「バレーで戦ってやるのは、あくまでこっちの温情だからな。ハンデは当然だろッ!」
ネット越しに、永田が中指を突き立てた。
バスケが負けたらオレ様が坊主になっちまう……その目に微妙な影があったと思えなくもない。
3セットマッチ。2セット先取を勝ちとする。3セットは15点まで。これは通常の試合と同じである。違いは、バスケ部側がハンデ10点からのスタートという事だった。「負ける気がしねーッ!」と永田はテンションを上げる。こっちとすれば、負ける訳にいかねー!であった。「とにかく勝てばいいんだし」「勝つよ」「勝つとも」「当たり前だろ」メンバーと口々に威勢のいい言葉を並べていても、一抹の不安がよぎる。
「負けたら坊主って……俺だけストレス、ハンパ無い気がするけど」
こっちはノリの指示で決まった6人をメンバーに入れた。残りの3人を補欠に置き、そこに松下さんがやって来て加わって、ささやかではあるが応援団が出来上がっている。朝比奈も、恥ずかしそうに松下さんの隣に並んだ。すぐに目線が繋がって……もう試合なんか、どうでもよくなってくる。(という訳にもいかないけど。)
試合が始まった。
1セット。
第一号、ノリが手加減して放った激甘のサーブを、あっちはたった1度のレシーブで返してきた。
それを簡単に受けて、こっちの攻撃は難無く決まる。「相手にならねぇな」隣で黒川が呟いた。黒川の言った通り、10点のハンデはアッという間に詰められた。最初からこちらが圧倒的に強い。自然に逆転した。
「真ん中!ガラ空きじゃねーかよッ!何やってんだよッ!寝るなッ!」
永田が仲間を責めて、暴れ出した。
「だってこいつがテクニカル狙うから援護しろとか抜かして」「おまえが邪魔なんだよ」「邪魔はおまえだろ。俺の動線、邪魔すんな」「次にファウル取られたら殺すからな」「ハイ、殺されんのはオマエ決定!」
仲間割れは当然の展開というか、今謝れば対決も無かった事にして許してやると言ってもよかったが、「このまま勝てば8月の練習が順調にいくね」とノリが笑うので、思い止まる。
こっちの黒川が、最初から全くやる気が無いのが気になった。いつものように淡々とこなしてやがる。勝っているからいいようなものの、足手まといなら絶対降ろしてやるからな。
あっちで言うと、右川がいい加減の最たるものだった。「お願い♪」と何度もボールを見送って周囲に振る。お願い♪お願い♪と、ただただ振っている。最初からあんなお遊びバレーで活躍できる訳がなかった。ノリに教わった技の数々はどうしたのか。俺は素人同然の相手に、うっかりいつも通りのパワーで速攻をキメてしまい、「大人げねーぞ」と黒川に刺されて、仲間のハイタッチは緩く受け止めるに甘んじる。
試合にそれほど集中力を必要としないと感じた辺りから、俺は朝比奈の方が気になって仕方ない。
目が合った。朝比奈が、両手で口元を押さえた。まさか感極まって……泣いてんの?驚くし。そこまで喜んでもらって嬉しくないと言えばウソになるけど、そこまで……いや、泣く程の事じゃないんだけど。
朝比奈が恥ずかしそうに俯いた。こっちの方が恥ずかしくなってきて、隣のノリに目を移すと……小さく親指を突き立てている。得意げに。誰に向かって?それが何だか、あさっての方向に思えて妙な気がしたけど。
シラけた黒川も、チームも、いつも通り。この調子。これなら最後まで楽に勝てるだろう。
「くっそー!10点でもダメかッ!」
永田には、かなり焦りが見えた。ふと右川を見ると、「永田先輩ぃ、暑いからアイスおごってくださいよぉ♪」「オレ、さっき喰ったばっかだな」「ええぇぇ、ずるいぃ♪」声が弾んで弾んで。試合中であるにも関わらず、永田兄貴と雑談で盛り上がっている。
投げてんのか?開き直ってんのか?笑ってる場合なのか?
