「噂?」
 森田がポツリとつぶやいた言葉に、みなやたらと反応した。おい、授業中より反応いいぞ。
「うん。この学校昔自殺した子がおったんやて。ただの噂とおもっとったんやけど、片倉君」
「何?」
「見たの、一回?」
「うん」
「本当に?」
「本当に。どうしたん?」
「もっかい、たしかめてきて!」
 森田が目を輝かせて大声をだす。いつにない興奮ぶりだ。
「それなら森田が直接行きゃあいいやん」
 何で俺がわざわざ行く必要があるんだ。そう思って言うと、森田はぶんぶんと頭を横に振った。
「うち好きなのに何も見えんの! やけ、ね? もっかい見えたら本物っちことやん!」
 幽霊がなのか、俺がなのか。どっちつかずの言葉に、俺もあいまいな返事をかえす。
「何、俊弥怖いん?」
 と、升田が横から口を挟んできた。
「なっ、怖くねーし!」
「なら――……」
 升田がニヤニヤ笑いながら何かを言おうとした時、どたばたと廊下から足音がし、「俊ちゃーん!」という叫び声が飛び込んできた。と、同時に教室に見なれた人影が飛び込んでくる。
「おう、勇!」
 これ幸いと、俺は幼馴染の名を叫んだ。来原勇、家が近いため小学校の頃からずっと一緒にいる親友だ。小さめの身長に、あちこちはねた天然パーマの黒髪は、小さい頃から変わらない。今は違うクラスだが、二人とも帰宅部の為、だらだらとしょっちゅう寄り道をしながら帰っている。
「生物の教科書かして!」
「生物?」
 はじめはクラスがはなれたらさみしいと言っていた勇だったが、今ではちゃっかりその恩恵にあずかっていた。俺は今週何度目の貸出だろうと思いつつも、机の中をあさる。確か午前中に生物があったはずだから、この中にあると思うが――……。
「早く早く!」
 せかす勇の声をのむように、六限目の開始のチャイムが鳴った。とたん、俺の周りに集まっていた奴らが「用意せな」と自分の机に帰っていく。
「うおー! 俊ちゃーん! はーやーくー!」
 チャイムの中、勇はぴょんぴょんとジャンプして、俺をせかした。そんな、せかされても困るって。
「ちょっと待て……あ! あった! ほれ、勇!」
 引っ張り出した教科書を急いで勇の方に差し出すと同時に彼はそれをひっつかみ「ありがとー!」と言いながら走って行ってしまった。元気な奴……というか嵐のような奴だ。さて、俺も次の時間の用意をしないと。六限目は、古典。
 教科書をひっぱりだしながら、俺はまたぼんやり、あの日の幽霊の事を考え始めていた。
 あれから俺は確かに一回も彼を見ていない。森田、自殺した子がいるって言ってたっけ。彼がその子かどうかは知らないけれど、あの時つまらなさそうにしてたな。つまらなさそうに、貯水タンクの上で俺達を、いや、俺を見下ろしていた。
 そう言えば、あの時一緒に行ったもう一人、孝樹はどうだったのだろう。もしかしてあいつも見えていて、でも黙っているとか……ないよなあ。中学以来の友人の孝樹の背中をじっと見つめ、はあと小さくため息をついた。あのとき三人の中で見えているのが俺だけだったら、なんだか後でからかわれそうだ。
 升田と孝樹と俺の三人は、特に仲が良いというわけではないが、クラス内で何かやらかす時はいつもお決まりのさわがしいメンバーだった。三人が集まった時の騒々しさは計り知れず、彼らとつるむ時には少々体力がいる。だから、というわけでもないのだが、いつも一緒にいるわけではない。たいていクラスではその時々にいる奴と適当に行動して、それ以外は大抵勇と一緒にいる。まあ、でも楽しい奴らだ。
「片倉、片倉っ!」
 なんとなく、目の前に座っている奴の背中を見つめぼーっとしていたら、横の席から信田の焦った声が聞こえた。何だろう、と首だけちょっと回転させると、彼女は教科書の一文をさしている。
「おーい、片倉ぁ、きいとんのか?」
 教壇から、先生の声が響く。あ、まずい、開始早々にしてあたってたか。
「すみません、ぼーっとしてました」
 そこですか、とへらりと笑って立ち上がると、先生も思わずため息をついて苦笑いした。教室中に、クラスメイトの笑いがさざ波のようにおこる。
「もう片倉、しゃんとしなさい、まったく……三十九ページ、二行目だぞ」
 こういう場合、嘘をつかずに正直にふるまえば、大抵の先生は苦笑して許してくれることは、心得ていた(こつとしては多少堂々と言うことも必要である)。もし他の学校に行っていたら、こんなにゆるくはなかったかも。こんなところがあるので、俺はこの高校を結構気に入っていた。
 あてられたページを開き、短い文章をすらすら読み終え席につくと、信田のにやりと笑った顔が目に入った。