* * *
「……こんなもんか」
夜、ノートから顔をあげ、ふうと大きくため息をついた。
帰り道、智奈さんから聞いた話は想像以上に俺の頭に重くのしかかってきた。
家で俺と智奈さんを迎えてくれた温のお母さんは、俺の母さんと同じくらいの年頃で、愛想の良い人だった。智奈さんが事情を説明すると(彼女は多少話をごまかしていた)、快く俺を温の部屋にあげてくれ、お茶までだしてくれた。あんまり温に似ていなかったから、彼はきっと父親似なのだろうと思いつつも、きょろきょろと部屋の中を見ていたら、智奈さんは本棚からアルバムを取り出し、俺に見せてくれた。
小さい頃の温の写真や部屋に残されていた遺品を見せてもらいながら話を聞いた後、まとまりのつかない頭を抱え、家路についたのはよいのだが、どうにもすっきりとせず。新品のノートをとりだして、聞いた話をまとめてみたのだ。
文字に直してみると、意外と話はすっきりし、頭の中もいくらか落ち着いた。
これが本当に東南であったことなのか……。二年生の教室と言えば、今俺たちが使っているところだ。温が落ちたベランダも、俺が授業中にぼんやりとながめているところ。彼が飛び降りた地面も、俺たちが昼休みふざけながら通る道――……。
なんだか生々しいな。明日から、きっと教室やベランダを、何となく気にしてしまうだろう。もう何年も前のことだから、事故の痕跡は残ってはいないだろうが、それでももう何気なく素通りすることはできない。
話を聞いている最中は、ほとんど何も言えなかった。
温は、そんなに怖かったのだろうか。仲良くしていたクラスメイトが離れていってしまうほど、教師と言い合った彼の姿は恐ろしいものだったのだろうか。少なくとも、俺が接している彼は、全然怖くない。もっと当時の様子を知らないと、何も分からないな。
ぴょんとベッドから体をはね起こすと、俺は机の上に置いていた携帯を開き、電話帳から智奈さんのメールアドレスを探し出した。今日別れ際に「これからもよろしく」とアドレスを交換しておいたのだ。
こんばんは、片倉です。温のことで知りたいことがあるのですが……。
文面を考えながら、ボタンを押していく。当時の温の同級生に、メールをだそう。智奈さんからアドレスを聞いて、温のことを聞こう。智奈さん以外の目からも、温を見たい。
打った文面をざっと見直し、俺ははやる気持ちで送信ボタンを押した。
高校生男子事故死
十三日、私立東南高校から「生徒が転落した」との119番があった。二年生の男子生徒が二階ベランダから転落し、すぐに病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。警察は事故死と見て調査を進めている。
TO 橋本愛
FROM 片倉俊弥
初めまして、突然のメール失礼いたします。
僕は東南高校の生徒で片倉俊弥と申します。
現在、僕たちの学年は総合学習の授業で「命」というテーマでプレゼンテーションをすることになっています。そのプレゼンテーションをするにあたって、より身近に「命」を感じて欲しいと僕は七年前この学校で実際に起きた高校生の事故死のことについて調べることにしました。同年代の生徒の死について、自分自身も強い興味があり、亡くなった後藤温さんの人となりについて知りたいと思っています。何か、当時の彼について、ご存知でしたらよろしければ教えていただけませんか。
お忙しいと思いますが、ご協力よろしくお願いいたします。
TO 片倉俊弥
FROM 橋本愛
はじめまして。
もうあれから七年もたつのか、と時の流れは速いものだなあと感じております、当時後藤君の同級生だった橋本と申します。
さて、後藤君の人となりについて知りたいということでしたね。私は一年の時彼と同じクラスでしたが、彼は勉強もスポーツもそつなくこなす、どちらかといえば秀才であったという印象があります。あと、言葉使いが一人だけ標準語でした。そのせいか(どうかは分からないけれど)少し周囲からもとっつきにくい存在だと思われていたようです。実際私も、向こうから声をかけてきてくれることはあっても、自分から声をかけたことはなかったように思われます。でもそんな中唯一智奈だけは、後藤君への近づきがたさを感じていなかったようで、ものすごく気軽に接していました。
