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 「ケーゴのことがあって、自分を責めて責めて……俺は何でイジメに一時は気づいたのに、勘違いだったって思ったんだろうってずっと思って。亡くなった原因、直接俺じゃないの、分かってる。けれどどうもやりきれなくて……そんでもう東京には残らないって決めてさ。原点の福岡で、やり直そうと思ったんだ。親はまだ東京にいなきゃいけなかったから、叔父さんの家に居候させてもらうことにして、中三でめちゃくちゃ勉強して。で、この高校入ってやり直しをはじめた。顔見知りは智奈とあとちょっとしかいなかったからやりやすかったかな。不良だってことみんな知らないから仲良くしてくれたぜ。でもいっつも用心してた。どこかで昔のクセがでるともかぎらないし、こんな普通の奴ばっかの学校だったら、不良だってばれたらきっとひかれるって思ったし。何事もなく一年はすんで、ほっとして、これならいけそうだなって思ってたら高二になって尾野が来て、ばれた」
 智奈さんにとってはここからが始まりだった。こんなに長い前置きがあるなんて、知らなかったのだろうな。
「なんだったか覚えてないけど、なんかちょっとしたことだったと思う。おかしいと思ったから言ったんだ。教師とか、こわくなかったし、まがったこと、嫌いだし。そしたらいきなり尾野がキレて『不良のお前に言われる筋合いはない』って言って。しまった、と思った頃にはもう遅くて、いくら取り繕っても噂は全部ひろまって俺は不良扱いされてたちまちのけものさ。中学の時に人を刺したとか、あいつのあの目ならやりかねんとか、根も葉もないうわさ流されてさ。ひでえ話だろ」
 ニヤ、と温が自嘲をうかべた。二人の間をひゅうと風がふきぬけていく。
「で、クラスでものけ者にされてサッカー部でものけ者にされて、それまで仲良かったやつも全部離れてって。智奈もきっと俺を内心恐がってるんだと思ってつっぱねた。完全に中学の頃に戻った気分だったぜ。で、尾野にもいろいろとつっかかったりつっかかられたりして、あの日」
 七年前のあの日。
「取っ組み合いになって、ベランダまででた。手すりに押さえつけられて、ふと思ったんだ。あ、このまま落ちたら、こいつすっげえ困るだろうなって。死ぬなんて考えてなかった。そんで力をぬいて尾野におされてみたんだ。ぐわって押されて、尾野の顔がすっごい驚いたのを見て、やったと思ったのまで覚えてる。そこから起きたら、この貯水タンクの上に横たわってたんだ」
 温は。
 死から始まって死に終ってしまった。せっかく立ち直ろうと思ったのに周りからのけものにされて。やはり温が友人を大切に扱わなかったわけではなく、友人が温を大切に扱わなくなってしまったのだ。
「死んでるって気づかなくて、教室に下りたら俺の机の上に花が飾ってあってさ。なんだ、ベタな嫌がらせだなって思ったら、本物だった。俺は死んでいて、クラスから消えてた。そんで、後で知ったけど尾野も首つって死んで、だから尾野が怪しいってことで俺が自分の意思で落ちたって話は出回らなかったわけ。」
 結果温も大切に扱うことを、やめた。
「尾野が死んだって聞いた時、初めは責任逃れかと思った。でも死んで夜の学校ふらふらしてたら、先生同士のうわさ聞いちゃって。なんか尾野の弟が俺の中学に教師でいたらしーんでけど、その弟が生徒のせいで病気になったんだと。年はなれてて可愛がってた弟らしいから、俺がそこ出身だってだけでどうしても目の敵にしちゃったんだって……ほかの生徒には手もあげない先生だったから、相当苦しんでたんだろうなって思う。遺書にさあ、『後藤の後ろに弟を苦しめた生徒が見えて自分でも衝動を抑えきれなかった』って書いてあったんだって。『どうしても後藤自身を見てやることができずに、毎日どなり散らす自分が情けなかった』って、言い訳にしか聞こえないようなこともいっぱい書いてあったらしくて……それ聞いた時に、ああ、尾野も苦しんでたんだって、ふと思ったんだ。彼は俺を殺したって書いたらしいけど、俺は完璧自殺って思ってるから……と、いうことで真実は人それぞれあるって言ったんだよ」
