次の日。一限の前の朝補講を受けに、あくびを噛み殺しながら教室にはいると、黒板の端に小さな人だかりができていた。なんだろう、と近寄ってみると、人だかりの前に、プリントが一枚。
「個人面談か」
昨日担任が言っていた、個人面談の順番表だった。今日の昼休みから早速始まるみたいで、毎日昼休みと放課後にやるらしい。自分の名前を探そうと思ったが、探すまでもなく一番上、つまり今日の昼休みの枠に片倉と記入してあった。何で俺、出席番号の真ん中あたりなのに、一番なんだろ?
「俊弥ぁ、これひどくね?」
と、首をかしげると同時に、背後から升田の声がした。振り返ると、不満気な表情を浮かべた、升田に孝樹、それに森田の三人がいつの間にか立っていた。
「何が?」
若干珍しい組み合わせだな、と思いつつも三人に向かい首をかしげる。
「面談の順番っちゃ! これほとんど成績順になっとる」
口をとがらせた孝樹に、プリントをもう一度見直してみると、確かに上から綺麗に成績順(上位何名かは大抵同じ顔ぶれなので、そこを見ればだいたいわかる)に名前が並んでいた。これじゃ、クラス内の模試の順位を公表しているようなものだ。
「ほんっと、ありえんあの先生!」
プリプリと怒る森田の言葉に、俺もうんうんとうなずいた。自分の成績を人に知られるのって、何となく嫌だ。成績の違いで、人は見る目が変わる時もある。それにこれ、自分の立ち位置をはっきりさせて、クラス内での競争心を煽ろうとしてるの、ばればれじゃないか。うちの担任は、どうやらこの学校の中でも厳しいほうらしい。常々どこからか噂を聞いてはいたが、今日改めてそれを確信した。
「少しは考えろっち話よな!」
「うん、大概やろーもー」
はき捨てるように文句を言う三人に、周りにいた全員がうんうんと暗い顔でうなづく。みんな、不満なのか。
まだ時間、あるよな。ちらりと時計を確認して(朝補講が始まるまであと十分ほどあった)、俺は黒板に貼り付けてあったプリントをさっとはがしてゆるくくるくると筒状に丸めた。ちょっとぐしゃりとつぶれてしまったが、気にしない。
「どうしたん?」
突然の行動に、森田が驚いて目を見開いた。どうしたんも何も、やることは一つだろう。
「いや、まだ時間あるけ、ちょい担任に言いに行こうかなあっち」
「は!?」
「お前、香月に文句つけいくんか!?」
「いやいや、文句付け行くっちゅうか……ただ言いにいくだけっちゃ。ここでうじうじいっとるよりも、直接言いに行った方が早かろうもん」
みんなとらえ方が大きすぎるだろう、と苦笑いすると、升田が心配そうに眉をひそめ、
「片倉……俺、ついていこうか?」
と、そっとつぶやいた。この真剣な表情、どれだけみんな担任が怖いんだよ。
「大丈夫っちゃ、大げさな! そんなん香月がモンスターかなんかみたいに言って」
「いや、あいつモンスターやろ!」
「いや、ラスボスやろ!」
「いやいや、ラスボスは浜崎先生やろ!」
「学年主任? ……確かにあの香月を束ねとるんやもんなあ」
あまりに真面目にみんなが話し合うもんだから、俺は思わず噴き出してしまった。表情と話の内容のギャップが、ありすぎる。
「そんな職員室がダンジョンみたいやん」
「ダンジョン、ダンジョン!」
笑いながら突っ込むと、みなが手を叩いて爆笑しだした。
「そんじゃ、ちょっとダンジョン攻略してくる」
笑いが冷めぬうちに、俺はそう言い残して教室から飛び出した。職員室はダンジョン、先生はモンスター。そう考えると、確かにあまり足を踏み入れたくはない。さしずめ保健室は体力を回復する場所ってとこか。香月がモンスターで浜崎がラスボス……ん、ちょっと待て、ラスボスは校長じゃないのか? てことは浜崎は中ボスか。
ラスボス、かなり弱そうだ。小柄で少し顔の濃い校長を思い出し、にやりと口元がゆるんでしまう。でも一番、彼がモンスターと言われて、ピンとくるかもしれない。まずい、今職員室に入ったら、自然とにやけてしまうかもしれない。
きっと職員室にいる先生全員が、モンスターに見えるだろう。あ、何か本当、ダンジョン攻略だ……いや、目下の目的はとりあえず担任だ。全攻略には程遠い。立ち向かってくるであろうモンスターたちを思い浮かべ、やっぱりラスボスより、中ボスや普通のモンスターのほうが強そうだ、と考えながらも「失礼しまーす」と職員室のドアを開けた。
「香月先生いらっしゃいますかー?」