右川にも何か罰を考えておけばよかったと思う。やっぱ坊主だな。チビの坊主頭か。なんと愉快な見世物だろう。ケケケ。そんな悪企みを考えている間に、1セットは終了。もう楽勝♪
ゆる~く喜んで仲間とベンチに戻った時……朝比奈は何処かに消えていた。
妙に肩透かしを食らった気分になる。
休憩中、朝比奈は戻ってこないまま、試合は2セットへ突入した。

「ちくしょう!」
永田が、天井に向かって叫んだ。
2セット。
当然のように、またしてもハンデ10点を要求されて、こちらは甘んじて受け入れ、これもバレー側が最初の10分であっさりハンデ分を奪い、勝利が目前に迫った。
「止めだ止めッ!沢村ぁ!こうなったら、バスケでやろうぜッ!」
「いまさら何だよ。それならもう」
辞めよう!と言いかけたところに、今までどこに居たのか知らないが、右川が慌ててやって来た。
「だめだめだめだめだめだめだっ!バスケは絶対に、だめ!」
「何でだよッ!あっちにハンデやりゃいいだろがッ!」
「だって!ほら!バスケだと体当たりかなんかでケンカになるでしょ!この境界線があるバレーがいいの!」
右川は愛おしそうにネットを撫でた。説得力がありすぎて驚く。一応もっともではあるが、やけに性急で、話の本筋から逸らされた気もする。
朝比奈は、何処かに行ったきりまだ戻って来ない。あのまま帰ってしまったとは考えたくなかった。
「はい、戻って戻って♪」と、右川に追い立てられるように、永田はコートに戻る。試合が再開された所で間もなくバスケ側から「タイム」の声が掛かった。とりあえずこっちもチームで円になって、作戦タイム。
「っていうけど、特に何も無いよな?」
「無ぇな」「無ぇワ」「てか工藤は?」「来ねぇし」「明日の事と勘違いして寝てんじゃねーの?」「てか、もう来なくてよくね?」仲間と笑い合い、お互いの功績を労って、スポーツ飲料をいつもより丁寧に飲むだけだった。
朝比奈が、まだ見えない。
「ノリ、どうかした?」
俺と同様、落ち着きなく周りをキョロキョロしていたので気が付いた。「うん……」と、また忙しなくノリの目が動く。俺どころじゃない。全く落ち着きがなかった。突っ込んでと聞こうとして……しかしこの時、バスケ側で信じられない事が起きていて、そちらに目を奪われてしまう。
朝比奈が……いつの間にか消えた朝比奈が、いつの間にか戻って来ている。
それもバスケ側に。
円陣の真ん中に居て、ニコニコと永田に付き添っていた。永田にタオルを渡し、飲み物を渡し、肩なんかも叩いている。「永田くん、頑張ってね」とか言ってる。
……一体、何が起こっているんだろう。
よりにもよって永田を応援しなくても。俺が坊主になってもいいのか。さっきの涙は何だったのか。いや、もしかして笑っていたのか。いや、そこまで朝比奈は悪魔的ではないんだから!
動揺している俺を見て、「ざまーみろッ!がはは!」指までさして、永田は高々と笑う。
朝比奈は1度も俺と目を合わせようとしなかった。こっちは試合どころじゃなくなってくる。それでもバレー部の夏が掛かってると思うと落ち込んでもいられず、後ろ髪引かれる思いでポジションに戻った。
俺のアタックが2回続けて決まる。仲間にハイタッチしようとして手を上げると、右川が不適な笑いを見せた。
何だ?
何が可笑しい?
俺はチームをぐるっと眺めた。黒川は最初からやる気はない。だが無難に決めている。その他もいつもと変わらない。変わらない。変わらない。その筈だった。だがどういう訳か、そこからノリをはじめ、こちら側の動きがすこぶる悪くなる。1度も仲間のフォローに走らない。へなちょこボールを見合って、何度も取りこぼす。ノリにボールが集まらない。とはつまり、俺の攻撃までに繋がらず、そこからチャンスが1度も回って来なくなった。
「おまえら、どうした?調子悪い?」
もしかしたら昼間の練習で疲れが出たのかと。
だがメンバーは、落ち込むでもなく開き直るでもない態度で、「悪い」「暑い」「疲れた」と1言ずつ。たった、それだけ。ムッとした。だがここでケンカになってチームワークを乱したくないからと我慢する。ミスはそれ以降も、ひっきりなしに続き、そのうちバスケ側の得点が、こちらを越えた。このままでは2セットを取られてしまう。
「タイム!」
俺は強引に差し込んだ。
「みんな本当に一体、どうしたんだよっ」
意外な展開に不安を覚えているのか、みんな口数が少ない。ノリが、妙な具合に腕を動かした。握りこぶしのまま、しきりと腕をさすっている。
「腕、どうかした?まさかケガした?」
「や、いや、サポーターが……ずれて……」
ノリは、これ見よがしに腕のサポーターを1度下ろし、「平気平気」とズリズリ引き上げる。
「頼むよ。ちゃんとやろうぜ。本当に負けたらヤバいだろ」
俺は恐る恐る、松下さんを窺った。笑ってる……どうして?ボロ負けなのに。まさかヤケですか。
そして朝比奈が、またしても消えた。
結局、このセットは負けた。