「ねえ、ちょっと君」
 テスト終了日、勇は早々に塾らしく一人で帰宅途中に誰かから呼び止められた。ふりむくと、きれいに化粧をした女性が立っていた。知らない人だ。
「君、片倉俊弥君、よね?」
「え?」
 俺はびっくりして思わず後ずさった。もしかしたら、親戚の人だろうか?俺の様子をみて女の人も少しあわてたらしく、目の前で手を軽く振り、
「いや、ごめん、人違いだったかしら」
と困ったような顔をした。
「や、人違いじゃないです、けど……」
 と、その時彼女の後方に見知った顔が見えた。確かあれは、勇のクラスの女子だ。名前、なんだっけ? ちらちらとこっちを気にしながら、離れていく。ちょっと待て、気づいてるなら助けてくれよ。俺もちらちらと彼女を気にしつつも、目の前の女性に意識を戻した。
 本当、誰だ? すると彼女はうれしそうに目を見開き、それから少し笑って、
「はじめまして、ごめんね、びっくりさせて。私、迫田智奈って言います」
と一息に自己紹介された。俺は展開についていけず目をパチクリさせていると、彼女はかばんの中をごそごそとあさり、小さな手帳をひっぱりだした。そしてそれを、俺に手渡す。
 生徒手帳だった。
「東南高校のです。六年前、生徒でした」
「はあ……」
 中をみてよいものか、そうは思ったが、促されるままに表紙を開いてしまい入っていた生徒証を見た。三つ編をした少女がうつっている。横に迫田智奈という名前。本人そのものだ。
「今は北九大の大学院に行ってるの。で、片倉君」
「はい」
 正体をつかめたのかつかめていないのか、ともかく彼女は知り合いではなく、しかし間違いなく俺に用があるということだけはわかった。
「あの、知らないっていうか、変なこと聞きたいんだけど、ともかく関わりないんだったらごめんね?」
 もう十分、変だとは思うんだが。
「後藤温って、知っとる? 後ろの後に藤の花の藤で温度の温っち字で」
「え?」
「あ、いや、知らんのやったら……」
 すまなさそうな顔をして手を振る迫田智奈を、俺は言葉でさえぎった。
「知ってます! あの……」
 何だ? 心臓がいきなりバクバクと音をたてだし、俺は少しあごをひいた。
「でも、何で?」
 この人、温のことを?迫田智奈はそれを聞くとうれしそうに笑い、うんと一回うなずいた。
「私、温の幼馴染で……えっと、なんていうのかな、うん、片倉君」
「はい」
「今、時間ある?」
 話の唐突さに少し後れをとりながらも、何とか俺の脳みそは働いているらしかった。というよりも体のほうが早く、俺は彼女の問いかけにコクコクと浅く何度もうなずいていた。すると彼女は携帯を取り出して、ちょっとまってね、と言った。
 何がどうなっているのだろう。この迫田智奈は、何だ?
「あ、智奈です、おばさん?はい、はいそうです。はい……あの、今から……はいわかりました、はーい」
 電話特有の一方だけを聞いていたら何のことだかさっぱり分からない会話を終え、携帯をかばんにしまうと彼女は俺を見てにっこりと笑ってみせた。笑顔が、かわいい。
「ここから十分ぐらいの所に、温の家があるの。そこに行って話、聞いてくれないかな」
「温の?」
「そう。おばさんもいいって言ってくれたし。行こう」
 彼女は俺の手を引きぐんぐんと歩き出した。待て、まだよくのみこめていない。この人は温の幼馴染で迫田智奈さんという名前で、俺の前にいきなり現れて、そして俺をここから十分ほどの温の家に連れて行っている途中で……。
 て、何で俺が温の家に連れて行かれなければならないのだろう。
「ちょっと、迫田さん」
「はあい?」
「何で俺が、その、温の家に? ってか、なんで俺と温のこと……」
 そう、まずそこだ。なんで卒業生が俺のこと、あまつさえ俺が幽霊を、温を見たという噂を知っているのか。
 彼女はああ、と少しあわてるそぶりを見せ、
「私完璧にあやしい女やね、ゴメン!」
と手をはなす。今更気づいたのか。
「後輩がね、正確には私の妹の後輩が片倉俊弥って子が屋上で幽霊見たっていう噂を聞いたって言っててね、それで私、絶対温のことやっち思って。で、その子に頼んであなたのこと教えてもらったと」
「ああ、もしかしてさっきの……」
 何回もこちらを気にしながら去っていく姿がさっと浮かぶ。
「見とった? さっきまで一緒にまっとってくれたんやけど」
 片倉君の姿見つけて、教えてくれたら帰っちゃった、と首をかしげた彼女を、きっとあの子も不思議に思ったことだろう。なんで卒業生が、在校生にここまでして会いたがっているのか、と。きっと俺にほとんど面識もないし、よくわからないことに首をつっこみたくなかったから、逃げるようにして帰っちゃったんだろうな。
「まあはじめから一人で声掛けるつもりやけ別によかったんやけどね」
 変質者みたいやけど、と恥ずかしそうに笑う彼女に、不快感はなかった。でも、何のためにそこまでするんだ?
「何のために俺を?」
「私ね、もうずいぶんたっちゃったけど、温が死んだの納得してないんよ。でも会えるてだてもないし、死んじゃったものはしょうがないし……私、最後の最後で温のささえになれんかった、それがくやしいの」
 詳しいことはおばちゃん家に行ってからね、そう言って悲しそうに笑う。つまり俺は今から、温の学生時代の話を聞きにいけるということか。
「温に今、まだ何かあるから幽霊になってうかばれとらんと思うの。やけ、私はそれを解決させてやりたい。やけど、私霊感なんてないし、あったらあの学校にいた時に温のこと見えてたはずやもん。で、今温に会える人は片倉君、君だけやろ? やけ、迷惑な話かもしれんけど、その」
「温を、成仏させてくれないかっちことですか?」
 ほらきた。なんとなく、楽しくなってきた。
「そうです。迷惑な話だよね?」
「いいえ、全然そんなことありません。あの、俺も」
 俺も温のことを知りたいと思っていたところなのだ。今まで情報の断片しか持ちあわせておらず、全く見る面々でちぐはぐな、温という人物の正体を。
「話が、聞きたいです」