この学校の職員室は、生徒が立ち入れるのは入口からほんの数メートルで、そこから先生たちのいるデスクに向かって、要件のある先生の名前を呼ぶのが規則だった。職員室の中にはちらほらとしかまだ先生が出勤しておらず、ほっと胸をなでおろす。いろんな先生の姿が見えたら、また変な想像をしてしまいそうで、絶対担任に集中できない。
数秒たってから、「はーい」という声が聞こえ、担任が姿を現した。
「どうしたの?」
黒のタートルネックにカーディガン、そして茶色のロングスカート。落ち着いた格好の先生は、少し眠たげな表情をしていた。
「あの、この個人面談の順番の事でちょっと」
「ああ、何か用事があって、変えてほしいの?」
「いや、俺の順番がどうこうっち話やなくて、なんかこの順番が成績順になっとるっちみんながわーわーさわいどったんですよ。やけ、順番変えるか、何かちょっと配慮してもらえませんか?」
ぺらり、と丸めたプリントを差し出す。端がくりん、とカールしてしまったプリントは、何とも緊張感なく担任の前にその身をさらしていた。
「あら、まずかったかしら」
きょとんとした先生の表情は、このことを何も問題としてとらえてないと、雄弁に語っていた。
「私が持った今までのクラスは、ずっとこれでやってきたから」
「本当ですか?」
「ええ、本当よ」
「うわー、先生きびしい」
「受験前だったら、普通でしょう」
先生が今まで持ったクラスの生徒に、同情する。絶対先生が怖いから、何も言えなかったんだろうな。厳しいわ怖いわ……なんというすさまじい担任だろう。
「とりあえず、どーにかしてもらえませんか? みんなこれが嫌っち言っとったんで」
まっすぐに見つめると、彼女は少し押し黙り、軽くうなずいた。
「分かりました。じゃあちょっと考え直します……片倉君は、今日の昼で大丈夫?」
プリントをうけとると、担任はそれに目を落とした。どうするんだろうか。
「俺は大丈夫です。それじゃ、失礼しまーす」
「はい、補講がんばってね」
「はーい」
にっこり笑った担任に微笑み返し、急いで職員室を出ようとしたその時。
「おはよう」
手をかけようとしたドアから、なんと校長先生が入ってきた! ラスボスだ!
噴き出しそうになるのをこらえて、なんとか「おはようございます」とあいさつを返し、廊下へと滑り出る。やばい、職員室、なかなか油断ならない。
「個人面談か」
昨日担任が言っていた、個人面談の順番表だった。今日の昼休みから早速始まるみたいで、毎日昼休みと放課後にやるらしい。自分の名前を探そうと思ったが、探すまでもなく一番上、つまり今日の昼休みの枠に片倉と記入してあった。何で俺、出席番号の真ん中あたりなのに、一番なんだろ?
「俊弥ぁ、これひどくね?」
と、首をかしげると同時に、背後から升田の声がした。振り返ると、不満気な表情を浮かべた、升田に孝樹、それに森田の三人がいつの間にか立っていた。
「何が?」
若干珍しい組み合わせだな、と思いつつも三人に向かい首をかしげる。
「面談の順番っちゃ! これほとんど成績順になっとる」
口をとがらせた孝樹に、プリントをもう一度見直してみると、確かに上から綺麗に成績順(上位何名かは大抵同じ顔ぶれなので、そこを見ればだいたいわかる)に名前が並んでいた。これじゃ、クラス内の模試の順位を公表しているようなものだ。
「ほんっと、ありえんあの先生!」
プリプリと怒る森田の言葉に、俺もうんうんとうなずいた。自分の成績を人に知られるのって、何となく嫌だ。成績の違いで、人は見る目が変わる時もある。それにこれ、自分の立ち位置をはっきりさせて、クラス内での競争心を煽ろうとしてるの、ばればれじゃないか。うちの担任は、どうやらこの学校の中でも厳しいほうらしい。常々どこからか噂を聞いてはいたが、今日改めてそれを確信した。
「少しは考えろっち話よな!」
「うん、大概やろーもー」
はき捨てるように文句を言う三人に、周りにいた全員がうんうんと暗い顔でうなづく。みんな、不満なのか。
まだ時間、あるよな。ちらりと時計を確認して(朝補講が始まるまであと十分ほどあった)、俺は黒板に貼り付けてあったプリントをさっとはがしてゆるくくるくると筒状に丸めた。ちょっとぐしゃりとつぶれてしまったが、気にしない。
「どうしたん?」
突然の行動に、森田が驚いて目を見開いた。どうしたんも何も、やることは一つだろう。
「いや、まだ時間あるけ、ちょい担任に言いに行こうかなあっち」
「は!?」
