次の日の朝、私はいつものように品川行の京急普通電車に乗った。


やっぱり、奈美を見たら心はざわついてしまうだろう。

それでも、きっと前を見て仕事を出来る気がする。


『あの喫茶店であんたに声をかけたのは、あんたの様子が明らかに普通じゃなかったから。思い詰めていたように見えたから、少しでも気をそらせたかったんだ。新しい怒りが生まれれば、とりあえずそれまでの辛い出来事なんて忘れちまうだろ?』


別れ際に男が笑いながら打ち明けてきた。
本当に、どこまで本当なのか分からない、いい加減なことばかり。

でも、確かに、あの後一瞬、仕事のことなんて忘れてた。


乗客の波に揉まれながら一人思い出し笑いをする。


私のことなんて何も知らない人。それなのに、あの人からもらった言葉はどれも胸に残ってる。



乗り慣れた電車も行き先一つで別の顔を見せてくれる。

また、無駄に力を入れて頑張り過ぎて疲れたら、反対方向の電車に乗り込もう。


また、新たな何かに出会えるかもしれない。

もしかしたら、無責任で口の悪いあの人に出くわすかな。


――し損ねたキスは、次会う時にとっておこう。


車窓から見える真っ青な空に、あの不敵な笑みが浮かんだ。