「今日ちょっとのこって帰る」
勇にそう断言することで俺は決意をかためた。今日の放課後、温に会って話を聞こう。そして俺や智奈さんの思いも伝えよう。勝負は放課後、クラス全員が教室から出て行った後だ。学校についてなんとなくそわそわと落ち着かずに、授業は全てうわのそらだった。今日の俺に大切なものは、あのノートと放課後の時間だけなのだ。
総合、古文、世界史、生物、昼休み、数学、数学、現代文。おそろしく長く退屈な数学二時間も、今日はあっというまに終った。そのかわり、頭の中は真っ白だったけど。
「俊弥! この定規、まだ借りとって良い?」
放課後。帰り支度をしていた孝樹が、ふと俺にそう尋ねた。
「あ、それかしたままやったか」
どうやら今日の総合のグループワークで、線をひくために貸してそのままだったらしい。すっかり忘れていた俺は、なんとものんびりとした返事を返した。
「使う?」
「いいや、いいよ。今度返して」
あいつ家に定規もないのか、そう思いつつもめったに出番のない定規だから別にいいか、としばらく旅に出してやることにする。目盛も消えかかっていて、使いにくいし。孝樹は「ありがと!」と言うとそのまま教室に残っていた数人と楽しそうに帰って行った。
さて、これで全員いなくなったか。只今の時刻五時二十四分。思っていたよりも皆はやくに帰ってくれた。俺はかばんからノートをとりだして、その表紙をなでてみた。調べられるだけ調べた、と思う。あとは温の口から直接、真相をききだすだけだ。
よし。とりあえず気合をいれ、俺はベランダへ出た。いつか升田と孝樹としたように、屋上へと、温のもとへと上っていく。
「よう」
あざやかな夕焼け空を背景に、貯水タンクの上に一つの影があった。ゆっくりと近寄り彼の下まで行くと、温は俺のほうを見ずに「あがって来い」と言った。俺はうなずいて彼の座っている場所へと上る。
「何だ、今日は背中合わせじゃないのか?」
俺が温の背中に向かって座ると、温はちらりともこちらを見ずにつぶやく。
「温」
そっとノートを横に置いた。
「何」
「聞きたいことと話したいこと、両方あるんやけど」
まっすぐに温の背中を見つめる。すると温はくるりとこちらを向いてしばらくじっと俺を見たかと思うと、俺が横に置いたノートをすばやくとりあげ、それをタンクの下へと落とした。
「あっ!」
「……そんな顔すんなって。あとで拾えばいいだろ?」
「でも」
「お前が聞きたがってること、話してやってもいいぜ」
ん?とうながすように温が笑う。あれ、何で温が俺の聞きたがっている話がわかるんだ?
「よくもまあノート一冊調べたもんだ。ほめてやるよ」
「えっ、みたの?」
「おう。この前お前が数学の宿題に苦しんでる時にな」
この前、と言われてすぐに思いあたった。温のお母さんに会った、あの日だ。トイレから帰って、ベランダへの扉が開いていたから、なんとなく温がきたのかなと思ったが、やはりそうだったのだ。
「苦しんでねーよ」
「の割にはかなり間違ってたけどな。まあそのアホが一生懸命調べてそんで一連の出来事を理解した。理解して、疑問にぶちあたったわけだ」
「うん」
「そこに俺の死の本当の姿があるって、思ったか?」
「え?」
温の死の本当の姿。俺はそれを意識していたのか。いや、きっとしていた。
「うん」
「馬鹿」
間髪をいれずに温の返事がかえってくる。
「は?」
「そんなんだからアホ面なんだ。いいか、これだけはよく覚えとけ」
ずい、と温が前に出て急に真面目な表情となる。
「物事ってのは人が見たらそれぞれの見方があるんだ。ある人が見た見方でとらえたものが、そいつにとっての真実になる。俺の死も同じだ。俺には俺の死の本当の姿があるし、尾野には尾野の真実もある。だから、俺が今から話すのは死についての本当の姿じゃない。俺にとっての出来事の話だよ」
温はわかったか、と首を傾げて見せた。俺は驚いて、力なくうなずく。温がこんなことを言うなんて、思ってもみなかった。
「うなずきかたがあやしいけど……まあいいか」
頭をかき、温は短く息を吐く。
「片倉、お前この事件を七年前のこととしか調べなかったろ」
「七年前のことじゃないのか?」
「頭を働かせろ、アホ面。人の諫言は耳に痛いからといって普通の生徒のちょっとした発言をはじめからつっぱねる教師がどこにいるよ」
「は?」
それは、尾野のことじゃないのか。
「事情があったんだよ」
「え? でも……」
温は不当な扱いをうけたのではないか?
