「俊ちゃん、やられた……」
昼休み。生徒でごった返す食堂で開口一番勇は沈んだ声をだした。
「どうしたん?」
「はい、俺めでたく塾行きが決定しそうです」
「おっ、てことは俺二日さみしいの決定?」
上級生に遠慮すること無く、俺と勇は四人席を二人で占領していた。あまった二つの椅子にはかばんがおいてある。俺の前には二百五十円のAランチ、勇の前にはAランチプラスでごぼう天うどんがほかほかと湯気をたてている。昔から細くて小さいくせに、勇はこっちが見ていて気分が悪くなるぐらいの量を平気で平らげる大食漢だった。
「今日もう一回話しを聞きに行って、母親がサインしたら……」
「おわりってわけか」
「そう。本当、ひどい話。ということで、今日も一緒に帰れません」
「まぢか。うー」
勇と一緒じゃない帰り道か。なんだか全く想像がつかないな。一人で帰った日もあることにはあったはずだけど、それでも一カ月に一回くらいのものだった……そう考えると俺、結構な時間を勇と二人で過ごしてるんだな。
「他に帰る人探そっかなあ」
「そうして。毎週二日は確実に一緒やないし」
今日も残ってたら温、教室におりてくるかな? それとも俺が屋上に行こうか。
「そういや俊ちゃん、幽霊みかけたんやて?」
勇が、さきほどとはうってかわって明るい調子でにやりと笑いかけてきた。
「え、何でそんことしっとるん?」
彼に、幽霊のことは言っていない。ましてや違うクラスなので昨日の騒動の中にいたわけでもなく、俺は首をかしげる。
「いや、森田がこっちのクラスにきてその話しよってん。ついに俊ちゃんも見えるようになったんかーっち思ったんやけど」
にやり、笑った勇は、きっと何かたくらんでいたのだろう。たとえば、「見える」俺と一緒に夜の墓参り、とか。丁度、俺の家の裏手には、山全体が墓場になっている、おあつらえ向きな場所がある。
昔、「出る」と有名だった病院が、移転して建物が放置された時、「乗り込もうや」とまっさきに言い出したの、あれってたしか勇だった気がする。彼自身は見えないらしいが、幽霊の類は大好きだった。しかも、驚かないし、怖がらない。遠足でお化け屋敷に入っても、中で仕掛けを見つけて爆笑するようなやつなのだ。
「いやあ、俺にはやっぱないらしいわ。」
「なんだー、おもんねえなあ! 来年の夏は楽しく過ごせると思ったのに」
「来年の夏っち、お前受験生やん! 楽しくも楽しくもないも、まず勉強やろ」
「そっか! 忘れとった……うえー、受験かあ」
はあと苦々しくため息をついた勇に重ねて、俺も小さくため息をつく。二人とも上の兄弟がいるので、受験期の辛さはだいたいの想像はついていた。勉強、と言ったものの、まだ志望校すら定まっていない俺にとっては、それでも受験はまだ、漠然としたイメージとしてしか、目の前に存在していなかったのだが。
「そういやあさあ、俺この後面談がある」
「ああ、模試の結果を踏まえてっち奴?」
「そう」
朝礼に来た担任は、挨拶するなりあの問題のプリントのことをあやまった。しかし順番を変えることはせず、先生が直接、面談をやるその日の朝に声をかけるとのことで、一応落ち着いたらしい。生徒側も、貼り出さず直接目に見えないのだったら、としぶしぶ納得した。
「俊ちゃんさー、志望校決めた?」
珍しく、少し悩んだ風に勇がため息混じりの声をだした。無意識なのか、うどんの麺を箸でつまんで上げたり下げたりしている。おいおい、早く食べなきゃ伸びちゃうぞ。
「うーん、ぼんやりとだけ、いつも模試で書くところは決まっとるけど……」
俺は歯切れの悪い言い方をしつつもゆっくりと首をかしげた。確か勇の志望ってMARCH のどこかだったっけ。一年の時から何回か、どこの校風が勇に合っているのか二人でわーわー話し合っていた。
「うん」
その様子をちらりと見てうなずいた勇に、俺はちょっと間を置き、考えてから、
「とりあえず、九州はでたいちおもっとる。親から一人暮らししろっち言われとるしな」
ときっぱり言い放った。俺の親は、「一人暮らしをなにがなんでも経験させないけん」という変わった親で、すでに大学生である兄二人も家を出て一人暮らしをしていた。ろくに家事をしたことのない二人だったが、どうやら上手く生活しているらしい。俺にとっては、かなりの不思議なのだが、人間追い詰められたらどうにでもなるのだろうか。
「東北か京都がいいな。東京は、絶対嫌」
九州をでたい、と言ってみると、行きたい場所がぽんと頭の中に浮かんできた。
「何で?」
突然の具体的な地名に、勇が首をかしげる。
