「智奈、最近後藤君の所行かんのやね?」
 温はあれから本当に一言も言葉を交わしてくれないようになった。それどころか、あいさつも、視線ですらあわせてくれない。
「うん……」
 どうやら本格的に嫌がられているらしい。確かに、今まで温から話を聞いてくれだとか、相談事を持ちかけられたことはなかった。私が勝手に彼の所まで行って、話を聞きだしていただけなのだ。今まで一度も、温の迷惑なんて考えたこともなかった。
「え? どーしたん?」
 無遠慮に質問してくる友人にため息をついて、私は頬杖をつく。
「ケンカしちゃった」
 喧嘩だったのだろうか。自分で言っておいて、違うと思った。あれは喧嘩なんかではなく、私が一方的に嫌がられただけの話。
「うそ、珍しいね、智奈がケンカするなんて」
「うん」
「……でも後藤君とかかわるのやめて正解かもよ。だってね……」
「何?」
 思わず、するどい口調で彼女の言葉をさえぎってしまう。
「えっ……」
 彼女は驚き、とっさに口を閉じた。きっとあの口で、温の悪口を言うつもりだったんだ。
「別に、私が嫌われただけだから」
 そっけなくいうと、彼女はまだひきつった顔で「へー」と言い、それ以上は深くつっこまずに私からはなれていった。
 温の悪口なんてききたくない。
 どうやらサッカー部の件も、仲間内で温を邪魔者扱いしてそれならと温がやめたらしいのだ。マネージャーの子に話を聞いたら、すぐに様子を語ってくれた。
「直接見たわけやないんやけど……朝練の後キャプテンと後藤が大喧嘩したらしくて」
「うん」
「すっごい音がして、何かと思って見に行ったら、部室から後藤が出ていくところで、教室に戻ったらもう……」
続きは聞かなくても分かっていた。どんどんと、彼が孤立していくのを感じる。教室の窓から見える移動教室の時も、彼は一人で特別教室へと向かっていた。学校で、彼の笑顔を見ることも、笑い声を聞くこともなくなった。すれちがう時盗み見る顔は、つとめて感情を押し殺したかのような、いつも同じ無表情で。
 他の誰が温からはなれていこうが、私だけは最後まで裏切らない、そう言ってあげたい。たとえ一人でも、私は温の味方にずっとなり続けられる。それなのに、温が私のことを拒む。一緒にいたくないと言う。つらくないはずなんて、ないのに。
 それとも、これは私の勝手な思い上がりなのだろうか。温は一人でもちゃんと生きていけるのだろうか。もしくは、私以外にほかに支えてくれる人がいるのだろうか……。
 いくら考えても、答えはでてこなかった。
 そうして。
「救急車をっ!」
 英語の時間に、悲劇は起こった。隣から、なにやらもみ合う音がきこえ、いつもより騒々しいなと思っていると、いきなり女子の甲高い悲鳴響き渡り、一人の生徒がさけんだ。
「後藤が、落ちた!」
 突然だった。教室内は騒然となり、先生が制止するのもきかずに全員が席から立ち上がってベランダから校舎の下を覗き込み、絶句した。あきらかに温の体は変な曲がり方をしてたおれていたのだ。何人かの女子が、たおれた。ベランダには全校の生徒があふれかえり、下を、温を見下ろしていた。
「ゆたかっ!」
 気が付くと私はベランダから走り出し、急いで階段をかけおりていた。うそだ、そんな、まさか。眼に温の姿が焼き付いている。変な風にまがった体。いやだ、冗談でしょう、やめて。とぶように走り、すぐに階下についた。自動ドアをくぐりぬけ、温のたおれている所へと走る。
「温……」
 さっと校舎の角をまがって現れた姿は、ベランダで見たものよりも生生しく。
「温」
 ふらふらと近づいていくとふいに腕をつかまれた。何か言われたような気もしたが、よく分からなかった。ただ、目の前の温の存在しか、わからなかった。
 彼は仰向けにたおれていた。でも、首が横に曲がっていて、顔が見えない。
「手と足、おかしいよ?」
 普通とは逆に手足が曲がっていた。おかしい、方向が、変。
「……おきてよ」
 ざわ、と今更になって嫌な予感が腹の辺りからはいあがってくる。急に体が震えた。歯が、がちがちと鳴り出す。
 おれ? おかしいな。今日、寒くないのに。
 そこからよくわからないうちに校舎の中に引きずり戻され、いつの間にか保健室で寝ていた。起きた頃には騒動はおさまっており、先生が早く家に帰りなさいとかばんをわたしてくれた。先生によると、今日は臨時休校となったらしい。
「温は?」
「今病院にいます」
「どこの……」
「教えません。あなたは今日、帰って休みなさい」
 先生のきっぱりとした口調にこれ以上すがっても無駄だと思い、私はかばんを持って帰途についた。今日はバスに乗りたくない。とぼとぼ、ただひたすらに歩いた。家についてからはたおれこむようにして寝て、もしかしたら朝起きたら全て夢になっているかもしれないと思った。いや、そう願った。
 しかし朝起きてみても事実は変わっておらず、唯一変わったことは、温が死亡したとのことだった。
「悲しいことがおこりました」
 すぐに全校集会がひらかれて、校長が一連の出来事を語った。
 授業中、温が尾野に黒板の字が見えづらいから他の色で書いてくれと要求した。すると尾野はいつものように温が突っかかってきたのだと思い、無視した。すると他の生徒がやはり見えにくいと尾野に告げると、彼はその生徒に「後藤の肩をもつのか」とおどされた。そして「これが私の授業だ。文句があるならうつすんじゃない」と、どなった。そこで温が「それは横暴だ」と注意すると尾野は「口答えをするのか」と言い温につかみかかりそのままもみ合ってベランダに出て、体勢を崩した温がベランダから落ちてしまった……。
「尾野先生も、後藤君が亡くなったと分かるとすぐに自殺をされてしまいました」
 校長の声が、体育館いっぱいに響く。
 そして私はいつの間にか彼の通夜に出、葬式に出、彼の墓前に立っていた