期末試験を来週に控えて、朝比奈との放課後デートは、もっぱら試験範囲の話題に埋もれた。
「そっちさ、支倉先生の英文って、どんな感じ?」
「問題がそれほど難しくないから助かるんだけど。でも普段の課題が多いから」
「そこからも出題されるって事?」
「そうなの。もう範囲が広くて。それが困るんだよね」
最近、よく居座ることになるファーストフードでドリンクだけを買って、外が見えるカウンター席に朝比奈と横並びに座った。朝比奈はさっそく試験範囲だという課題を開いて、色ペンを取り出し、何やら印を付ける。不意に、甘い匂いが漂ってきた。
「いま何か、食ってる?」
不思議そうに首を傾げて、「これじゃない?」と、朝比奈は持っていたピンク色のペンを、こっちの鼻先にかざしてくる。「ピーチの匂いするでしょ」と、そう言われればピーチかな、とは思う。
「女子ってさ、やたらこういうのを持つよな。てゆうか、小学生かよ」
ガラクタにしか見えない。というか、朝比奈にそんな無邪気な趣味がある事自体、意外に感じる。朝比奈は小さな付箋紙を取り出すと、「これはサクランボの香りでね」と、それを嗅いで見せた。
「別に、これで空腹を紛らわせてるんじゃないよ」と笑う。
「紛れるどころか、かえってお腹空きそうだけど」
俺は、匂いの出所に朝比奈の口元ばかりを疑って、そこばかり見ていたせいで余計な期待が盛り上がってしまった。
「あのさ、夏休みだけど。せっかくだから、どっか行かない?」
ちょっと遠いとこ。
それを言うと、朝比奈はちょっと考えて、「どこまで遠いの?この辺?」とピーチのペンで、俺の地理の教科書オーストラリアにでっかい花マルを付けた。「げっ、消えねーだろ。これ」と、こっちが慌てるのを見て、アハハと笑いながら、「ところが消せるんだよ。これ」見事に消しゴムで消して見せる。
「焦ったし」
てゆうか、フザけてごまかしたな。
こっちは決して、よこしまな考えだけで言った訳ではないけれど、いつも周囲を気にしながら周辺デートとか校内周遊とかそんなのばっかりだから、たまにはこういう機会に、違う場所でずっと……いや決して、よこしまな事を考えている訳じゃないんだけど。
「うん。どっか行こうね」
そっと朝比奈が呟いた。誤魔化されたまま今日も終わると覚悟していたので、唐突と言えば唐突に感じる。
「何処でもいいから……洋士と行きたいな」
朝比奈の横顔に微妙な影が浮かんで、それも気になったけれど、それ以上に突然に下の名前で呼ばれて、急に照れ臭くなってくる。
「じゃ、どこ行きたいか考えてくるように。それ宿題な」
今度はこっちが誤魔化しに入ってしまう。教科書のページをめくりながら辺りを窺いつつ、テーブルの下で朝比奈の手を握った。
名前は……また少しお互いの距離が近くなったと感じる。朝比奈ユリコ……ユリコ……そう呼ぶ自分を思い描くだけで、もう顔が熱くなってきた。こっちは、その覚悟が決まりそうもない。
こういう時、思うのだ。
サラッと下の名前で呼んでも、朝比奈は顔色1つ変えない。俺の手を左手に握ったまま、もう普通に右手のペンは課題の上でサラサラと滑っている。付き合っている者同士が名前で呼ぶくらい取るに足らない事。
それを、朝比奈自身は経験的に知っている。そう感じさせるに十分だった。
「そんなら試験がんばらないとね」
俺がそれに頷くと、朝比奈は俺の手を、ゆっくりと解放した。