「お前、香月に文句つけいくんか!?」
「いやいや、文句付け行くっちゅうか……ただ言いにいくだけっちゃ。ここでうじうじいっとるよりも、直接言いに行った方が早かろうもん」
みんなとらえ方が大きすぎるだろう、と苦笑いすると、升田が心配そうに眉をひそめ、
「片倉……俺、ついていこうか?」
と、そっとつぶやいた。この真剣な表情、どれだけみんな担任が怖いんだよ。
「大丈夫っちゃ、大げさな! そんなん香月がモンスターかなんかみたいに言って」
「いや、あいつモンスターやろ!」
「いや、ラスボスやろ!」
「いやいや、ラスボスは浜崎先生やろ!」
「学年主任? ……確かにあの香月を束ねとるんやもんなあ」
あまりに真面目にみんなが話し合うもんだから、俺は思わず噴き出してしまった。表情と話の内容のギャップが、ありすぎる。
「そんな職員室がダンジョンみたいやん」
「ダンジョン、ダンジョン!」
笑いながら突っ込むと、みなが手を叩いて爆笑しだした。
「そんじゃ、ちょっとダンジョン攻略してくる」
笑いが冷めぬうちに、俺はそう言い残して教室から飛び出した。職員室はダンジョン、先生はモンスター。そう考えると、確かにあまり足を踏み入れたくはない。さしずめ保健室は体力を回復する場所ってとこか。香月がモンスターで浜崎がラスボス……ん、ちょっと待て、ラスボスは校長じゃないのか? てことは浜崎は中ボスか。
ラスボス、かなり弱そうだ。小柄で少し顔の濃い校長を思い出し、にやりと口元がゆるんでしまう。でも一番、彼がモンスターと言われて、ピンとくるかもしれない。まずい、今職員室に入ったら、自然とにやけてしまうかもしれない。
きっと職員室にいる先生全員が、モンスターに見えるだろう。あ、何か本当、ダンジョン攻略だ……いや、目下の目的はとりあえず担任だ。全攻略には程遠い。立ち向かってくるであろうモンスターたちを思い浮かべ、やっぱりラスボスより、中ボスや普通のモンスターのほうが強そうだ、と考えながらも「失礼しまーす」と職員室のドアを開けた。
「香月先生いらっしゃいますかー?」
この学校の職員室は、生徒が立ち入れるのは入口からほんの数メートルで、そこから先生たちのいるデスクに向かって、要件のある先生の名前を呼ぶのが規則だった。職員室の中にはちらほらとしかまだ先生が出勤しておらず、ほっと胸をなでおろす。いろんな先生の姿が見えたら、また変な想像をしてしまいそうで、絶対担任に集中できない。
数秒たってから、「はーい」という声が聞こえ、担任が姿を現した。
「どうしたの?」
黒のタートルネックにカーディガン、そして茶色のロングスカート。落ち着いた格好の先生は、少し眠たげな表情をしていた。
「あの、この個人面談の順番の事でちょっと」
「ああ、何か用事があって、変えてほしいの?」
「いや、俺の順番がどうこうっち話やなくて、なんかこの順番が成績順になっとるっちみんながわーわーさわいどったんですよ。やけ、順番変えるか、何かちょっと配慮してもらえませんか?」
ぺらり、と丸めたプリントを差し出す。端がくりん、とカールしてしまったプリントは、何とも緊張感なく担任の前にその身をさらしていた。
「あら、まずかったかしら」
きょとんとした先生の表情は、このことを何も問題としてとらえてないと、雄弁に語っていた。
「私が持った今までのクラスは、ずっとこれでやってきたから」
「本当ですか?」
「ええ、本当よ」
「うわー、先生きびしい」
「受験前だったら、普通でしょう」
先生が今まで持ったクラスの生徒に、同情する。絶対先生が怖いから、何も言えなかったんだろうな。厳しいわ怖いわ……なんというすさまじい担任だろう。
「とりあえず、どーにかしてもらえませんか? みんなこれが嫌っち言っとったんで」
まっすぐに見つめると、彼女は少し押し黙り、軽くうなずいた。
「分かりました。じゃあちょっと考え直します……片倉君は、今日の昼で大丈夫?」
プリントをうけとると、担任はそれに目を落とした。どうするんだろうか。
「俺は大丈夫です。それじゃ、失礼しまーす」
「はい、補講がんばってね」
「はーい」
にっこり笑った担任に微笑み返し、急いで職員室を出ようとしたその時。
「おはよう」
手をかけようとしたドアから、なんと校長先生が入ってきた! ラスボスだ!
噴き出しそうになるのをこらえて、なんとか「おはようございます」とあいさつを返し、廊下へと滑り出る。やばい、職員室、なかなか油断ならない。
