2学期が始まった。
炎天下で始業式を終えて、HRが始まるまでの間、ノリの居る1組にやってくる。9月に入ってもまだ暑い。うちわやら下敷きやらが、忙しくバタバタ暴れていた。そんな中、本人不在のまま、またしても右川の会が始まっている。ノリは合宿の時の興奮さめやらずのようで。
「さすが右川さん。頭いいよな。ほんとシナリオ通りに進んでさぁ。そうだよな、数学が得意だもんな」
まるで思い出を懐かしむように、遠い目をする。
「僕は洋士を信じてる……って、決めゼリフ。自分で言いながらシビれちゃったよ」
そこか。
そこすらも右川のシナリオなのか。少年野球を通じて小学校時代からの長い付き合い。そして優しい思い出の数々。そんなオマエの相棒は、すでに以前の俺ではないからな!
チッと思わず舌打ちが出た。
あの時、永田バカに復讐できるという期待感からバレー部1年は右川と組んだ。
「オレも行きたいよぉぉ!」と地団太を踏んだ工藤は、「出てくるな」と右川に釘を刺されたらしい。
坊主頭という条件に工藤が怯んだから……ではない。察するに、俺を次期エースだと持ち上げるための手段だろう。バレー部1年の意地と誇りと夏の体育館をかけた試合に、1年の有望株、恐らく次期エース間違いなしと言われている工藤が居ないのはおかしい。ニヤけてる場合じゃなかった。
そこで気づくべきだった!
それ以外、朝比奈もノリも次期エースも、永田先輩の思惑もそれにクロスして、何もかもが右川の仕込みだと言うから……涙が切れそうだ。
「結局、あの時マジで戦ってたのはオレだけか」
呟いたのは、俺と同じで何も知らされなかった黒川である。マジで戦った?どの面下げて?嘘とはいえバレー部の危機に何のやる気も見せなかったくせに。「いつも通り。男は平常心だろ」とか言ってる。先が思いやられる。
そろそろ先生が来る頃だと、ノリに合図して席を立った。
前方の扉から廊下に出ると、いつもの大きなリュック、恐らくそのぺチャンコ具合から判断して空っぽのリュックを担いで、向こうから右川がやってくる。
目が合った。
何をどうすればいいのか決まらない様子で、お互いに立ち止まる。だからと言って、こっちからわざわざ駆け、寄って言う事も無い。俺の方も、どうすればいいのか分からなくて、ただ立っていた。
そこに永田が現れた。俺の真横を素通り、右川を目掛けて突撃すると、
「この、くそチビ!どうしてくれんだよッ!」
永田の頭は、あの日の約束に従って短く剃り込まれていた。クソほどウケる。
「朝比奈さんがさ、永田くん似合いそうだねって笑ってたよ♪」
永田は〝朝比奈が似合うと言った〟という都合のいい方だけを聞いて微妙に大人しくなり、その朝比奈は今日からもう居ないという事実を右川から聞いて……恐らくここで初めて知って、言葉を無くしている。
あの日、朝比奈は右川に言われて永田の世話に張り付いた。「あー、面白かった」と、あの帰り道で朝比奈は大笑いしていたのだが、その辺りは全く伝わっていない。「永田くんの坊主頭、撮って送ってね」と頼まれているけれど、これはかなり厳しいミッションだな。
〝このワンピース。一応、思い出に取っとくね。右川さんの血統書付きで〟
やっぱりコロコロと笑って……その朝比奈は、もう、ここには居ない。
右川相手に暴れてスッキリしたのか、永田は次第に鎮まった。また俺の横を、今度はどこか同情めいた目線を投げながら素通りしていく。そこでまた右川と目線が繋がったけれど、それを右川の方からプイ!と断ち切って、後方の扉から1組に入った。
何か聞いた?とは、朝比奈の転校のこと。ノリは右川と一緒に、偶然それを聞いたらしい。
謎めいた問い掛けの数々。あれは右川なりに悩んで、考えて、朝比奈の事を教えようとしていたのか。
と、良い方に考えたりしてみる。とはいえ、すっかり許すほどには気持ちが治まらない。〝お仕置き〟そんな事を右川なんかに頼む永田さんも永田さんだ。安易に乗っかった松下さんもどうかしている。
「ワザと下手こくのって意外にムズいよな?」「途中から、速攻要らねー!とか思ったし」「あと6人も要らねーとか思ったし」「あるある!」そんなバレー仲間の会話に入れない。俺は夏中、蚊帳の外に置かれた。
確かに、山下さんにチクった事は悪かったと思うけど、俺だって最初から作戦を知っていたら、これほどヘトヘトにはならなかったのに。喜んで協力してやったかもしれないのに。
自分だけが置いてけぼりを食らった夏だった。その夏が終わり、隣に朝比奈も居ない。どうしてくれるんだ?秋の訪れがことさら身に沁みるじゃないか!
