「課題プリント、今あそこで回ってて。後で貸してくれることになったよ」
ノリは残念そうに、独り戻って来た。
「ノリって、いつからそんな仲良くなったの?あれと」
「あれ、って」と、ノリは明らかに怪訝そうな顔を向けて、「そういう言い方どうなの」と、こっちがたしなめられてしまう。
「失礼でしょ。右川さん、凄く、いいコなのに」ノリは右川を褒めそやした挙句、言うに事欠いて、「よく見たら、結構可愛いと思ったりするけど」
……引いた。
ドン引きだった。すぐ横に居た男子にも、恐らく聞こえていたのだろう。
ノリを指差して、ヤベぇ~こいつヤベぇ~と、俺に向かって目で訴えていた。
右川の事を、周りはチビとかツブとか、黒川に至っては昆虫だとか。そんな中にあってノリだけが、「髪の短い有村架純みたいだ」とノタまっていた事を思い出す。もう頭がどうかしているとしか思えない。
「ノリ、一応言っとくけど、おまえにはちゃんと彼女がいるんだからな」
それを聞いて隣り男子が、「ひょ~」と冷やかして歌った。周知の事実として、ノリの彼女は別の高校に通っている。もう中学時代からの付き合いだ。
「だーかーらー」と、ノリはまた右川の口癖を真似た。「そんなんじゃないよ。右川さんって小さいから、ちょっと妹みたいっていうかさ」
ノリには実際、年の離れた小学生の妹がいる。
「ちょうど右川さんくらいの背丈だし」
半分言い訳がましく聞こえてしまうが、「そういう事なら……まぁ」
妹は小学3年生だというから、あのぐらいの背丈だと、その年齢の割には高い方かもしれない。
見ると、廊下には吉森先生がもう来ていて、永田と黒川に捕まっていた。
黒川は、制服のポケットに手を突っ込んで、どこか、ちょいワル風?そんな雰囲気に見せる。「関係ない人は早く教室に戻りなさい」と注意されても、「うるせーよ」と聞こえるか聞こえないかの悪態をついて目障りな風に見せてはいるが、何故かいつまでもそこに居座っている。(永田も)
「黒川ってさ、吉森にヤケに突っかかると思わない?」
急に何を言い出すのかと尋ねると、
「黒川さ、吉森先生に気があるらしいんだよね」
「そうなの?」
結構驚く。ノリがゆっくりと頷いて、「たぶん、って女子が噂してた」
それは嘘臭い気もする。「つーか、胸無いだろ。あの先生」
いつか黒川に向けた眼差しを、ノリはここでも見せて、「洋士はそんな事言わないと思ってたのに」と、どうやら俺は見損なわれた。
黒川のせいでノリとの間に亀裂が入るというのも、何だか馬鹿馬鹿しい。
「そう言う事なら、これからじっくり黒川を観察させてもらうとするか」
足の一件、復讐も兼ねて。
1組を出る間際、俺は思い出したように、右川が消しそびれた1文字を楽々と消した。背後から、「うわ、沢村って、でけー」と女子の声。
それを1番前の席で聞いていたであろう右川が、
「単にタテに長いだけでしょ。肝心の足が短いっていうのがねぇ」
聞えよがしだ。仲間の方が慌てて、「ヤバいよ。聞こえちゃってるよ」と右川を諌めている。
「お聞き頂いておりますぅ。お互い様だよ。あたしだって、こいつにチビチビ言われてんだからさ」
俺は半分振り返って、肩越しに睨んだ。右川も負けじと睨み返してくる。教壇の1段高い位置から俺が、席についてかなり低い位置から右川が……フン!と、ソッポを向いた。こっちが言い返せないのをいい事に図に乗っているとしか思えない。いつまでも、いい気になるなよ!(って、いつまでだろうそれは。)
そこに、吉森先生が入ってきた。(永田と黒川を振り切って)
黒板を消していた俺を見て、「わ、どこの先生かと思った」と、大袈裟に驚いて見せてくれる。
「あ、じゃ、代わりに授業やっときますか。自習で。課題は無しで」
生徒会担当の吉森のぞみ先生とは、そんな軽口も叩けるほどにお馴染みだ。
前列(右川以外)の笑いに紛れて、俺は1組の教室を後にした。黒川はもう居なかった。授業が始まってしまえば1組には用無し、という事か。吉森先生の件に関しては、まだまだ俺には半信半疑である。
永田が、どこか収まりきらない様子で、ぼんやりと俺の後を付いてきた。
「沢村さ、実の所どうなんだよ。……白状しろよ。夏とかどうすんだよ」
「まだそんな事を」
聞かれても答える訳ないだろ。「暑苦しいな」
ふと、掲示板に貼り出してある新しい校内新聞に目を留めた。
『〝吹奏楽部 チャリティコンサート チケットの売り上げを寄付に〟』
それを横目に見ながら4組の教室に入ろうとした時、「朝比奈だ」と、永田がポツンと呟く。見ると、廊下の窓から見えた向こう1号棟に、朝比奈の姿があった。5組の担任、支倉先生と何やら立ち話をしている。
「ヤべぇー……セクハラに奪われんゾ」
人聞きが悪い。ハセクラ先生に同情する。「サッサと行けって」と、永田を5組の先に追い払った。次に見た時、もう同じ場所に朝比奈の姿は無い。
何故か同じ場所を、ノリと右川が肩を並べて仲良く歩いているのが見えた。
って、授業中だろが。
「おいおい。チビとノリきち。急接近じゃねーかッ」
「まだ居たのか。んな訳ねーだろ」
吉森先生が何か忘れたとかで、当番だから取って来いとか頼まれて……ノリに代わって、そんな言い訳を呟きながら、まだまだ貼りつく永田を振り切って4組に飛び込んだ。