それからとぶように日はすぎ、ついにテスト週間へと突入した。温のことは気になってはいたけれど、テストがあるかぎりどうしようもできなかった。死者の問題より、まずは生きている自分の問題だ。テストは一日目二日目となかなか好調で(文系教科が多かったせいもあるが)、俺はクラス内で比較的明るい顔をしていた。
「なあ、ジョチョウってどんな漢字やったっけ?」
昼休み、俺と勇は教室で弁当を食べていた。今日の俺の弁当は、母の愛が感じられない買い弁で、パン二つに牛乳一パック。それに比べ勇はなんと豪華な二段のお重で(といっても正月のアレみたいに大きいやつではない。あれの四分の一ぐらいのものだ)、みるみるうちにその中身は勇の口の中へと吸い込まれて消えていく。俺だったら、完食はできそうにない。
「あれだろ? 内助の功の助に長元坊の長」
「は? ナイジョノコウ? チョウゲンボウ?」
つらつらと意味の分からない言葉を並べた友人に、牛乳をストローから吸いながら眉根をよせる。こいつ今、日本語しゃべったか?
「うっわ、俊弥君こんなことも知らんの?」
勇がわざとらしく、しんじらんなーいと笑う。
「うるせえ、普通一般の学生がそんな言葉知っとるか。特にチョウ……?」
「長元坊。さあ、何のことでしょう?」
勇は時々よくわからない言葉を平気で使って、その意味を俺にたずねてくる。彼がいつ何処でそんな言葉をしいれてくるかは、長い付き合いだがまだつきとめていない。
「はーい先生、わかりませーん」
「片倉君、ちゃんと考えてくださーい」
軽くかわすことは、どうやら今日はゆるしてくれないらしい。
「えー」
もちろん、意味なんてわかるはずがない。辞書を使わないのはもちろん暗黙の了解で。
おし、こうなれば、意味をつくるか。
「そうですな、チョウゲンボウ」
「うん」
あ。
ここで俺はふと読み止しの本の言葉を思い出した。父さんの本で、古めかしく色も黄色く変色しているもので、言葉遣いも外見にふさわしくもちろん古めかしい。その古めかしい中に、ゲンボウというのがあった。はたしてその言葉が古いのかどうかはわからないが、少なくとも今の俺たち高校生は日常的には使わない。勇はこの言葉を知らないだろう。
良い、仕返しだ。
「まず、チョウ、ですがこれは超うざいとかの超と同じです」
「は、イコールですか」
ついついですます調。勇も調子をあわせてくる。まるで、どっかの評論家のおっさんみたいだ。
「はい。で、ゲンボウというのは厳しいの厳に、容貌の貌と書いて厳貌」
「ハイ、片倉さん、そんな言葉があるのですか」
「あります。辞書にものってます。来原君、予習してきてますか?」
「あっ! スミマセン片倉さん、してきてませんでした!」
「よろしい。で、さっきの超うざいの超とかけあわせて超厳貌です」
「先生ぇ、厳貌ってどーゆう意味ですかぁ?」
「厳貌ってのはいかめしい容貌や姿って意味です。で、厳しいという言葉には激しいとかおおげさとかいう意味があります」
「はい」
「つまり、超厳貌というのは超激しい顔とか超おおげさな顔、つまりマジやばい顔のこと、転じて人外のやばい変顔をさす言葉なのです!」
最後にはついつい力がこもる。
「おー、なるほど!先生、感動しました!」
勇も立ち上がって拍手する。それにウンウンとうなずく俺。
「で、結局何? チョウゲンボウって」
満足気な顔を真顔に戻して聞くと、勇も演技をやめストンと椅子に座り、はしを軽く空でふった。
「鳥だよ、鳥。マグソダカの別名」
「はあ? ま糞ォ?」
「はっ、どんだけ汚ねぇ鳥かちゃ!」
昼食時にはふさわしくないネタで、大笑いする。で結局、なんでそのマグソダカの話になったんだっけ?
