7月に入って、やけに目立つ。
ノート、下敷き、雑誌、その辺を団扇代わりに周りがバタバタと仰ぐので、こっちは特に仰がなくても勝手に風がやってくるといった具合だ。その生ぬるい風に、なにげに眠気を誘われる。
だからといって寝ている場合ではない。期末試験を2週間後に控えて、続々と試験範囲が発表されている。レポート課題提出などは、さっさと終わらせるに越したことは無いと、ここぞとばかりに、誰だか宛てにしているヤツらのノートに向けて一斉に群がるのだ。
2時間目の授業が始まる前、ノリがいる1組の教室に来てみた。
知り合いからの第一声、「あれ、珍しー」
確かに俺は、何の用も無く自分からどこかのクラスに出向いていくことはあまりない。後ろの方の席にノリを見つけて近づくと、「珍しいじゃん」と、ノリにまで言われてしまった。
「原田の長文さ、6月の課題って全部揃ってる?」
ノリは家にあるというので、さっそく約束を取り付けた。部活でも何でも中学時代から組んでいるので、1番気心が知れていて頼みやすい。真面目で几帳面だから、何より信用できる。
急に1組前方が騒がしくなったと思ったら、永田がやって来た。5組から1組にまで、わざわざ何しにやってくるのか。親しいケモノ仲間も居ないはずだが。
ドンガラガラガラ!と、さっそく歌いながら、教室の黒板前で訳分からない文字をデカデカと描き始めた。×××と、放送禁止用語だけは堂々とはっきり書いてしまう辺りが、さすがのケモノ。
生理的に受け付けないと、「やだぁ。もう」女子が背中を向けた。そんな女子の反応を喜んで眺めている男子も居たりする訳で、こうやって永田の暴走は助長されていく。質が悪い。始末に負えない。
教室を出る時に、俺が消そう……頭の片隅にミッションが灯った。
1年5組 永田ヒロト。
茶髪で短髪。鍛えられた筋肉が自慢の、身長173センチ。俺よりも10センチ以上は背が低いのだが、毎度のオーバーアクションがくせ者で、1・5倍はその存在を大きく見せている。
いつも思うのだが、「一体どこまで下ろすんだよ」ローウェストの制服ズボンは、見るたびにズレ落ちている気がする。工藤ではなく、まずおまえ自身の貞操観念が危ないと言ってやりたい。見ていると、自称・綺麗め女子軍団に何気に近寄って、ズボンのポケットに手を突っ込み、これ見よがしに構えて見せた。
カッコつけやがって。
だが、誰だか知り合いがエロ本を持っているとかいないとかで話が弾んでいると、今度はそっちに気を取られ、ポケットの手はすぐに飛び出して1番にそれを掴んでいるのだ。女子、秒殺。
不意に、知り合い程度に親しい女子が、俺達の横にスッとやってきた。
「もー。地味に暑くね?」
短か過ぎる髪の毛が特徴の女子だった。
「そういう頭でも暑いのか」
「こういう頭だから直射で暑いんだよぉ」
何の意味が有るのか、その短い髪にしきりに櫛を通した。俺達の目を1度も見ず、とはつまり興味の無い男子には全く目もくれないという態度が如実な、女子バスケ部1年、Aグループ筆頭である。それが何の用だ?
「永田さ、昨日、吹奏楽のヤツに嫌がらせ、ブチかましたらしいよ」
「またか」
俺もノリも呆れて見せた。
「今朝、吹奏の部長が怒鳴り込んだらしくてね」
「怒鳴り込む?どこに」
「生徒会だよ……って、聞いてないの?」
俺は聞いてない。部長まで出張ってくるとは、これは只では済まない気がする。
聞けば、永田は吹奏楽が中で練習している事を100も承知で、「うるせーぞ!暑苦しい音出してんじゃねーよ!」と、己の暑苦しさを振りまきながら、ガラガラガラといつものように渡り歩いたのだという。
聞いているだけで滅入ってくる。
「お兄さんに頼んでさ、どうにかなんないかな。あのバカ」
「って、そう思うなら俺じゃなく、自分で頼めよ」
何と言っても、バスケ部の、そちら側の事情なんだし。
それを女子も感じ取ったのか、
「男子の先輩に、そんな生意気な事言えないじゃん?」
そこは分かってよとばかりに呟いて、仲間を見つけて向こうに逃げていった。
「俺だってそうだけど。じゃノリよろしく」
「僕だって」
「言ったとしてもどうかな、兄貴も見えない所は放ったらかしだから」
永田兄弟は怖いものなしだ。
〝この所、バスケ部に甘くないか?〟と、吹奏楽部は生徒会長を通じて、執行部にチクチクとくる。特に1年の俺には言いやすいとばかりに、1番チクチク。それにささやかではあるが、たまにバレー部も乗っかる。
「執行部に2人も居るんだから、どうにか練習場所の確保出来ねーのかよ」
生徒会は、要求と不満の捌け口だった。
「それも来年、松下さんが会長になるまでの我慢だよ。そしたらバスケにも吹奏楽にも、やりたい放題なんか絶対にさせないよ」
ノリは力説するが、松下さんは来年、会長に立候補するんだろうか。
永田さんを押しのけて?ガチで戦う?
