、そこにはやはり少し、工場から出る変なにおいが、混じっていた。身体にはけしてよくないと思うのだが、この空気をかぐと、少し落ち着く。
 バスの時刻を調べることはせず、俺はバス停から家に向かって歩き始めた。ここから家まで、徒歩およそ三十分、何度も何度も勇とふざけながらたどった道のりだ。船着き場の目の前の自転車駐車場の横の道に入り、暗い中を進んでいく。
『片倉、おまえ他人にながされてるだけじゃん』
 まるでテープレコーダーの巻き戻しのように、温に言われた言葉が頭の中に響いていた。
初めて言われたことだった。これまで、相手がだれでも言いたいことははっきりと口に出してきたはずだ。友達でも、すっぱり言うことは言うし。それで離れていくような奴だったら、これから先付き合っていくのは、お互い苦しいであろうから離れていくに任せる、そしてそれでも仲良くしてくれる奴と、仲良くしていく。そんで今、一番仲良い奴が勇で――……って、あれ?
これって、ながされてないか? まるっきり、自分の意思を放棄しているようにさえ感じる。思いっきり、他人まかせだ。
 心臓がにわかに、どきどきと大きく鳴り始めた。寒かったはずの身体は急に熱くなり、けれど歩調はだんだんと遅くなり、ぴたりと立ち止まる。止まったとたん、吸い込んだ空気で鼻の奥を切り裂かれるような痛みが走った。それと同時に、ぱっと頭上で家の明かりがともる。暗い道にさっと差し込んだ光にあわてて、再び足を動かした。
『誰に対しても自分を崩さんで、素直やもん』
 ふといつかの帰り道、恵子に言われた言葉を思い出す。簡単なことだ、周りの反応を気にしていないだけのことだった。恵子には好意的にうけとってくれたけど、きっと俺の態度で傷ついた奴もいる。俺はまったく動かないで、自分を変えないで、そんな俺に会う奴をただ求めている。
だから、勇なのか。いつも一緒にいて、騒いで、ばかやって、そうやって俺の形にがっちりとはまってくれる勇だったから、ここまでやってこれたのだ。もしどこかで勇が離れていっても、俺はそれをしょうがないと思い、喚き叫んで「何で離れるんだ」と引き留めることはしなかったろう。
だから孝樹はいつの間にか離れていった。自分でも気付かないうちに、昔のように仲良くつるむだけの関係じゃなくなったのは、どこかで俺が彼を手放してしまったのだ。求めないものに、答えなくなった、そういった原理で。
何でだろ。
『俊弥ぁー! 早くこいっちゃ!』
『ちょっと先行っとって、孝樹!』
『やだー! 先行かん! でも待たん! やけはよせえ!』
『どんだけかちゃ』
 中学時代、体育の前に繰り返された、会話。孝樹とも昔は、勇と同じように一緒につるんで笑っていた。その仲には、一点の曇りもなかったかのように思われるのに。いつからか、二人に対する接し方は変わってしまった。勇には今まで通り、孝樹とはぎすぎすした関係へと。
迷い込んできた車のライトが、夜道の闇をさっときりさいた。とたん、ふと再び恵子の言葉が浮かんでくる。
『片倉はすごいねえ』
『え?』
『誰に対しても自分を崩さんで、素直やもん。そんなん、普通できん』
 ライトの光で、赤い橋の足の部分が、一瞬照らし出され、すぐに闇に潜っていった。その横を、するりと通り抜けていく。その光を見て、ふと急に、全ての原因が思い当たった。
「……俺が変われていないんだ」
 思わずぽつりと、暗闇に呟いてしまう。中学時代から、いやもっと前から今まで、俺の人に対する態度は変わっていなかった。それで、上手くやっていけてるつもりであったし、特に何も感じることはなかったのだ。
だからいけなかったんだ。本当は上手くいってなんかいなかった。俺は変わらず一定の形を保ち続け、それに合わせて周囲が変化していたのだ。勇は、俺のすべてを受け止めて、ここまで一緒にいてくれた。対して孝樹は、どこかで俺の我慢ならない点に、気付いてしまったのだ。
勇と今まで一度もケンカしたことなかったのも、多分勇が譲ってくれていたからだろう。
『おまえが話してくれるまで、見守るってさ。俊ちゃん自己解決型やけんっち言いよった』