「よく聞いとけ。普通の生徒だったらの話だ。うん、どっちかと言えばこの出来事はな、十年前に始まったことだな」
「十年前?」
「いや、原因ができたってだけだ。ま、そんなこと言ってたら尾野が教師になった時からってぇのも言えるけどな。それは戻りすぎだ」
温は再び頭をかくと、フイと俺から視線をそらしポツポツと語りだした。
「十年前、俺が中坊の頃の話だ。お前、智奈からその頃の話聞いたか?」
「いや、あんまり」
「だろうな。この話をぬきにあれはわかんねえよ」
だから智奈さんの話だけでは、よく全体が見えなかったのか。この話は、温の話だ。
勇にそう断言することで俺は決意をかためた。今日の放課後、温に会って話を聞こう。そして俺や智奈さんの思いも伝えよう。勝負は放課後、クラス全員が教室から出て行った後だ。学校についてなんとなくそわそわと落ち着かずに、授業は全てうわのそらだった。今日の俺に大切なものは、あのノートと放課後の時間だけなのだ。
総合、古文、世界史、生物、昼休み、数学、数学、現代文。おそろしく長く退屈な数学二時間も、今日はあっというまに終った。そのかわり、頭の中は真っ白だったけど。
「俊弥! この定規、まだ借りとって良い?」
放課後。帰り支度をしていた孝樹が、ふと俺にそう尋ねた。
「あ、それかしたままやったか」
どうやら今日の総合のグループワークで、線をひくために貸してそのままだったらしい。すっかり忘れていた俺は、なんとものんびりとした返事を返した。
「使う?」
「いいや、いいよ。今度返して」
あいつ家に定規もないのか、そう思いつつもめったに出番のない定規だから別にいいか、としばらく旅に出してやることにする。目盛も消えかかっていて、使いにくいし。孝樹は「ありがと!」と言うとそのまま教室に残っていた数人と楽しそうに帰って行った。
さて、これで全員いなくなったか。只今の時刻五時二十四分。思っていたよりも皆はやくに帰ってくれた。俺はかばんからノートをとりだして、その表紙をなでてみた。調べられるだけ調べた、と思う。あとは温の口から直接、真相をききだすだけだ。
よし。とりあえず気合をいれ、俺はベランダへ出た。いつか升田と孝樹としたように、屋上へと、温のもとへと上っていく。
「よう」
あざやかな夕焼け空を背景に、貯水タンクの上に一つの影があった。ゆっくりと近寄り彼の下まで行くと、温は俺のほうを見ずに「あがって来い」と言った。俺はうなずいて彼の座っている場所へと上る。
「何だ、今日は背中合わせじゃないのか?」
俺が温の背中に向かって座ると、温はちらりともこちらを見ずにつぶやく。
「温」
そっとノートを横に置いた。
「何」
「聞きたいことと話したいこと、両方あるんやけど」
まっすぐに温の背中を見つめる。すると温はくるりとこちらを向いてしばらくじっと俺を見たかと思うと、俺が横に置いたノートをすばやくとりあげ、それをタンクの下へと落とした。
「あっ!」
「……そんな顔すんなって。あとで拾えばいいだろ?」
「でも」
「お前が聞きたがってること、話してやってもいいぜ」
ん?とうながすように温が笑う。あれ、何で温が俺の聞きたがっている話がわかるんだ?
「よくもまあノート一冊調べたもんだ。ほめてやるよ」
「えっ、みたの?」
「おう。この前お前が数学の宿題に苦しんでる時にな」
この前、と言われてすぐに思いあたった。温のお母さんに会った、あの日だ。トイレから帰って、ベランダへの扉が開いていたから、なんとなく温がきたのかなと思ったが、やはりそうだったのだ。
「苦しんでねーよ」
「の割にはかなり間違ってたけどな。まあそのアホが一生懸命調べてそんで一連の出来事を理解した。理解して、疑問にぶちあたったわけだ」
「うん」
「そこに俺の死の本当の姿があるって、思ったか?」
「え?」
温の死の本当の姿。俺はそれを意識していたのか。いや、きっとしていた。
「うん」
「馬鹿」
間髪をいれずに温の返事がかえってくる。
「は?」
「そんなんだからアホ面なんだ。いいか、これだけはよく覚えとけ」
ずい、と温が前に出て急に真面目な表情となる。
「物事ってのは人が見たらそれぞれの見方があるんだ。ある人が見た見方でとらえたものが、そいつにとっての真実になる。俺の死も同じだ。俺には俺の死の本当の姿があるし、尾野には尾野の真実もある。だから、俺が今から話すのは死についての本当の姿じゃない。俺にとっての出来事の話だよ」
温はわかったか、と首を傾げて見せた。俺は驚いて、力なくうなずく。温がこんなことを言うなんて、思ってもみなかった。
「うなずきかたがあやしいけど……まあいいか」
頭をかき、温は短く息を吐く。
「片倉、お前この事件を七年前のこととしか調べなかったろ」
「七年前のことじゃないのか?」
「頭を働かせろ、アホ面。人の諫言は耳に痛いからといって普通の生徒のちょっとした発言をはじめからつっぱねる教師がどこにいるよ」
「は?」
それは、尾野のことじゃないのか。
「事情があったんだよ」
「え? でも……」
温は不当な扱いをうけたのではないか?
「よく聞いとけ。普通の生徒だったらの話だ。うん、どっちかと言えばこの出来事はな、十年前に始まったことだな」
「十年前?」
「いや、原因ができたってだけだ。ま、そんなこと言ってたら尾野が教師になった時からってぇのも言えるけどな。それは戻りすぎだ」
温は再び頭をかくと、フイと俺から視線をそらしポツポツと語りだした。
「十年前、俺が中坊の頃の話だ。お前、智奈からその頃の話聞いたか?」
「いや、あんまり」
「だろうな。この話をぬきにあれはわかんねえよ」
だから智奈さんの話だけでは、よく全体が見えなかったのか。この話は、温の話だ。
