下校時間も過ぎ、ほとんど生徒がいなくなった廊下に足音が響く。
その足取りは一見いつも通りのものだったが、どこか寂しく、重たい音色だ。

長く付き合っている幼馴染であれば、何となく相手の考えていることが分かる。
美奈は優の、ぶっきらぼうな態度の中にある優しさを理解している。
これがその一例だろう。
しかし美奈が優の考えていることが分かるならば、優も美奈の考えていることが分かるはずである。
案の定、優は美奈の微妙な表情の変化から、彼女が抱いた感情に気付いていた。

“美奈は久田翔一郎のことを好きになった”

自分の幼馴染が、同じ高校の教師に対して恋愛感情を持ってしまった。
教室に向かう最中、優の頭の中はそのことで埋め尽くされていた。
長年ずっと想い続けてきた幼馴染への気持ちを押しつぶされた絶望感と、自分ではそれをどうすることもできないもどかしさが優の体内を巡り、締め上げていた。

「くそっ、なんで俺じゃねえんだよ!」

誰もいない教室で、優は吐き捨てるように呟く。
自分はずっと前から幼馴染のことが好きだった。
誰よりも彼女の姿を見てきた。
今日だって自分が傍にいれば、彼女の体調がおかしいことに気が付いたはずだ。それだけ彼女の変化には敏感だった。
それなのに……。

ずっと好きだった幼馴染は、自分以外の男を好きになった。
今日の彼女の変化にすら気付けなかった男に。

自分の中から激しい憎悪が湧き上がってくるのを、彼は感じた。
しかしその憎悪が、誰かにぶつけようのないものだということも彼は分かっていた。
誰一人として、憎むべき存在などいない。

美奈は生徒会長としての役割をこなしていただけ。
一方の翔一郎も、教師として、そして生徒会の顧問として振る舞っていただけ。
お互いに自分のすべきことをしていた結果、幼馴染は教師を好きになってしまった。
そこに誰が悪いなどということはない。
人が誰かに恋をする。
おかしなところは一つもない。
だがそれでも、自分の好きな人が他の誰かに恋をしていることが分かれば、どうしても憎悪を抱いてしまうものだ。
長い間美奈に対して恋愛感情を持っていた優であれば、それはごく自然の流れだった。

教室に置いてあった自分の荷物と美奈の荷物を背負い込む。優の力ならどうってことのない重さだが、今日はひどく美奈の荷物が重たく感じる。
彼は自分の中を巡り続ける感情を必死に押し殺し、幼馴染の待つ保健室へと歩いていった。

保健室を出る前僅かに傾きかけていた夕陽は既に沈んでおり、外は完全な暗闇が支配していた。