「沢村ぁ、合宿中の体育館、配分どうなってんだよ?」
「それ、全然まとまんないらしいっすよぉ」
さっき聞いたばかりだという卓球部の1年が、俺の答えをそのまま代弁して2年の先輩に伝えた。こっちは、「ハイ、それです」と項垂れる(しかない)。
ただただ暑い。
本日、今年の最高気温をマークして、その暑さは過酷を極めた。練習の合間には、サバンナの動物のごとく、みんな水まわりに集まる。そこにバスケ部が団体で王者ライオン王国のごとく賑やかに現れると、他の部は可哀想な草食動物になってサッと散らばっていくのだ。そんな中、意地でも譲らないと頑張っているのが、我らがバレー部である。それもその筈。今日はずっと外のコートで練習だった。水を死ぬほど浴びないと、もうやってられない。
生徒会室では、この所連日のように、夏の体育館の調整に追われていた。
申請が、もう後から後から……こんなに配った覚えは無いのに、出てくるわ出てくるわ。キリが無い。
修正。変更。追加。提案……こんな具合で、夏休みの体育館は取り合いだ。放課後活動とは違い、朝も昼も夕方も、練習しようと思えばできるから。該当する団体はバスケ、バレーだけではない。体操部、バドミントン、卓球部などなど。盛り沢山。
本来なら、均等に分配して事は進むはず。だが、ここでは毎年県大会で優勝候補に挙がるバスケ部が、当然のようにいつも以上の権利を主張して、毎年のようにどこかと争いになる。戦えるのは、生徒会に2人も入っているバレー部ぐらいだろう、ということになって。
「バレーは外にもネット張れんだろ」
「そうだよ。今日もやってんじゃん。そこでやってりゃ問題ねーって」
「それを言えば、バスケだって外にゴールがあるだろがよ」
「だな。全く問題ない」
夏バテを物ともしない肉食系2年同士が、さっそくヤリ合っている。
実の所……今日みたいに、体育館が確保できないとき、バレー部は外のコートで練習している。しかしバレーの場合、ボールについた土が、パスするとちょうど目のあたりにゴミとなって落ちてくるので、できれば外でなんかやりたくない。バスケなんて、元々とんとん地につく競技なんだから、外でいい。何の弊害もないはず。しかも試合になればバレーの2倍は場所を取るじゃないかと、その辺が説得材料になるのだが。
「だって外は眩しいじゃんか」
「そんなのみんな一緒だろ」
「雨降ったら困るし」
「そのリスクも同じなんだけど」
「ボールが汚れちゃうじゃん」
「それだって同じだっつーの!」
この場合、何故か3年は表だって争いに参加しようとはしない。恐らく裏で静かに、ゆるりゆるりと温い応酬が繰り広げられている。争いは2年から、そして1年まで尾を引き、また来年につながるという悪循環。
どちらかがツブれるか諦めるか(譲る?ありえない)。それまで延々と続く、仁義なき戦いだ。
「時間や日にちを少しずつずらして、結果的にうまくいくはずだから」
そろそろ水掛け合戦に発展しそうな仲間を抑制するべく、松下さんが仕切りに入った。それは……俺には半信半疑です。
生徒会室に広げられた夏のタイムテーブルは、味も香りもない赤ペンで真っ赤に染まっている。どう決まったのか、それとも途中なのか、俺には全く分からなかった。今年はバスケの大会と他所の団体事情がいくつか重なりそうなせいもあって、実際どうなるか。バスケ部に都合良く決められないように、松下先輩が間に入って、どうにか穏便に決まることを祈るしかない。
水場が、急に騒々しくなった。……と思ったら、そこに永田がやってきた。
そう言えば今まで居なかった、と気付いてからではもう遅い。いつものように、ガラガラガラガラ!と大声で歌いながら、強引に水場に割り込んで水を目一杯に出し、頭から浴び、さらに仲間にも浴びせ、それが先輩に散ろうがどうなろうが全くお構い無しで、「いやっほーい!うりゃ!」と見事な噴水を作り、ゲラゲラと笑っている。ズブ濡れになった2年の先輩が、「おい書記」と俺を呼びつけた。
……またですね。
書記!と呼ばれ、同時に反応した松下さんを軽く抑えて、「俺の方です」と頷く。
ズブ濡れの2年生は、アゴで明後日の方向を指した。
「ミッション1。おまえフレンズ。撤収。よろ~」
なかなか雑だが、先輩と後輩のケンカではなくオトモダチ同士の小競り合い、その辺りでどうにか抑えろ、という事が言いたいらしい。そしたら吹奏楽みたいに生徒会に直談判なんて、しないでおいてやる……という、ある意味、脅迫である。そういえば、永田さんが今日も居ない。てことは、俺は兄貴の代わりもやるのかよ?
