翌朝、彼はリビングにいた。

その事実が大切だった。

私と彼のちょっとした喧嘩のような期間は、約二日で終わったのだ。

『おはよう』

「おはよう、今日はバイトないの?」

『うん、久しぶりにね…
冬休みの宿題やらなきゃだし。』

その言葉で空気がピシピシと音を立てた気がした。

「ぁ、うん、そうだね。」

彼にしては珍しく忘れていたらしい。

『うーん、宙相当頭キレそうだし、ライバル出現かな。』

「これまでは美影が一位だったんでしょ?どうしてあの学校に行こうと思ったの?治 」

『バイトしようと思って、進学校はそういうの面倒くさそうだし。』

「意外とさっぱりしてるよねそういうとこ。」

宙は面白そうにココアを口にしている。

『夕紀は、どうして順位が下なのかな。』

本当に彼も宙も賢いはずだ。

一度見たら覚えるみたいな感じ。

「あー、たぶん数問解いて寝てると思う。」

『あぁー』

私もココアを口にして空をぼーっと見つめた。

確かに夕紀ならしかねないな。

『この学校に来るまで何をしていたの?』

「んーあっちの世界でいろいろね。」

内緒ってことか。

『あっちの世界ってどんな所?』

「いろいろなんだけど神界と魔界と虚無の世界と呼ばれる大きく三つの世界がある。
虚無の世界っていうのは本当に、何も無い世界なんだ。俺は行ったことがないけど…ううん、行けない。」

『どういうこと?』

「その世界にはひとりの住人がいるらしい。
その子が“呼ぶ”か、たまたま何かの弾みでできた時空の歪みにでも飛び込まなければ行けない。
もはやそんな世界が存在するのかすらわからない。伝説の世界なんだ。」

虚無の世界

なんだか私はその世界を知っているような気がした。

『いや』

知っているのだ。

顎に手を当てて考える。

いや、考える必要なんかないかもしれない。

『白の彼…』

「え?」

『あ、ううん、なんでも。』

今は黙っておこう。

彼が仮にそうだとしたら……

なんだか凄く厄介なことに巻き込まれたような気がした。

「あっちの世界は地獄だ。」

宙は暗い顔をして真っ直ぐな瞳をにごらせる。

天界はとても煌びやかで美しいイメージだったのだ。

でもそうだな、私達忌み子にとっては地獄なのか?

「大切な感情をどこかに置いてきたみたいな、冷酷非道な奴らばかりだ。神界も魔界も、俺からすれば似たようなもの。神様や一部の天使達が人間を好いた理由がわかる。」

『そっか…』

「ただ、トップの方針が違うだけ。
神は全世界の均衡を保ち守る統治者。魔王は神からその権利を奪おうと野心に燃えている。
まぁ、負の感情は不滅だから、それがある限り魔界は何度でも再生されるわけだ。
神は不老不死、魔王は普通の人間と同じくらいの寿命……圧倒的に不利なんだけどな。」

『え、魔王も不老不死じゃないんだ。』

「うん、でもね……彼は何度も何度も蘇生しているんだよ。自分の息子や強い悪魔の体を奪ってね。
実際魔王は神と同じくらい永く生きている。」

思わず言葉を失った。

自分の息子を器にする…?

どうしてそんなことが出来るんだろう。

手が震えた。

「ただ、王子達も一筋縄ではいかない。
毎回自分の命を懸けて、決闘をしている。
けど魔王は今まで不敗で力は絶対的なんだ。」

自分の体を懸けて決闘を?

なんて愚かなんだ。

そんな人がこの世界の統治者にでもなってしまえば世界崩壊は免れない。

頭が痛くなった。

「君は、狙われている。」

ふと宙が低い声で言い放った。

「神との闘いに終止符をうつ鍵は君なんだ。」

私が…鍵

どうしようもない考えが浮かんだ。

その考えはきっと、全ての答えだ。

「君を守る、何があっても必ず。」

『自分を犠牲にしないって、約束したよ。』

念を押すように彼を見た。

悲しそうに眉を寄せている。

「うん」

『破ったら傷を移すだけじゃなくて、本当に絶交だから。』

「それは嫌だな。」

なにか奇妙な音が、なにかが壊れるような音が、私の中で響いた。