高校二年生になってからはクラスも離れて、元々親しかったというわけでもなかったので、彼がどのような学校生活を送っていたかはわかりません。けれど、彼はクラスから少し自分で距離をおいているようでしたが、けして浮いているわけではなく、むしろできる子と思われて、クラスの代表に選ばれてもおかしくはないような立ち位置にいた、と思います。あくまで私の主観ですが……。
私が彼について知っているのはこのぐらいです。少しでもお役に立てたでしょうか。授業のプレゼンテーションが成功することを祈っています。
TO 片倉俊弥
FROM 坂本竜也
こんにちは。
二年生の時、後藤のクラスメイトでした。同じクラスになって、はじめは特にどうとも思わなくて、印象に残っていませんが、彼が先生に反抗しだしてからは、事件が起こるたび「こいつよくここまで堂々とものが言えるなあ」と毎回思っていました。まさに「教師なんて怖くない」といった風で、一番印象に残っているのが、なんだったか忘れてしまいましたが、尾野先生が怒ったときに「文句がある奴は前に出ろ」といったことがありました。その時は、先生にも非があるようなことを、全面的に私たち生徒のせいにされていたので、クラス中のみんながちらちらと顔を見合わせていたのを覚えています。でも、誰も何も言い出せない中、後藤だけがすぐに前に出て、先生の悪いところを言い始めたのです。後藤が全部言い終わって、先生と数秒にらみ合ったかと思うと、突然先生が「口答えをするな!」と怒鳴り、彼を殴り飛ばしました。あの時はさすがに後藤がかわいそうだ、と思いましたが、以来ちょくちょく尾野に口を出す後藤をいつしか迷惑に思い始めました。彼のせいで授業が進まないことが多くなったからです。俺が言えるのはこのぐらいかな。勉強、頑張ってね。
TO 片倉俊弥
FROM 大庭由紀
こんにちは。大庭と申します。
一年二年と後藤君と同じクラスでした。
彼は頭もよくて運動も出来たので、男女問わず評判の高い子だったと思います。けれど、私個人としては少し怖いなあと感じていました。何がそうさせていたのか、よく分かりませんが、まとう空気が周囲とは違っていたのでしょうか。怖さがはっきりと増してきたのは彼が尾野先生に反抗しだして、周囲の生徒が彼に引き始めた頃です。怖くても、表立って怒鳴ることなんてなかったのに、智奈にはじめて怒鳴ったときは本当に怖かったなあ……と思います。私はいつもクラスの違う智奈に後藤君の様子を伝えていたから、二人の様子を知っていたのですが、ある日何の前触れも無く、いきなり後藤君は智奈をさけはじめて、学年で一人ぼっちになってしまいました。
「命」というテーマのプレゼンテーションをするのですよね。あの事件は人間、追い詰められたらあんなにも簡単に死に傾いてしまうのか、思い知らされたものでした。後藤君がベランダから消えた瞬間は今も目に焼きついて離れません。そして、その後の尾野先生の姿も。先生はすぐに後藤君のもとへ走っていき、救急車にも乗っていかれました。あんなに必死に後藤君に向かって声をかけていたのに、後藤君は亡くなってしまい、きっと「死」しかもう見えなかったのでしょうね。先生も他に償う道はいくらでもあったでしょうに。
なんだか後藤君のことからそれてしまいましたが、これでよろしいでしょうか。すべてを言葉で表現しきれるものではありませんが、参考になりましたら幸いです。
→温怖い? 遠巻きに、というかクラスメイトの一部として完全に馴染めていないのは確か。クラスの中心に為り得るのに、違う:自分から率先してなろうという気がない? 冷たい目しとるのっち、もしかしたら昔から? 確かに自分からぐいぐい関係を深めていくタイプじゃない。