穏やかな性格が災いして、決断できない気がする。
現行、生徒会執行部を思った。
俺は入学早々(陰謀で)書記に任命されて、3カ月が経つ。
生徒会執行部は、吹奏楽部3年生の生徒会長を筆頭に、副会長がバスケ部で2年の永田さん。書記は俺と、バレー部2年の松下さん。俺と同じで1年から会計に入った、茶道部の阿木キヨリ。この5人体制である
放課後、俺は早速、バレー部と生徒会の往復を余儀なくされて……部活と生徒会の両立はハードで、2つの事が重なって、いきなり忙しくなった。どちらかというと部活がおろそかになる事が多いように思う。松下さんとは同じ境遇なので、俺だけが部活が忙しいからと愚痴って生徒会をサボる訳にもいかない。
せめて夏の間は……バレーに集中できるだろう……集中したい……集中させてくれ。だけど今年の夏は、また別の事が頭を悩ませていて。
急に、耳をつんざくような破裂音がしたと思ったら、キャッ!と女子が悲鳴を上げた。すぐ脇を野球のボールがコロコロと転がっていく。永田がそれをキャッチして、また後方掲示板に投げてぶつけた。再び破裂音がして、そこら辺の女子がまた、キャッ!と悲鳴を上げる。そこら中に埃が舞う中、女子からまるで悪党を見るような目で睨まれても、「ストライク、アウッ!」と、満足げに声を発して、永田はニコニコと俺らの隣に居座ってしまった。少なくとも、俺の周り半径3メートル以内に女子は居なくなった。
「向こう行けよ。俺まで悪党の一味だと思われんだろが」
「何だよッ!元気出せッ!こんな所でツブれてんじゃねーよ。こすってやろうかァ?ヘイヘイ」
「るっせーな。向こう行けって。燃やすぞ」
暑苦しさも手伝って、つい悪態を付いてしまった。(悪党、決定。)
気が付くと、後ろに黒川が居て、「さっき松下クンから預かったし」と何やら紙を渡される。
〝夏休みの体育館利用申請書〟
クリップで〝該当する所の分だけコピーして、部長に配っといてくれるかな?〟とメッセージがあった。「了解」と溜息をつく。
黒川はニヤニヤと笑いながら、俺の前のイスに居付いた。
と、思ったら。
「おまえ昨日、朝比奈とヤッただろ?」
「は?」
朝比奈というのは5組に居る俺の彼女な訳だが、朝からいきなり何言うんだという感じである。おかげで半径3メートル以内に、女子がさっそく戻って来た。もう興味深々で聞いている。仮にそうだとしても、こんな所でオマエになんか言うか。
「オレ、そういうの、何気に分かるんだよなぁ」
黒川は、「理由は、その足だ」と指をさす。
足?
「今日は45度に近い。いつもより大きい。これは間違いない」
「なんだそれ」
聞けば、座っている時、いつもはそこまで俺の足は開いていないらしい。
「そんなとこまでよく見てるな」と違う所に感心してしまう。てゆうか、黒川の思い込みだろう。
「俺っていつも……どんぐらい?これぐらい?」と足を開いて、ノリを相手に検証してみた。
「分かんないし。知らないよ。黒川のそれって、本当に当たってるの?」
「オレに聞いてんじゃねーよ」と、黒川はノリの頭をパコン!と叩いた。
「その答えが合ってんのかどうか、それを沢村に言わせて反応を楽しむ所だろ」
空気読め!と、ノリを責めたてるので、「どっちにしても、言うか」と刺した。
「ふだん足が開かないのは当然だろ。机の下に収まってるんだし」
ここではイスだけを借りてお邪魔しているので、足周りがフリーになる。だからいつもより余計に開いてしまうというだけ。……ここで嫌でも気付いた。永田が、やけに大人しい。様子を窺うと、黒川と一緒になって、そして黒川よりも熱心に、俺の足をジッと見ている。その熱い視線が気になって、いつもはやらない足組みまでして、その視線を避けたらば、
「あ!沢村のヤツ、ちょっと微妙な反応したぞ。な?したよな?」
黒川が同意を求めても、永田は何も言わず、まだまだジッと俺の足を穴の開くほど見つめていた。
そんな、くだらない事でも、もう気になって気になって仕方ないんだろう。
永田は……同じ5組の朝比奈をクラスメートという以上に意識している。これは、もう確信に近い。
永田が暴れたら、これをネタに揺さぶってやろうかと企む事もあった。だが、朝比奈の名前を出すだけで、まるで陥没したように大人しくなる永田を見ていると、あまりにもその様子が真剣なので、必要以上に刺激するのもどうかと迷ってしまう。
永田が乗って来ない事に不満を感じたのか、黒川がぷいと教室から出て行った。途中で足元の野球ボールに気付いて、こっちに蹴飛ばしてくる。それが転がって転がって……俺の足元で止まった。それを拾った瞬間に、手のひらに懐かしい感触が蘇ってくる。
少年野球。
「あのチーム、今も生きてんのかな」
「僕らん時って、メンバーぎりぎりだったよね」
ノリと、そんな思い出話に話題はスリ替わった。永田の何を許した訳でもないが、足の話はもう聞き流しておけとばかりに、ゆっくり、野球ボールを永田に手渡す。そろそろ教室に戻ろうかと立ち上がって……ミッション。黒板に目をやると、永田の悪戯書きがいつの間にか半分、跡形もなく消えていた。
見ると、女子が1人、果敢にも俺のミッションを代行している。悪戯書きは殆ど消えてはいたものの、最後の1つがどうしても消せないらしい。高い場所のその1文字をどうにか消そうと躍起になって、その女子はピョンピョン飛んでいた。手を貸してやりたい。だが、俺にはそれが出来そうもない。
てゆうか、なんでおまえなんだ?
噂に聞けば、身長145センチ。相変わらず、もじゃもじゃの毛玉頭。遅れ毛、アホ毛がツンツンしている。
ツブと呼ばれ、昆虫と蔑まれる。そんなナノ級チビ。
右川カズミだった。