 分ったか? と首をかしげた温の姿が、急にぼやけた。とたん、何かが頬をつたう。涙とわかったら胸の奥から何かが突き上げてきて、嗚咽が漏れた。
「何泣いてんだ」
 温が驚いた声をだす。馬鹿、俺自身も驚いてるよ。なんでこんなに涙がでるんだ。
「くやしい」
「はあ?」
「温が死んだこと」
 そうだ、くやしい。せっかく立ち直ったのに、つぶされた。淡々と語ったけれど、後輩の死はずいぶんとこたえたのだろう。それなりの決意が、努力があったはずなのに。
「何でお前が泣くんだよ?」
「わからん」
 わからないが、涙がでてくる。
「わからんけど……温のこと知っとるけ」
「はあ?」
「温の話、智奈さんとかいろんな人から聞いて、知っとるし、直接でも話したし」
 温を悪い奴だなんて、恐い奴だなんて思えない。
「だから、そんな扱いうけて死んだって、くやしい」
 何で周囲は彼を受け入れてくれなかったのだろう。一年間つき合って、何か彼が害をおよぼしたことがあったのだろうか? たぶん、なかったはずだ。なのに、素性がしれただけで、すっとはなれていった。現在の彼を見ずに、過去の姿に惑わされて。
「俺の考えが甘かったんだよ。こんなやつ、だれも芯から信じてくれる奴、いねえさ」
「智奈さんがいた」
「あいつは俺に同情してただけだ。ただの偽善者だろ」
「違う」
「違わねぇ」
「違う。智奈さんのおかげで俺はここまで調べ上げられたんだ」
「それは俺が死んで後味悪かったから成仏してない俺の噂聞いて成仏させようとしてるだけだろ? 全部自分のためじゃねえか」
 皮肉な笑みをうかべる温に、俺はつかみかかった。
「そんな人じゃないっ!」
 温のことを語る彼女のまなざしは本気で温のことを想っていた。それをどうして、まっすぐにうけとめられない。
「……なんでお前にわかんの?」
 ふと、温がはき捨てるように、言い放った。それに、今までのどんな言葉よりもどきりとしてしまったのは、その声が、絶対の冷たさを持っていたからだ。思わず口をつぐんで、温を見つめた。
「聞いたから、調べたからわかるって、言ったよな? それ、全部他人の見方だろ?」
 冷たさを帯びていたのは声だけではなかった。見つめたその眼も、痛いぐらいの冷たさをはらんでおり、思わず視線をそらしてしまいたい衝動に駆られる。
「お前、まったく考えてないよな? 周りのこと、へいこら鵜呑みにして、でもつじつまがあわなかったから首かしげて俺のとこに来て」
 がん、と心臓が打たれた。温の言っていることは、正しい。わからないからって情報だけ集め回って、それでもやっぱりわからないから答えを求めてここに来て――……そういえば全部、他人まかせだ。
「それで? 次は俺の言うこと聞いて、納得して、満足かよ。満足して、勝手に泣いて、その上にわかった風な口聞いてよぉ」
 息が詰まった。えぐられるように、胸が痛い。
 自分のこと、真正面から非難されるのって、こんな感覚なんだ。こんなに、痛いんだ。もしかしたら、こんな風に言われるの、はじめてかもしれない……。
「片倉、お前他人にながされてるだけじゃん」
 びゅう、と二人の間に寒風が吹き去っていった。いつの間にか、涙は自然と頬にその跡のみを残し乾いており、俺はただ、温を見つめていた。いや、ただ見つめることしかできなかった。ただぐるぐると、頭の中で温の言葉が響いている。理解するわけでもなく、噛み砕こうとするわけでもなく、ただ、ずっと。心臓は早鐘のように、なり続けていた。
何か、いわなきゃ。ここに来る前、言いたいことが、考えていたことがまだあったはずだ。でも、全部でてこない。温につかみかかった手は、力をなくし彼にすがりつくような形になっていた。それを、温が軽くつかむ。腕が、じんわりと冷たいものにつつまれた。少しびっくりして手を離すと、すっと冷気も消えていく。
「温」
 頭の中はどうしようもなく混乱していて、何を言って、何を言わなくていいかの選択なんて、正常にできる状態ではなかった。けれど、気がつけば彼の名前を呼んでいて。
「俺は……俺は温のこと、ちゃんと信用できる奴……やと、おもっとるよ」
 小さな声をやっとしぼりだすと、じゃあ、と言って涙の跡をぬぐい、温の顔も見ずに貯水タンクから、屋上から下りていった。