期末試験が一週間後に迫った。
今日から部活も休みになる。
恐ろしく膨大な試験範囲は元より、2~3のレポート提出が頭を悩ませていた。まだ1日目だから。まだまだ一週間は残っているんだと油断するのも、この1日目である。非常シグナルは日ごとに色濃くなるのだが、それは百も承知で今日この1日だけは!と、解放感に浸ってしまう。
朝比奈が降りる駅をさらに2つ行った先に、ちょっと大きなショッピング・モールがあって、今日は2人でそこまで足を伸ばしてみた。地元駅周りほど双浜生は、うろちょろしていない筈……そう考えていたのは大きな間違いで、エスカレーターで2Fに昇りながら上から見下ろすと、あちこち至る所に見覚えのある先輩や後輩を見つけ、俺達も見つけられて、鬼の首でも取ったように遠くからでも大声で冷やかされた。
結果、「学校と変わんねーな」
少し先を行く朝比奈が俺を振り返って、アハハと笑う。エスカレーターで頭1つ分、俺の高さに近づいた朝比奈がこっちを振り返ると、それがあんまり近くて、うっかりこんな場所で……狙いそうになった。
「沢村くん、本屋に行かない?」
「うん」
一瞬、朝比奈とは別の誰かに誘われたような気分になる。素っ気ないというか何というか。つまりまた呼び方が〝沢村くん〟に戻った。今度はそっちの方が不自然と感じてくるから不思議なもんである。
本屋の入口あたりで二手に別れた……と、見せかけて朝比奈の様子を窺っていたら、音楽情報誌、女性誌、マンガ、そのあたりに直行かと思いきや、朝比奈は迷うこと無く、旅行雑誌のコーナーに向かって、すぐに1冊を取り上げた。
「どっか行くの?」
背後から声を掛けると、朝比奈が思った以上に驚いて、本を落としてしまう。朝比奈はすぐにその本を取り上げ、何故か隠そうとしたので、そうは行くかとばかりに上から引っこ抜いた。
「東北?青森?秋田?」
朝比奈は、強引に本を奪った俺を、1度咎めるように見つめて、
「青森。パパの田舎がそこなんだよ。夏に家族で行こうって事になってね」
俺達の夏休み、じゃなかったらしい。
「こういう時に背が高い彼氏って困るよね」と睨まれた。まー確かに少々強引にフザけてしまい、「ごめん」と、一応詫びるけど。だったら俺達はどこあたり?それを聞きだそうとして関東近辺を探っていたら、
「洋士は、どういう雑誌を読むの?」と、いきなり聞かれた。
思いっきり話を反らしたな……と少々落ちて。
だけど呼び名は戻ったぞ……と、わずかに浮上。
行きたい場所は試験が終わってから、ゆっくり考えればいいかな。ここは譲ってやるとばかりに、「向こうの映画関係ですが。何か」と指で示した。
「エイガカンケイ。うわ、何か硬そうな。凄い」
「いや、そういうんじゃなくて」そう来られると、ちょっと気取った自分が恥ずかしくなる。
「どこの映画館で今何やってるか、みたいな。そんな所なんだけど」
なんとかウォーカーとか、テレビガイドとか、そんな所だ。「なーんだ」と、朝比奈は旅行ガイドを元に戻すと、「私も見たい。行こ」と、俺の腕を無邪気に引っ張った。その場から遠ざけようとしているように感じるのは気のせいか。だがそう感じたのは、ほんの一瞬で、わずかに触れた朝比奈の柔らかい感触に意識が奪われてしまう。結果、俺の方が余計に急いでその場を離れてしまった。
朝比奈が〝Seventeen〟と〝CUTiE〟どっちの付録に決めようかと悩んでいる隣で、こっちは映画情報誌を開いた。夏の話題作に続いて、秋の新作劇場公開が紹介されている。
シリーズ最新作、とうとう来た!