勇にそう言おうとした瞬間、ふと俺の耳に隣にいた女子の会話がとびこんできた。
「でね、そのゴトウユタカっち子なんやけど、自殺したって」
「ええ!? この学校で?」
「そーそー、高二……だったのかなあ、そん時」
ゴトウユタカ、後藤温。あいつのことだ。思わず、聞き耳を立ててしまう。何でこいつら、温のこと話してんだ? 森田か勇か、どこからかウワサが広がっているのだろうか。
「え、もしかして飛び降り自殺したとか?」
「そうらしいよ。すごいよねえ」
「なんで自殺したん?」
「なんか、イジメやったってよ。イジメ」
「へー、そんな昔からイジメっちあったん?」
「馬鹿、イジメなんていつでもあるやろ!」
アハハ、と明るい声が響いた。
いじめ? たしかに、そういった。でも、いじめで死んだなんて、いや、自殺したって、温はとてもそんな風には見えない。というか、ぶっちゃけいじめられるようなタイプの子ではない。なにかの、間違いじゃないだろうか? いや、そうだ。きっと間違いだ。だって、ただの噂に過ぎない。自殺だったというのは本人から聞いた事実だ。だけど、いじめなんて。何年もうわさが語り継がれるうちに、誰かが聞き違えたり、誤解したり、知られてはまずい真実を隠すためにそんな話を作りあげたかもしれないのだ。温にかぎって、あの性格だったのなら、いじめなんて……。
「でもさあ、イジメとかぶっちゃけ本人が悪くない?」
「あっ、思う思う」
「外見とかやったらしかたないけどさ、性格とか本人の問題やし」
「なおそうともせんのがねえ」
「小田、とか?」
クスリと一人が小さく笑い、一人の名前をだすと、クスクス笑いが話していた女子全体に伝染する。小田、と槍玉に挙げられた生徒は、中学校時代から顔も成績も学年でドベであろうというやつで、おまけに何か病気でもあるのか言葉がききとりにくく、めったにしゃべらない。しゃべったとしてもそれはからかわれた時のみで、授業でも発言しようとしない。先生の中にも小田に好意的とは言いがたい態度で接する者もいて、よくこの学校で生活していけるな、と本気で思う。
「小田もそろそろ自殺したりして」
「あはっ、ナイナイ、あいつ意外と図太いもん」
「てことはさあ、そのゴトウユタカっち子もそんなんやったんやないん?」
サクッ。
何かが俺の胸に突き刺さった。鋭利なものではない、普段俺たちが使い込んでいるもの。
「ありうるねえ」
「でも、自殺したぶん小田より下じゃない?」
女子の笑い声が、脳に焼き付く。甲高い、声。
気持ちが悪い。
「あ、ごめん」
気づいたら、教室中が静まり返り、全員が俺を見ていた。手がじんじんする。勇が驚いた顔をしていた。でもそんなこと、全然気にならない。
「勇ごめん、俺ちょっとトイレ行ってくる」
それだけ言い残し俺は教室を出た。数人が廊下で戯れている横を無表情で素通りする。
何故俺は机なんかなぐったのだろう。手がじんじんする。あの笑い声を聞いた後、何故だか無性に腹立たしくて、イライラして、ともかく女子の会話を聞きたくなかった。そのまま席を普通に立てばよいものを、立てなかった。立つよりも先に、会話を無理やり中断させてしまった。
まだ、イライラする。
トイレの扉をやや乱暴にあけ、手洗い場の鏡に自らの姿を映してみる。
「ふん」
うつっていたのは、あきらかに不機嫌な俺の顔。思わず、自嘲した。それでも、目だけは笑っていない。その顔にチクリと胸が痛み、さきほど自分の胸にささった何かを思い出させた。
あれはするどい切れ味ではなかった。どちらかといえば、鈍い、さびた刃のような。
覚えがあったのだ。
以前に俺も同じ刃を使ったことがある。相手は、小田。さびていたのは何度も何度も使っていたから。唯一クラスが一緒になった中学二年の時、クラス内の雰囲気にのせられて、クラス全体でいっせいに小田につきさした。小田がやられた時には、怒りなんて全くおこらなかった。若干の罪悪感があり、すすんでいじめはしなかったけど、それでもクラスメイトが彼の事をネタにするたび、何も考えずただケラケラと笑っていた。
同じ笑い、だ。先ほどの女子と同質の反応を、以前の俺は平気でしていたのだ。今、気がついた。気持ちが悪い、本当に、気持が悪い。自分が笑っていた時に、どうして気がつかなかったのだろう。無意識での自分の行動に、ぞっとした。
そうだったのだ。
温は暗い奴じゃない。変な奴でもない。温を、悪く言うな。何も知らないくせに、想像だけでしゃべんな馬鹿野郎。
そんな気持ちを持っていたから、俺は皆の刃をうけてしまったのだ。使い込まれた、あざけりの刃を。
なんでこんなに必死になってるんだろう、俺。自分でもまさかあんな行動に出るなんて思いもしていなかった。だんだんと興奮が冷めていくにしたがい、失敗したという気持ちが強くなっていく。
でも何で温のことでこれだけ怒りがこみ上げてくるんだろう。自分だけが知っている、ある意味特別な存在。こんな不思議な関係、距離の測り方なんて全くわからないけど。俺の中では何故か確実に、ほおってはおけない存在になっているようだった。
トイレの窓から空を見上げた。すばらしい快晴。ちくしょう、教室、戻りにくくなった。
「なあ、ジョチョウってどんな漢字やったっけ?」
昼休み、俺と勇は教室で弁当を食べていた。今日の俺の弁当は、母の愛が感じられない買い弁で、パン二つに牛乳一パック。それに比べ勇はなんと豪華な二段のお重で(といっても正月のアレみたいに大きいやつではない。あれの四分の一ぐらいのものだ)、みるみるうちにその中身は勇の口の中へと吸い込まれて消えていく。俺だったら、完食はできそうにない。
「あれだろ? 内助の功の助に長元坊の長」
「は? ナイジョノコウ? チョウゲンボウ?」
つらつらと意味の分からない言葉を並べた友人に、牛乳をストローから吸いながら眉根をよせる。こいつ今、日本語しゃべったか?