HRの終盤、担任からは授業の課題をどっさり渡されて、爆死。
そして放課後。今日は部活より先に生徒会室にやって来た。
すでにその場に居た永田さんから開口一番、「悪かったな、色々と」と思いがけず優しい言葉を掛けられる。「最近は、オレが何言ったって聞かないよ」と、さっそく弟のバカさ加減を愚痴られた。よく考えたら、ここで2人きりになる時、松下さんからは吹奏楽部とバスケ部の愚痴を聞いている。そして今、永田さんからは弟の愚痴を……まさか2人共、俺に甘えてますか。
夏休みの体育館の件は、表向きバスケ部が折れてくる形で、毎年通りの折半となった訳だが。
「来年がまた思いやられるよ」
「また1回ドン底に落とせばどうでしょうか」
永田さんには、右川のような事を言ってしまう始末だ。
その後、いつもより長い部活を終えて、ノリと2人、右川亭に立ち寄った。右川も居て、エプロン姿も甲斐甲斐しく、さっそく店を手伝っている。相変わらず、ここに居る間は、まるで別人だ。
「いい加減、今日は家に帰れよ」と山下さんに突かれて、むぅ~と膨れて見せている。(可愛いくねーワ!)
「そんなに家が嫌なの?」とノリに訊かれて、「親父がウザくてさ」と右川は顔を歪める。
本当に、それだけか。
わずかに浮かんだ疑惑。というか、ある意味、周知の事実かもしれないが、当人勢揃いのこの場では何も言わないでおいてやる。またチクった!と指をさされたくもないし。
不意にスマホが点滅した。慌てて取り出して開いたら何の事は無い、永田からLINEで、『明日さ、合コンすんだけど。おまえも行かね?』だった。朝比奈が離れた途端に、これだ。永田なりに、俺に気を使っているんだろうけど。すっかり元気だな。よかったよかった(?)。
朝比奈が引っ越して行った8月下旬より、最初の頃は毎日来ていた彼女からのLINEが、2学期が始まった途端、3日に1度になる。今日はまだ1度も来ていない。新しい生活は考えていた以上に大変なんだと思う。
俺達は、残された夏1ヶ月足らずを思う存分楽しんだ。
普通に、花火大会。
塾をサボって高尾山。
新しく出来たというプラネタリウム。
初めて、朝比奈の家にも行った。家の中は、もうすっかり片づいていて、さっきまでいつもと変わらないデートを楽しんでいたそこに、忘れかけていた事実を突きつけられる。
急に黙り込んだ所に電話が鳴って、音に驚いて朝比奈が立った。その様子から察するに親だろう。
「お土産買って来るって言ってた」
2人とも昨日から引っ越しの手続きに行ってるらしい。
「青森なんて、遠すぎるから」
だから電話のノイズが凄かった。
そんな他愛もない会話の中で、1つの状況がぼんやりと浮かび上がる。
誰も居ない。
今日、親は帰って来ない。
いつまでも一緒に居られる。
望んでいた状況にありながら、いつものように先を急いで朝比奈に甘える事が出来なかった。
「ごめんね」
朝比奈が突然謝るので訳を訊ねると、「洋士の事、親に何も言ってないから」
それを聞いて、俺も同じだと言う。
「ミカちゃんの事も話してなくてさ」と聞いて、「それはさすがに驚くよ」
今夜の言い訳に使う程親しい友達なのに。
転校が常の朝比奈は、もしかしたらすぐに離れてしまうかも……そんな事ばかり考えて、いつも親に言うタイミングを無くしてしまうらしい。
〝こんなに楽しくて勿体ない。これ以上、仲良くなったら困るかもしれない〟
朝比奈の部屋は何も無かった。
エアコンの音だけが聞こえる。暗闇の中、何も見えないはずなのに、綺麗な女の子だと思った。
遠くなっても、このまま続けていいんだけど……確実にどうとか自信がない。青森なんて遠すぎる。
「正直よく分からなくて。今まで付き合った子も、自然の流れっていうか」
だから、心の距離も受け入れてしまう。
「沢村くんから、3カ月分のお菓子をもらった気分だよ」と彼女が笑うので、「あっちで、あんまり食い過ぎんなよ」と、少々ムードのない事を言ってしまった。
〝沢村くん〟と呼ばれる所から始まって、いつのまにか〝洋士〟になって、なのにこっちはいつまでたっても〝朝比奈〟だった。お互いの距離が近づいたと思った矢先に朝比奈の転校が決まって、こんなに親しくなっても最後は〝沢村くん〟……それが、俺達には合っているような気もする。
朝になって、朝比奈と近所のコンビニに出掛けて、いつものように雑誌を開いて、マックとか公園とかをハシゴして、再び空が暗くなる頃、またいつものようにキスして別れた。
驚くほどいつも通りだった。
明日も普通に会える気になってしまう。