「これ見にいかない?」
紹介ページを指さすと、朝比奈は笑顔でページを覗きこむ。すぐに、「うーん」と難しい顔で考え込むので、「こういうジャンルって無理?」確かにちょっとゾンビとかも出てくるけど。
「3Dとか、酔っちゃうからな」と曖昧だが、あんまり乗り気じゃない様子だ。
やっぱ恋愛物とか、ファンタジー系あたり。朝比奈は、見るからにそういうのが好きそうだけど。
「9月になってから考えない?それも宿題ってことにしてさ」
それもそうだな。
困った様子の朝比奈を見て、ここは「うん」と頷く。逃がしてやる。
「ま、学割は逃げないし」
朝比奈は、もう無邪気に笑いながら、また自然に俺の腕を取った。

2人でフードコートに降りてきたら、もうやたらと双浜生が目について困る。
思いがけずいつもより時間が出来て、それなら!と、いつもより遠出する。
考える事はみんな同じらしい。
かなり広いフードコートには一般の客はもちろん、勉強している他校の生徒もチラホラ居た。
試験期間だから勉強しようゼと、一応そういう用意では来たものの、勉強になんかなりそうにもない事は元から承知で、「現国の課題。答え合わせしない?」という朝比奈に、とりあえず従った。俺の4組と共通の先生で、試験期間にも関わらず通常通り宿題が出ているのだ。他校の群れを避け、どこか見覚えのある同輩に目線で冷やかされながら、低いパーティションに囲まれた真ん中辺りのテーブルに2人で落ち着く。
「小論文4問目の100文字って、どういう感じで埋めたの?」喜々として課題を広げる朝比奈に向けて、「ごめん。俺さ、ちょっと答え合わせ出来る状態じゃないんだけど」と白状する。
「誰か居たの?」
朝比奈は辺りをキョロキョロした。俺のコアな(厄介な)仲間が居たと思っているようで。
「そういう事じゃなくてさ。これ、全く手もつけてなくて」
だから写させて、とお願い。「何かズルいなぁ、それ」と、朝比奈は苦笑いした後で、「なーんて、私も古文はミカちゃんに写させてもらったからな」と、自らも暴露。こんな程良いハズレ感も、朝比奈の魅力だと思う。
真面目で要領良くて一寸の隙も無い。勉強も部活もキミはどの程度やってる人なの?と、こっちの真剣度合いを計られているような気にもなってしまうが、たまにこうやって気を抜いて俺を解放してくれる。
この居心地の良さ。それはナチュラルか、それとも計算で作られたものなのか。
朝比奈の額あたりをぼんやり眺めていると、彼女は不意に顔を上げた。何を見ているのか、俺の頭上あたり遥か上をジッと眺めている。にっこり笑い掛けるので何かと思ったら、
「右川さんも、ここで勉強?」
え?
後ろを振り返ると、俺の背中、低い壁を隔てた隣のテーブルに、4人グループが居る。男子が1人、女子が3人。殆どが私服だったから今まで気付かなかった。その中にあのチビ……右川カズミがいる。
4人の中で1人だけ制服姿の右川は、「そうだよ♪おべんきょ♪」とプリントをひらひらさせながら、そのままスルスルとパーティションの向こうに沈んだ。壁に遮られてその姿が見えなくなるまで、俺に向けて厳しい睨みを送りながら。「まーまー」と肩を叩かれて、朝比奈にたしなめられる。
右川とは諍いの果て、険悪なまま今に至っている……と朝比奈は信じて疑わない。確かに。その通りだ。それどころか現状、状況は悪化の一途を辿っている。
俺。朝比奈。チビ。この3ショットは危険極まりない。
あの一件は墓場まで持っていく……と俺は覚悟しているものの、果たして右川の方はどうなのか。険悪を装いつつも顔色を窺うという、今も相変わらずの警戒レベルMAXだ。朝比奈の課題を目で追いながらも、耳は後ろから漏れ聞こえてくる会話を否応なく拾う。
「原田ってさ、中間で出した問題、繰り返して出すらしいよ」
「それって、確信?それともボケてループ状態?」
「ボケてる方じゃん?顔が大泉洋って感じだし」
「ひゃひゃひゃ。てか吉森ってさ、ちょっとだけ上野樹里入ってね?」
「そこまで目はデカくなくない?」
「どっちかっつーと、大島優子的な。パーツがデカく見えるっていうかさ」
「のぞみちゃんのパーツは優子ほどデカくないよ♪特に胸が♪」
オマエは人の胸をどうこう事言えるのか。