「うっわ、俊弥君こんなことも知らんの?」
勇がわざとらしく、しんじらんなーいと笑う。
「うるせえ、普通一般の学生がそんな言葉知っとるか。特にチョウ……?」
「長元坊。さあ、何のことでしょう?」
勇は時々よくわからない言葉を平気で使って、その意味を俺にたずねてくる。彼がいつ何処でそんな言葉をしいれてくるかは、長い付き合いだがまだつきとめていない。
「はーい先生、わかりませーん」
「片倉君、ちゃんと考えてくださーい」
軽くかわすことは、どうやら今日はゆるしてくれないらしい。
「えー」
もちろん、意味なんてわかるはずがない。辞書を使わないのはもちろん暗黙の了解で。
おし、こうなれば、意味をつくるか。
「そうですな、チョウゲンボウ」
「うん」
あ。
ここで俺はふと読み止しの本の言葉を思い出した。父さんの本で、古めかしく色も黄色く変色しているもので、言葉遣いも外見にふさわしくもちろん古めかしい。その古めかしい中に、ゲンボウというのがあった。はたしてその言葉が古いのかどうかはわからないが、少なくとも今の俺たち高校生は日常的には使わない。勇はこの言葉を知らないだろう。
良い、仕返しだ。
「まず、チョウ、ですがこれは超うざいとかの超と同じです」
「は、イコールですか」
ついついですます調。勇も調子をあわせてくる。まるで、どっかの評論家のおっさんみたいだ。
「はい。で、ゲンボウというのは厳しいの厳に、容貌の貌と書いて厳貌」
「ハイ、片倉さん、そんな言葉があるのですか」
「あります。辞書にものってます。来原君、予習してきてますか?」
「あっ! スミマセン片倉さん、してきてませんでした!」
「よろしい。で、さっきの超うざいの超とかけあわせて超厳貌です」
「先生ぇ、厳貌ってどーゆう意味ですかぁ?」
「厳貌ってのはいかめしい容貌や姿って意味です。で、厳しいという言葉には激しいとかおおげさとかいう意味があります」
「はい」
「つまり、超厳貌というのは超激しい顔とか超おおげさな顔、つまりマジやばい顔のこと、転じて人外のやばい変顔をさす言葉なのです!」
最後にはついつい力がこもる。
「おー、なるほど!先生、感動しました!」
勇も立ち上がって拍手する。それにウンウンとうなずく俺。
「で、結局何? チョウゲンボウって」
満足気な顔を真顔に戻して聞くと、勇も演技をやめストンと椅子に座り、はしを軽く空でふった。
「鳥だよ、鳥。マグソダカの別名」
「はあ? ま糞ォ?」
「はっ、どんだけ汚ねぇ鳥かちゃ!」
昼食時にはふさわしくないネタで、大笑いする。で結局、なんでそのマグソダカの話になったんだっけ?