意を決して、俺は永田の後ろ襟首を、無造作に掴んだ。
「あんだよッ!妨害すんのかよッ。助けてくれぇー!殺されるぅー!」
ワザとらしくバタバタ暴れる永田を引きずり、バスケ部の領分、外のゴール前に連れ出した。
「く、首がぁぁぁ!」
「もう離れてんだろが。いいかげんにしろよ」
吹き出した汗を、俺はシャツの首周りで拭った。
永田は、パッとその身を翻して、
「な、体育館の使用権は腕力で決めないか?次期会長のオレが許可するし」
「次期って、そんな気の早い……いつの話してんだよ」
「全然早くねーよ。兄貴と一緒だ。オレは次の会長、狙うぜぇ」
「ウソだろ?1年で?」
唖然とした。
「兄貴だって負けたのに、おまえなんか最初から無理に決まってんだろ」
永田が気付いているかどうかは知らないが、念のためと思い、
「次出るって言ったら、それって兄貴とも戦うってことだぞ」
永田さんは、来期はトップを狙う筈。弟が出て恥を掻く位なら、自身が出るに違いない。
「だーかーらーッ!」
自動的にムッときた。
その言い方、まさか流行ってんのか。俺に何の断りも無く。
「オレと兄貴で生徒会を占領すんだよッ。スイソーの介入なんか絶対に許さねーからな!」
共食いだ。
票が割れて、どっちも落選。結果的に兄貴の邪魔をしただけに終わる。そこまでの想像力は無いのか。百歩譲って、当確の兄貴に頼んで執行部メンバーに推薦してもらういう早道もあるけど。そこまでの頭は……無いか。バカだし。
「スイソーの予算は半分カットだッ!」
「分かった分かった。来年の話がしたいなら、涼しくなってから」
冗談ともつかない、そんな事も言ってしまった。演説に立つ永田を思い浮かべるだけで、体感温度が急激に上がる。バスケ部が水場から体育館に戻るのが見えた。バレー部も、すぐ隣の外コートで練習に戻っている。
「生徒会公認。誰も文句いわせねぇからな。剣道くんも卓球ちゃんも、外でやらせようぜッ」
その言い方は、敵にならない部活を下に見ている事が明白だ。下手に頷くと、俺までその悪党一味に加えられるように感じて怖気がする。もう相手にしてらんない。したくない。
俺が行こうとすると、「待てよッ!……なんて、キムタク風にな」
「離せっ」ウザい。心底ウザい!
練習時間がムダに奪われていく。そうでなくても生徒会で部活の時間が削られているというのに。
「いいから、向こう行けよ」
思わず永田の頭を上から強く抑えつけた。永田は俺の手掴みをつるんとすり抜けて、ボクシングよろしく構えると、「ヘイ!ヘイ!」と、ジャブをかましてくる。うっかり乗っかって避けようもんなら逆に当たりそうな予感がして、俺は離れて眺めるに留めた。
「あ、兄貴が見てるぞ」
一瞬だけ、永田のパンチが止まる。
ウソだし。
それをしっかり自分の目で確認して、「居ねーしよ!」と、永田は再び構えた。懲りない。しつこい。
「もう止めとけって。恥かくのは、おまえじゃなくて兄貴なんだから」
「説教すんな!」
「あ、朝比奈が……」
予想通り、一瞬だけ勢いは止まった。だが、これは予想以上に永田を刺激してしまったようで、「居ねーだろがよッ!」と、俺はみぞおちに一発、まともに食らってしまう。意外に軽くて痛みは感じなかったものの、勢い余って、俺はその場に倒れてしまった。
「女にデレデレしやがって。いつもいつもサカってんじゃねーよッ!猿かッ!」
カッときて、思わず右腕がピクリと反応した。ふと、永田の肩越し、コートの向こう先に立つ松下さんと目が合う。オトモダチの小競り合いで……分かってます。俺はぐったり立ち上がった。
「説教終わり。俺の負け。もうサッサと……それぞれ行こうよ」
