屋上のあいつ

「へえ、物騒になったもんだな」
「ちっても、昔からそんな感じやったやろ」
「どこ出身なん?」
「若松……わかる?」
 本州との境に位置する九州の玄関口である北九州市は、海が見える場所が多い。海岸線にはずらりと工場地帯が続き、いくつもの煙突が空に向かってにょきにょきと伸びていた。市の中には七つの区があり、ほとんどが地続きでつながっているが、唯一俺の住む若松区だけは、半島のようになっており、周りのほとんどをぐるりと海で囲まれている。
 市内でもちょっと若松から遠くに住んでいたら、若松がどこにあるか、分からない奴が多い。それどころかひどい奴は「若松は他県にあるもんだと思ってた」と言ってくることもある。なので一応、こいつも分かるだろうか、と様子を伺ってみた。しかし彼は意外にもすらりと頷き、
「ああ、海の向こうか」
とぴたりと場所を言い当てる。
「海……いや、湾な、洞海湾」
 言い当てたのだが、ちょっとその言い回しが、ひっかかった。確かに半島のようになっている若松から、こちらに来るためには海水の上を通るのだが……海、と言ったらどうも広大なイメージがでてしまう。洞海湾は決してそんなに大きくない。
「どっちにしろ海だろ? んで、ベッドタウン」
「そう。老人ばっかのはずなんに、少年犯罪多いんよなあ」
「へえ……」
「まあ、ここの学校はそんな世界とは一歩距離をおいとる家の子が来るような所やけ、はよ帰れっち言ってくれんの、学校としてもありがたいやろ」
 俺はそう言いながらもてきぱきと身支度をする。英語と数学と……古典の予習はいいや。全てカバンに詰め終わり、ポンとそれをたたく。温はまだ俺を見ていた。
「じゃあ、俺……えーっと、帰る、けど」
「うん」
「いい?」
「何で聞く?」
 だって、普通幽霊だったらここで帰らせてくれそうに無い。温厚だったのが突然豹変して、俺は襲われる。そして翌日、変死体で見つかる。考えただけでも震えがきた。
「大丈夫だ、俺はそんなに初対面の奴に対して凶暴じゃない」
 俺の考えをよんだかのように、温がにやりと笑う。ああ、そうですか、本人様のお墨付きですか。
「安心した。じゃあな、温、また明日!」
「明日?」
「ああ、明日……ま、会えればっちことで! バイバイ」
 軽く手を振って教室を出て行く。温も手を振りかえしていた。笑顔では、なかった。何か理解しがたいものを見た、といった風な表情だった……むしろ、そんな顔をしたいのは、俺の方なのだが。思わず、はあ、とため息をつく。幽霊って、あんなに普通に話すものなのか? 生きている人間みたいに、自然に動いていた。そして何度もつっこむけど、「あ、ごめん」って、そんな登場のしかた、無しだ。
「大丈夫だ、俺は初対面の奴に対して凶暴じゃない」ふと、温の言葉が頭をかすめる。初対面の奴に対しては? 仲良かったりしたら俺、襲われてたかも。「高校二年生、勉強へのストレスか、自殺?」こんなタイトルで新聞に載るだろうか。いや、もっと簡潔に「男子高校生、変死」とか。どっちにしろそんなことでは載りたくない。
後藤温、か。幽霊にしちゃあ変な奴だったけど、もしクラスメイトだったら普通に友達にいそうな奴だ。いや、というか幽霊って、案外みんなあんなものなのかもしれない。だってもとはみんな、普通に暮らしている人間なのだから。俺だって死んでも、この性格が変わること、ないだろうし。下足箱から靴をとり、つっかけながら外に出ると、もうグラウンドには部活生もいなかった。