誰も何も言わないからと、せめて俺だけは心の中で厳しい突っ込みを入れておく。察するに、私服は全員が同じクラス。みんなで試験のヤマ当てをしている最中。遊び半分。殆どは、どうでもいい雑談。
ずいぶん盛り上がっているようだが、右川がケラケラ笑いながらバウンドするその度に、震動がこっちのイスにまで伝わってくる。
「何か買ってこようか」
不意に、朝比奈が立ち上がった。
「あ、俺が行くよ」
「ひょっとしてオゴリ?」
「だな。写してもらってるし」
有り難い事に(?)朝比奈が書きこんでくれている。
程良いハズレ感は、継続中だ。
「じゃ、マックのアイスラテで」というので、俺はマクドナルドの列に並んだ。
右川の一団を窺うと、教科書でもプリントでもなく、雑誌を広げている。おいおい。舐めてんのか。
不思議に思うのが、やっぱりここでも右川以外はみんな、どちらかというと目立たない感じの子ばかりである。小ぶりで色白の男子。ちょっと太めの女子。髪の毛そこまで長くしなくても?そんな感じの女子。
確か、どれもナカチュウらしき女子で男子なのだが、俺とは全く交流がない。そんな、おとなしい仲間に混じっている右川という図が、今さらながら信じられない。
右川が男子にちゃちゃを入れられて、もつれて笑いながら、ドスンと席について……また揺れたか。朝比奈が地震を疑って周囲の反応を確認している様が可笑しくて、俺はこっそり笑った。ていうか、可愛い。
そこに、男子の2~3人グループが近寄ってきた。俺と同じナカチュウ出身。割と良く知っている輩で、いつも賑やかにワイワイと他校との合コンに明け暮れている集団である。朝比奈に気付いて声を掛け、朝比奈に教えられて俺を見つけて、指をさして……恐らく冷やかしている。何か言われたんだろう、朝比奈が真っ赤になりながら、ふわふわと俺に手を振ってきた。ヤツらに見物されながら、俺はどう返せばいいのか。そこはやっぱり恥ずかしいし……可愛いけど。ちょうどラテが来たので、それを受け取るフリでゴマかした。
ヤツらは居場所を探して彷徨っているようで、その1人が「おまえら、向こう行けよ」と右川グループにテーブル移動を余儀なくさせている。イケてないグループの哀しい性。サバンナはここでも展開されているのだ。どけどけ!とヤツらはテーブルを叩いて威嚇する。小ぶりの男子が諦めた様子で立ち上がった時、ちょうどそこへ戻ってきた俺と目が合った。どこか怯えるような眼差しで、しばらく俺を眺めている。背丈のせいだと思いたい。断じて、ヤツらと同等に扱われた訳ではない、と。
「は?なにそれ。譲れと言うなら、何かオゴるくらいの事しなよ」
怖がるでもなく、ヤツらに必死で抵抗しているのは右川だけだった。とはいえチビに勝ち目はない。他の仲間はみんな仕方なく……出来ればキツい集団は遠巻きにして、ここは大人しく譲っとこう。そんな所だろう。
ラテを手渡して、「わぁ、Mサイズだ。気が利くじゃん」と、朝比奈がコロコロ笑うのを心地よく受け止めながら低い壁の向こうを窺うと、ヤツらは小ぶり男子をイジりはじめていた。
「じゃオゴってもらおっかなー」
「オレ、シェイク飽きたしなー」
「ジャイ子!ポテト買ってこいよ」と勝手にあだ名を付けられて、小ぶり男子は買いに走らされようとしている。
「いいよ。行かなくて」と、恐らく右川が引き止めた。
「貧乏人。ケチ野郎。そんなだからいつも女子高に遊ばれんだよ」
俺は、うっかり吹き出した。朝比奈に「どうしたの?」と聞かれて、「大丈夫。げほ」咳込んでゴマかしながらペーパーナプキンでそこらを拭う。
このグループは合コンを繰り返し、そのたびに散財してバイト三昧。女子からの誘いが多くて困ると自慢しているが、真相は遊ぶ金をタカられているだけ。右川の指摘は的を射ている。
「チビのくせに生意気言うな!」
「ネズミ喰ってるくせにシェイクを飲むなぁ♪」
「何だァ!このガキ!」
「右川だよ♪この珍ハゲ」
再び、俺はラテを噴き出して咳込んだ。「だ、大丈夫?「げ、げほっ」
確かに、本人はどういうつもりか知らないが、一カ所だけ毛色の違うそのヘアスタイルは、遠目に見たらハゲにも見える。ヤバい。もう普通にこいつらと話が出来ない。