 女子の会話にいらいらして、俺が教室を出て行った、あの時も。相談してくれない俺に、きっと彼は随分とやきもきしたことだろう。こうやって、俺に対して不満があっても、彼が変化し適応することで、今までうまくいってきた。俺も強くは嫌なことを言ったことがなかった。それで気が合うから、楽しいの一念でやってこれたのだ。
でもそれは、うまくいっているって言えるんだろうか。
 ふと孝樹の顔が脳裏をよぎる。俺とあいつはけして上手くいっていない。上手くいっていないけれど、お互い一番思ったことをそのまま口に出し、ぶつかりあっている。相手がどうなろうとお構いなく、本音を口に、態度に、むきだしにしている。
 勇と孝樹。俺と二人との関係は……。
「ふふ」
 寒空に、思わず笑みがこぼれた。アスファルトの道から、恵比寿神社の砂利道へと足を踏み入れ、小さな石つぶてを踏む音が、あたりにこだます。カチン、とけとばされた小石が、石の柵にあたった。
 俺と二人の関係は、何とも極端すぎるのだ。
 勇との関係には、楽しみはあるが変化が無い。逆に、孝樹との関係には痛みを伴うが、俺が気付くことにより、変化がありうるのだ。彼は十分に、そのきっかけを作ってくれていた。だけど、俺が変わってこなかったせいで、友達に真剣に向き合っていなかったせいで、こんな奇妙な関係ができあがってしまった。しかもそれに気付かずに、何年も何年も過ごしてきたのだ。それでも、友人関係を何の困難もなしにやりすごしてきたのは、俺の周りにいた人が、過ごしてきた環境が、かなり良かったということだろう。
俺と温、やっぱり似てるんだ。だけど、今の俺と温の立場には、大きな開きがある。多分、環境の違いだ。
 俺には信頼してくれる勇がいた。離れていくものは離れていってくれ、と言える余裕があった。そんなスタンスをとっていても尚、仲良く関わりあってくれる、友達がたくさんいた。
 けれど、温には。余裕がなかったんだろうな。
 失敗から、友達をなくして。やり直そうと思っても、焦りが出て。俺みたいに「なるようになるだろ」なんて気持ち、持てないほど追いつめられていたのだろう。
 ふっと神社の鳥居の下で立ち止まった。数少ない電灯に照らしだされたその上には、石ころが所狭しと並んでいる。ここを訪れた人々が、願いを込めて投げた小石たち。鳥居の下から上へ、上手くほおり投げて、見事のったら良いことが起こる。
 よし。俺は足元に転がっていた石を一つ取り、手のひらの上にころんとのせた。そして、そのまま鳥居の上を見る。暗くてあまり見えないが、目標を定め掬いあげるようにして、石を投げた。すう、と闇に消えていき、すぐにカチン、という音が響く。どうだ?
 息をのんで様子をうかがったが、石の落ちてくる気配はない。成功だ、そう思った瞬間、ボス、という鈍い音が、鳥居を挟んで向こう側の地面に、響いた。はねた石を、すぐに目で追い近づいて拾う。別の石だ。
 先ほど投げた物と、形が違った。昔、誰かが鳥居の上に乗せた物が、俺の投げた石にぶつかって、落ちてしまったのだろう。やっぱり成功したのだ、と鳥居を見上げたが、多くの石に混ざって自分が投げたものは分からなかった。
俺もあんな風なのだろうか。教室の中、たくさんのクラスメイトに囲まれて、俺はその中にとけこめているのだろうか。あの石みたいに、一度似た物の中に取り囲まれてしまえば、見分けがつかなくなるぐらいに。
 ふと視線を落とし、手のひらで落ちた石を転がしてみる。こいつみたいに、群れからぽーんと、はじき出されてしまう奴だっているのだ。突然やってきた、わけのわからない力によって。
さしずめ、温、かな。
 形は違えど誰もが同じ石ころなのだ。それが、どのタイミングでどの位置にいるかによって、簡単にどこかへと飛んで行ってしまう。温ははじき飛ばされて、俺ははじき飛ばされなかった。
 似たような位置にいても、タイミング次第で、大きく運命が変わってしまうのだ。
 もしかしたら、俺もこのままだと――……。
変わらなきゃ。手のひらの石を、ぎゅっとにぎりしめる。今の俺を、ずっと変わってこなかった俺を、受け入れてくれる環境に甘んじていてはだめだ。自分から関係を、求めないと。真剣に友達と、向き合わないと。
 俺はきっと、誰かが投げた石によって、突然ぽーんとどこかへ飛んで行ってしまう。