「……こんなもんか」
夜、ノートから顔をあげ、ふうと大きくため息をついた。
帰り道、智奈さんから聞いた話は想像以上に俺の頭に重くのしかかってきた。
家で俺と智奈さんを迎えてくれた温のお母さんは、俺の母さんと同じくらいの年頃で、愛想の良い人だった。智奈さんが事情を説明すると(彼女は多少話をごまかしていた)、快く俺を温の部屋にあげてくれ、お茶までだしてくれた。あんまり温に似ていなかったから、彼はきっと父親似なのだろうと思いつつも、きょろきょろと部屋の中を見ていたら、智奈さんは本棚からアルバムを取り出し、俺に見せてくれた。
小さい頃の温の写真や部屋に残されていた遺品を見せてもらいながら話を聞いた後、まとまりのつかない頭を抱え、家路についたのはよいのだが、どうにもすっきりとせず。新品のノートをとりだして、聞いた話をまとめてみたのだ。
文字に直してみると、意外と話はすっきりし、頭の中もいくらか落ち着いた。
これが本当に東南であったことなのか……。二年生の教室と言えば、今俺たちが使っているところだ。温が落ちたベランダも、俺が授業中にぼんやりとながめているところ。彼が飛び降りた地面も、俺たちが昼休みふざけながら通る道――……。
なんだか生々しいな。明日から、きっと教室やベランダを、何となく気にしてしまうだろう。もう何年も前のことだから、事故の痕跡は残ってはいないだろうが、それでももう何気なく素通りすることはできない。
話を聞いている最中は、ほとんど何も言えなかった。
温は、そんなに怖かったのだろうか。仲良くしていたクラスメイトが離れていってしまうほど、教師と言い合った彼の姿は恐ろしいものだったのだろうか。少なくとも、俺が接している彼は、全然怖くない。もっと当時の様子を知らないと、何も分からないな。
ぴょんとベッドから体をはね起こすと、俺は机の上に置いていた携帯を開き、電話帳から智奈さんのメールアドレスを探し出した。今日別れ際に「これからもよろしく」とアドレスを交換しておいたのだ。
こんばんは、片倉です。温のことで知りたいことがあるのですが……。
文面を考えながら、ボタンを押していく。当時の温の同級生に、メールをだそう。智奈さんからアドレスを聞いて、温のことを聞こう。智奈さん以外の目からも、温を見たい。
打った文面をざっと見直し、俺ははやる気持ちで送信ボタンを押した。
高校生男子事故死
十三日、私立東南高校から「生徒が転落した」との119番があった。二年生の男子生徒が二階ベランダから転落し、すぐに病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。警察は事故死と見て調査を進めている。
TO 橋本愛
FROM 片倉俊弥
初めまして、突然のメール失礼いたします。
僕は東南高校の生徒で片倉俊弥と申します。
現在、僕たちの学年は総合学習の授業で「命」というテーマでプレゼンテーションをすることになっています。そのプレゼンテーションをするにあたって、より身近に「命」を感じて欲しいと僕は七年前この学校で実際に起きた高校生の事故死のことについて調べることにしました。同年代の生徒の死について、自分自身も強い興味があり、亡くなった後藤温さんの人となりについて知りたいと思っています。何か、当時の彼について、ご存知でしたらよろしければ教えていただけませんか。
お忙しいと思いますが、ご協力よろしくお願いいたします。
TO 片倉俊弥
FROM 橋本愛
はじめまして。
もうあれから七年もたつのか、と時の流れは速いものだなあと感じております、当時後藤君の同級生だった橋本と申します。
さて、後藤君の人となりについて知りたいということでしたね。私は一年の時彼と同じクラスでしたが、彼は勉強もスポーツもそつなくこなす、どちらかといえば秀才であったという印象があります。あと、言葉使いが一人だけ標準語でした。そのせいか(どうかは分からないけれど)少し周囲からもとっつきにくい存在だと思われていたようです。実際私も、向こうから声をかけてきてくれることはあっても、自分から声をかけたことはなかったように思われます。でもそんな中唯一智奈だけは、後藤君への近づきがたさを感じていなかったようで、ものすごく気軽に接していました。
