朝の職員会議も終わり、入学式の行われる体育館へ向かう。
その途中、一人の女子生徒を見かけた。
校庭にある桜の木の下で耳を塞ぎ、何か呟いている。
気になった僕は彼女のほうに近づき、声をかけた。

「君、そこで何をしているの?」

彼女は僕に気づかず、反応がない。

「君、君、一人でどうしたの?」

これまた気づいていないようだ。
今度は、やや大きめの声で話しかけた。

「君、何かあったの⁉」
「え、はい⁉ え? あ……」
「ん?」

ようやく反応してくれた彼女だったが、突如困った表情を浮かべる。

「もう、何を言うか忘れちゃったじゃないですか! 折角さっきまで覚えてたのに……」
「え⁉ 僕のせいなの⁉」
「へ? あ、ごめんなさい、つい……」

思わずやってしまったと、申し訳なさそうな顔する彼女。

「ああ、いいんだよ。考え事していた最中に話しかけちゃったみたいだし。ところで、何をぶつぶつと言っていたんだい?」
「実は今日の入学式で、新入生歓迎の挨拶をしなきゃいけなくて」
「もしかして生徒会長さんとかかな?」
「はい。三年の副﨑美奈(そえざきみな)って言います。私、こういうのを覚えるのが苦手で……。人前に立つと話す内容をよく忘れちゃうんです」

身体は小柄で、僕より二〇センチ近く背が低い。
セミロングの黒髪は綺麗に下ろされている。
見た感じ裏表がなく、誰からも好かれそうな子だ。

「あ、あの!」
「え?」
「聞いていますか、私の話」
「ごめんごめん」

副崎は泣きそうな目でこちらを見つめてくる。
教師として、ここは何か気の利く一言を言ってやらねば。

「えっとだね……、まあその……あれだ。失敗は成功の母って言うし……」

いやいや、失敗してたら駄目だろ。
こういう時のアドリブ力は、教師として大切なはずなのに……。

「ふふっ」

心の中であたふたしていると、副崎は小さく笑う。

「なんか先生のこと見てたら、大丈夫な気がしてきました」
「えっ、ほんとに? それは良かった」

僕にとっては良くないけど。

「とりあえず、失敗したら先生のせいにしますね」
「え? それはちょっと……」
「冗談です。もうすぐ式が始まりますよ。私は先に行きますね」

そう言って副崎は去ってしまう。

「本当に大丈夫なのか……」

上手く励ますことができたのかも怪しいし、変に開き直ってなければいいんだけど……。



僕は不安になりながらも、副崎の後を追うようにして体育館へと入っていった。