「そーゆー上から目線ッ。スカした態度がムカつくんだよッ!」
目の前でチラチラと、永田は拳を振り回した。
何か言えば説教と言われ、負けを認めて解放してやると言うのにその態度がムカつくと突っ込まれ、ケモノとは打開策が見いだせない。なので俺は実力行使に出た。目障りな虫を追い払うがごとく、永田の拳をパチンと弾く。俺の腕の実力なんて、所詮この程度です。センパイ。
「もう練習終り?」
県道と境目の金網越し、朝比奈が……本当にやって来て声を掛けてきた。
たまたま通りがかったらしいが、不意にやってくるこんな突然に俺の動悸が少し早くなる。
それに反比例して、永田の勢いが、もう分かりやすい位に目減りしていった。
「終わりって訳ないか。みんなまだやってるもんね」と、朝比奈は遠くのバレー部員を望みながら、「サボってるの?叱られちゃうよ」と、無邪気に責めるような目をして見せた。
「沢村がタルんでるから、オレが先輩に代わって説教してやってんだけどッ」
思わず舌打ちが出た。「人には説教するなとか言って。よく見ろよ。どうみても朝比奈は信じてないだろ」
朝比奈にはウケたと、それだけに気を好くして、永田は徐々に大人しくなる。良い機会だ。「いつも、こいつに部活を邪魔されてんだよ」と、永田の悪行を売り飛ばしたら、「そんな風に見えないんだけど。2人で楽しく遊んでるみたい」と、何故かケモノと一緒に括られてしまった。あぁ?納得行かない。
そこに50人強のランニング大集団が通りがかって、俺達の立ち話は一時中断する。列の後方、そのうちの1人が朝比奈と笑顔でハイタッチを交わした。軍団の中には俺の知り合いもいて、それは目だけで確認。
ステージだけでなくその周辺も広く確保したいんだけど……と先輩に言われて直訴に来ていた男子。
朝比奈が、通り過ぎた背中を見送りながら、
「吹奏楽って、ずっと部屋で優雅にやってると思ってた。運動部と変わんないって感じだね」
「ランニングとか筋トレとか、もう普通にやってるからな」
楽器を支える筋肉。一糸乱れぬチームワーク。あれこそが吹奏楽の底力だろう。
「あんなの大した事ねーよッ。金ばっか数えて。頭ばっかデカくなってさ」
「永田くん、そんな言い方、ちょっと乱暴だよ」
「こ、これは朝比奈じゃなくて……スイソーに言ってんだッ!」
この動揺ぶりが、もうおかしい。
朝比奈も恐らく気付いている。というか、朝比奈が気付かない筈がない。
俺と2人で進む会話の最中も、彼女の笑顔はずっと永田に気を遣っている。動揺した永田を見て、朝比奈の方が動揺している。これ以上、何かを期待させるのもどうかと(多分)、朝比奈はすぐ目を反らした。
そこに、「ユーちゃん、お待たせ」と後方から女子が1人駆け寄って来る。朝比奈のクラスメートらしい。
助かったー……とはさすがに言わなかったが、朝比奈はこれ見よがしにその友達と腕を組んで、
「これからミカちゃんと、うちで一緒に勉強するんだ」
「あ、私、お菓子作って来たんだよ。食べながらやろうね」
「嬉しいなぁ。こういう所がミカちゃんだよね。洋士とはありえないもん」
「当たり前だろ」と、つい出た。
「沢村くんは色々と忙しいからさ。私なんて、代理ですよぉ」
ミカちゃんという女子は、ヒョイと敬礼した。
「そう聞くと、本当にサボりたくなってきた……」
「永田くん、部活デート、よろしくね」と、朝比奈はフザけた敬礼を重ねた。
「本当にマジで速攻、サボりたくなってきたじゃないか」
永田は、俺の額に向けて刺すような敬礼チョップを当てる。
そこから朝比奈だけに向かい、そこだけは真剣に、
「兄貴は強いし、オレも……出れると思う。見てろよ。今年もバスケは頂点いくからな」