高校二年生になってからはクラスも離れて、元々親しかったというわけでもなかったので、彼がどのような学校生活を送っていたかはわかりません。けれど、彼はクラスから少し自分で距離をおいているようでしたが、けして浮いているわけではなく、むしろできる子と思われて、クラスの代表に選ばれてもおかしくはないような立ち位置にいた、と思います。あくまで私の主観ですが……。
私が彼について知っているのはこのぐらいです。少しでもお役に立てたでしょうか。授業のプレゼンテーションが成功することを祈っています。
TO 片倉俊弥
FROM 坂本竜也
こんにちは。
二年生の時、後藤のクラスメイトでした。同じクラスになって、はじめは特にどうとも思わなくて、印象に残っていませんが、彼が先生に反抗しだしてからは、事件が起こるたび「こいつよくここまで堂々とものが言えるなあ」と毎回思っていました。まさに「教師なんて怖くない」といった風で、一番印象に残っているのが、なんだったか忘れてしまいましたが、尾野先生が怒ったときに「文句がある奴は前に出ろ」といったことがありました。その時は、先生にも非があるようなことを、全面的に私たち生徒のせいにされていたので、クラス中のみんながちらちらと顔を見合わせていたのを覚えています。でも、誰も何も言い出せない中、後藤だけがすぐに前に出て、先生の悪いところを言い始めたのです。後藤が全部言い終わって、先生と数秒にらみ合ったかと思うと、突然先生が「口答えをするな!」と怒鳴り、彼を殴り飛ばしました。あの時はさすがに後藤がかわいそうだ、と思いましたが、以来ちょくちょく尾野に口を出す後藤をいつしか迷惑に思い始めました。彼のせいで授業が進まないことが多くなったからです。俺が言えるのはこのぐらいかな。勉強、頑張ってね。
TO 片倉俊弥
FROM 大庭由紀
こんにちは。大庭と申します。
一年二年と後藤君と同じクラスでした。
彼は頭もよくて運動も出来たので、男女問わず評判の高い子だったと思います。けれど、私個人としては少し怖いなあと感じていました。何がそうさせていたのか、よく分かりませんが、まとう空気が周囲とは違っていたのでしょうか。怖さがはっきりと増してきたのは彼が尾野先生に反抗しだして、周囲の生徒が彼に引き始めた頃です。怖くても、表立って怒鳴ることなんてなかったのに、智奈にはじめて怒鳴ったときは本当に怖かったなあ……と思います。私はいつもクラスの違う智奈に後藤君の様子を伝えていたから、二人の様子を知っていたのですが、ある日何の前触れも無く、いきなり後藤君は智奈をさけはじめて、学年で一人ぼっちになってしまいました。
「命」というテーマのプレゼンテーションをするのですよね。あの事件は人間、追い詰められたらあんなにも簡単に死に傾いてしまうのか、思い知らされたものでした。後藤君がベランダから消えた瞬間は今も目に焼きついて離れません。そして、その後の尾野先生の姿も。先生はすぐに後藤君のもとへ走っていき、救急車にも乗っていかれました。あんなに必死に後藤君に向かって声をかけていたのに、後藤君は亡くなってしまい、きっと「死」しかもう見えなかったのでしょうね。先生も他に償う道はいくらでもあったでしょうに。
なんだか後藤君のことからそれてしまいましたが、これでよろしいでしょうか。すべてを言葉で表現しきれるものではありませんが、参考になりましたら幸いです。
→温怖い? 遠巻きに、というかクラスメイトの一部として完全に馴染めていないのは確か。クラスの中心に為り得るのに、違う:自分から率先してなろうという気がない? 冷たい目しとるのっち、もしかしたら昔から? 確かに自分からぐいぐい関係を深めていくタイプじゃない。