勇にそう言おうとした瞬間、ふと俺の耳に隣にいた女子の会話がとびこんできた。
「でね、そのゴトウユタカっち子なんやけど、自殺したって」
「ええ!? この学校で?」
「そーそー、高二……だったのかなあ、そん時」
ゴトウユタカ、後藤温。あいつのことだ。思わず、聞き耳を立ててしまう。何でこいつら、温のこと話してんだ? 森田か勇か、どこからかウワサが広がっているのだろうか。
「え、もしかして飛び降り自殺したとか?」
「そうらしいよ。すごいよねえ」
「なんで自殺したん?」
「なんか、イジメやったってよ。イジメ」
「へー、そんな昔からイジメっちあったん?」
「馬鹿、イジメなんていつでもあるやろ!」
アハハ、と明るい声が響いた。
いじめ? たしかに、そういった。でも、いじめで死んだなんて、いや、自殺したって、温はとてもそんな風には見えない。というか、ぶっちゃけいじめられるようなタイプの子ではない。なにかの、間違いじゃないだろうか? いや、そうだ。きっと間違いだ。だって、ただの噂に過ぎない。自殺だったというのは本人から聞いた事実だ。だけど、いじめなんて。何年もうわさが語り継がれるうちに、誰かが聞き違えたり、誤解したり、知られてはまずい真実を隠すためにそんな話を作りあげたかもしれないのだ。温にかぎって、あの性格だったのなら、いじめなんて……。
「でもさあ、イジメとかぶっちゃけ本人が悪くない?」
「あっ、思う思う」
「外見とかやったらしかたないけどさ、性格とか本人の問題やし」
「なおそうともせんのがねえ」
「小田、とか?」
クスリと一人が小さく笑い、一人の名前をだすと、クスクス笑いが話していた女子全体に伝染する。小田、と槍玉に挙げられた生徒は、中学校時代から顔も成績も学年でドベであろうというやつで、おまけに何か病気でもあるのか言葉がききとりにくく、めったにしゃべらない。しゃべったとしてもそれはからかわれた時のみで、授業でも発言しようとしない。先生の中にも小田に好意的とは言いがたい態度で接する者もいて、よくこの学校で生活していけるな、と本気で思う。
「小田もそろそろ自殺したりして」
「あはっ、ナイナイ、あいつ意外と図太いもん」
「てことはさあ、そのゴトウユタカっち子もそんなんやったんやないん?」
サクッ。
何かが俺の胸に突き刺さった。鋭利なものではない、普段俺たちが使い込んでいるもの。
「ありうるねえ」
「でも、自殺したぶん小田より下じゃない?」
女子の笑い声が、脳に焼き付く。甲高い、声。
気持ちが悪い。
「あ、ごめん」
気づいたら、教室中が静まり返り、全員が俺を見ていた。手がじんじんする。勇が驚いた顔をしていた。でもそんなこと、全然気にならない。
「勇ごめん、俺ちょっとトイレ行ってくる」
それだけ言い残し俺は教室を出た。数人が廊下で戯れている横を無表情で素通りする。
何故俺は机なんかなぐったのだろう。手がじんじんする。あの笑い声を聞いた後、何故だか無性に腹立たしくて、イライラして、ともかく女子の会話を聞きたくなかった。そのまま席を普通に立てばよいものを、立てなかった。立つよりも先に、会話を無理やり中断させてしまった。
まだ、イライラする。
トイレの扉をやや乱暴にあけ、手洗い場の鏡に自らの姿を映してみる。
「ふん」
うつっていたのは、あきらかに不機嫌な俺の顔。思わず、自嘲した。それでも、目だけは笑っていない。その顔にチクリと胸が痛み、さきほど自分の胸にささった何かを思い出させた。
あれはするどい切れ味ではなかった。どちらかといえば、鈍い、さびた刃のような。
覚えがあったのだ。
以前に俺も同じ刃を使ったことがある。相手は、小田。さびていたのは何度も何度も使っていたから。唯一クラスが一緒になった中学二年の時、クラス内の雰囲気にのせられて、クラス全体でいっせいに小田につきさした。小田がやられた時には、怒りなんて全くおこらなかった。若干の罪悪感があり、すすんでいじめはしなかったけど、それでもクラスメイトが彼の事をネタにするたび、何も考えずただケラケラと笑っていた。
同じ笑い、だ。先ほどの女子と同質の反応を、以前の俺は平気でしていたのだ。今、気がついた。気持ちが悪い、本当に、気持が悪い。自分が笑っていた時に、どうして気がつかなかったのだろう。無意識での自分の行動に、ぞっとした。
そうだったのだ。
温は暗い奴じゃない。変な奴でもない。温を、悪く言うな。何も知らないくせに、想像だけでしゃべんな馬鹿野郎。
そんな気持ちを持っていたから、俺は皆の刃をうけてしまったのだ。使い込まれた、あざけりの刃を。
なんでこんなに必死になってるんだろう、俺。自分でもまさかあんな行動に出るなんて思いもしていなかった。だんだんと興奮が冷めていくにしたがい、失敗したという気持ちが強くなっていく。
でも何で温のことでこれだけ怒りがこみ上げてくるんだろう。自分だけが知っている、ある意味特別な存在。こんな不思議な関係、距離の測り方なんて全くわからないけど。俺の中では何故か確実に、ほおってはおけない存在になっているようだった。
トイレの窓から空を見上げた。すばらしい快晴。ちくしょう、教室、戻りにくくなった。