「だって東京、むちゃくちゃ都会やん。俺の大学のイメージとしてはさ、こう、通学途中に田んぼのあぜ道を通るような所にあるのが理想なんよ」
何回か旅行で東京に行ったことがあったが、よくわからない電車に何回も乗り換え、歩く速度の異様に速い人ごみに、もみくちゃにされた記憶しかなかった。あまりの人の多さに酔ってしまって、へそをまげたのも一度や二度じゃないはずだ。
「げえ、俺それは嫌だなあ」
しかし勇は俺の理想を一言で否定した。しかも心底嫌そうに、くしゃりと顔にしわまでよせて。
「何で? いーやん、田舎!」
そこまでやられたら俺も必死に反論したくなる。思わず、大声をだしてしまった。
「田舎は田舎でも、俺、レベル的に若松ぐらいが最低ラインやわ」
そんな俺に対して、勇は冷静に答える。
「若松ぐらいっち?」
「車ですぐに、小倉とか博多とか行けるっち事。すんどるところ自体は田舎でも良いけど、遊べるところっちか、ある程度栄えとるところが近くにないと、絶対生きていけん」
言い終わると同時に力なく首を振った勇は、「そう思わん?」と同意を求めてきた。小倉は北九州の中で唯一と言っていい若者が遊べる(集まる?)街だ。もともと城下町ということもあって、栄えているし、新幹線も停まるので旅行に出るときの出発点にもなる。北九州に住んでいたら、博多に出るのは高校生にとってちょっとおおがかりなお出かけになる。だから、遊ぶ時は大抵小倉でぶらぶらするのが定番だった。大きな駅ビルもあるし、人通りも、買い物をするところも結構ある。昔長崎から来た知人からは、「長崎の中心より全然栄えてる」と言われたこともあった。それでも、ビルとビルの間から、けっこう近くに山がぽっこりと迫っていたり、ちょっと道路の突き当たりに行ったらすぐに海が見えたりする、微妙な都会である。
「えー、俺若松よりもっともっと田舎に行きたいんやけど!」
住宅が立ち並ぶ、いわゆるベッドタウンの若松で育った俺には、昔から田んぼが果てしなく広がる田舎の情景と、雪がぼっこりと降り積もる所には、ものすごいあこがれがあった。田んぼも雪も、ここではそんなに拝めない。
「そこは意見が合わんな」
「そうやね。さすがに大学は違うところかあ」
勇のいない毎日って、どんなものだろう。ぼうっと考えていると、突然肩をパン、とたたかれた。おどろいて振り返ると、信田と森田だった。
昼休み。生徒でごった返す食堂で開口一番勇は沈んだ声をだした。
「どうしたん?」
「はい、俺めでたく塾行きが決定しそうです」
「おっ、てことは俺二日さみしいの決定?」
上級生に遠慮すること無く、俺と勇は四人席を二人で占領していた。あまった二つの椅子にはかばんがおいてある。俺の前には二百五十円のAランチ、勇の前にはAランチプラスでごぼう天うどんがほかほかと湯気をたてている。昔から細くて小さいくせに、勇はこっちが見ていて気分が悪くなるぐらいの量を平気で平らげる大食漢だった。
「今日もう一回話しを聞きに行って、母親がサインしたら……」
「おわりってわけか」
「そう。本当、ひどい話。ということで、今日も一緒に帰れません」
「まぢか。うー」
勇と一緒じゃない帰り道か。なんだか全く想像がつかないな。一人で帰った日もあることにはあったはずだけど、それでも一カ月に一回くらいのものだった……そう考えると俺、結構な時間を勇と二人で過ごしてるんだな。
「他に帰る人探そっかなあ」
「そうして。毎週二日は確実に一緒やないし」
今日も残ってたら温、教室におりてくるかな? それとも俺が屋上に行こうか。
「そういや俊ちゃん、幽霊みかけたんやて?」
勇が、さきほどとはうってかわって明るい調子でにやりと笑いかけてきた。
「え、何でそんことしっとるん?」
彼に、幽霊のことは言っていない。ましてや違うクラスなので昨日の騒動の中にいたわけでもなく、俺は首をかしげる。
「いや、森田がこっちのクラスにきてその話しよってん。ついに俊ちゃんも見えるようになったんかーっち思ったんやけど」
にやり、笑った勇は、きっと何かたくらんでいたのだろう。たとえば、「見える」俺と一緒に夜の墓参り、とか。丁度、俺の家の裏手には、山全体が墓場になっている、おあつらえ向きな場所がある。
昔、「出る」と有名だった病院が、移転して建物が放置された時、「乗り込もうや」とまっさきに言い出したの、あれってたしか勇だった気がする。彼自身は見えないらしいが、幽霊の類は大好きだった。しかも、驚かないし、怖がらない。遠足でお化け屋敷に入っても、中で仕掛けを見つけて爆笑するようなやつなのだ。
「いやあ、俺にはやっぱないらしいわ。」
「なんだー、おもんねえなあ! 来年の夏は楽しく過ごせると思ったのに」
「来年の夏っち、お前受験生やん! 楽しくも楽しくもないも、まず勉強やろ」
「そっか! 忘れとった……うえー、受験かあ」
はあと苦々しくため息をついた勇に重ねて、俺も小さくため息をつく。二人とも上の兄弟がいるので、受験期の辛さはだいたいの想像はついていた。勉強、と言ったものの、まだ志望校すら定まっていない俺にとっては、それでも受験はまだ、漠然としたイメージとしてしか、目の前に存在していなかったのだが。
「そういやあさあ、俺この後面談がある」
「ああ、模試の結果を踏まえてっち奴?」
「そう」
朝礼に来た担任は、挨拶するなりあの問題のプリントのことをあやまった。しかし順番を変えることはせず、先生が直接、面談をやるその日の朝に声をかけるとのことで、一応落ち着いたらしい。生徒側も、貼り出さず直接目に見えないのだったら、としぶしぶ納得した。
「俊ちゃんさー、志望校決めた?」
珍しく、少し悩んだ風に勇がため息混じりの声をだした。無意識なのか、うどんの麺を箸でつまんで上げたり下げたりしている。おいおい、早く食べなきゃ伸びちゃうぞ。
「うーん、ぼんやりとだけ、いつも模試で書くところは決まっとるけど……」
俺は歯切れの悪い言い方をしつつもゆっくりと首をかしげた。確か勇の志望ってMARCH のどこかだったっけ。一年の時から何回か、どこの校風が勇に合っているのか二人でわーわー話し合っていた。
「うん」
その様子をちらりと見てうなずいた勇に、俺はちょっと間を置き、考えてから、
「とりあえず、九州はでたいちおもっとる。親から一人暮らししろっち言われとるしな」
ときっぱり言い放った。俺の親は、「一人暮らしをなにがなんでも経験させないけん」という変わった親で、すでに大学生である兄二人も家を出て一人暮らしをしていた。ろくに家事をしたことのない二人だったが、どうやら上手く生活しているらしい。俺にとっては、かなりの不思議なのだが、人間追い詰められたらどうにでもなるのだろうか。
「東北か京都がいいな。東京は、絶対嫌」
九州をでたい、と言ってみると、行きたい場所がぽんと頭の中に浮かんできた。
「何で?」
突然の具体的な地名に、勇が首をかしげる。
「だって東京、むちゃくちゃ都会やん。俺の大学のイメージとしてはさ、こう、通学途中に田んぼのあぜ道を通るような所にあるのが理想なんよ」
何回か旅行で東京に行ったことがあったが、よくわからない電車に何回も乗り換え、歩く速度の異様に速い人ごみに、もみくちゃにされた記憶しかなかった。あまりの人の多さに酔ってしまって、へそをまげたのも一度や二度じゃないはずだ。
「げえ、俺それは嫌だなあ」
しかし勇は俺の理想を一言で否定した。しかも心底嫌そうに、くしゃりと顔にしわまでよせて。
「何で? いーやん、田舎!」
そこまでやられたら俺も必死に反論したくなる。思わず、大声をだしてしまった。
「田舎は田舎でも、俺、レベル的に若松ぐらいが最低ラインやわ」
そんな俺に対して、勇は冷静に答える。
「若松ぐらいっち?」
「車ですぐに、小倉とか博多とか行けるっち事。すんどるところ自体は田舎でも良いけど、遊べるところっちか、ある程度栄えとるところが近くにないと、絶対生きていけん」
言い終わると同時に力なく首を振った勇は、「そう思わん?」と同意を求めてきた。小倉は北九州の中で唯一と言っていい若者が遊べる(集まる?)街だ。もともと城下町ということもあって、栄えているし、新幹線も停まるので旅行に出るときの出発点にもなる。北九州に住んでいたら、博多に出るのは高校生にとってちょっとおおがかりなお出かけになる。だから、遊ぶ時は大抵小倉でぶらぶらするのが定番だった。大きな駅ビルもあるし、人通りも、買い物をするところも結構ある。昔長崎から来た知人からは、「長崎の中心より全然栄えてる」と言われたこともあった。それでも、ビルとビルの間から、けっこう近くに山がぽっこりと迫っていたり、ちょっと道路の突き当たりに行ったらすぐに海が見えたりする、微妙な都会である。
「えー、俺若松よりもっともっと田舎に行きたいんやけど!」
住宅が立ち並ぶ、いわゆるベッドタウンの若松で育った俺には、昔から田んぼが果てしなく広がる田舎の情景と、雪がぼっこりと降り積もる所には、ものすごいあこがれがあった。田んぼも雪も、ここではそんなに拝めない。
「そこは意見が合わんな」
「そうやね。さすがに大学は違うところかあ」
勇のいない毎日って、どんなものだろう。ぼうっと考えていると、突然肩をパン、とたたかれた。おどろいて振り返ると、信田と森田だった。
