試験が終われば、その解放感のまま部活に突入。
程なくして、松下さんに呼び出されて生徒会室に投入。
こうして、いつもの放課後が戻って来た。
終業式を終えて、今日から夏休み。(正確には明日から。)
『今日は用事があるから、ごめんね』と朝比奈からLINEが来ていて、今日は別行動の放課後になった。陽も暮れかけた頃に部活を終えて、バレー仲間とは、いつものスーパー自販機の前で別れる。ノリとは分かれ道のその先駅まで一緒に歩いて、「うん。今日またこれから彼女と会うんだ」照れ臭そうに改札に消えていく背中を、どこかホッとしながら見送り、そこからまた引き返してブックストア、レンタルDVDショップ、いつも中途半端に見ている店内をつぶさに見て回り、最後はやっぱりいつものコンビニに落ち着いた。いつものように雑誌を開く。
ディズニーランドの夏イベント。
海岸イベント。
野外ライブ。
夏休みを目前に、口実になりそうな行事はたくさんあった。
どれになっても朝比奈は喜んでくれる気はしたけれど、彼女の求める場所とは微妙にズレているように感じて、俺は予定を決めかねている。試験が終わってから後、こっちが部活や生徒会に忙しくなったと同時に、朝比奈の方も何やら忙しい事があるらしく、一緒に帰れない日が続いて……ひょっとして、強引に要求を押し通そうとする俺の勢いに、朝比奈の方は急に戸惑いを感じて、実は避けられているのではないかと危惧している。
朝比奈には、全てにおいて恐れは感じられなかった。俺がどこに引っ張り込んでも少々困った様子は見せるものの、しばらくすれば、もう余裕で応えてくる。戸惑いはあっても、恐れは見えない。
こういう時、いつも思うのだ。
朝比奈は、やっぱり色々と知っている。
こんな色々は、もうとっくに経験済みなんだと。
そういう状況に、俺はすっかり甘えていた。側に朝比奈が居る時は、気が付けば、いつも人気のない場所を探している。誰も居ない場所、2人きりで何時間でも一緒に居られる……そんな状況で朝比奈の戸惑いとか、微妙な心の動きとか、それを思いやる余裕が俺にあるだろうか。正直、自信が無い。1つ許されたらその先、気持ちの赴くままに引きこんでしまう気がする。それには朝比奈も何となく恐れを感じて、ちょっと距離を置きたいと思ったかもしれない。今は冷却期間。ちょっと頭を冷やせ。
本当は海とかに行きたいけど。「これはヤバい気がする」
プールだったら?「同じ事だな」
独りでぶつぶつ呟いて、店員の冷たい視線で挙動不審を咎められた。気が付けば、辺りはすっかり暗い。2~3人は並んでいる路上のATM行列を避けたその先で、「今日は独り?」と意外な人に声を掛けられる。双浜の卒業生。たぶん20代後半。ワイルドなイケメン。右川がアキちゃんと呼び、絶対的な信頼を寄せている従兄弟。俺からしても、頼れる兄貴的存在だ。〝やました〟という定食屋を営んでいるが、右川が入り浸るせいで、仲間内では〝右川亭〟と呼ばれている。右川は、家が遠いのを理由に店に泊り込み、ついでに手伝いなんかもしているらしい。あの右川が目つきを変える、唯一の存在。それは単なる信頼関係からくるものなのか、あるいは。
「店なんか手伝わなくていいから、部活でもやれって言ってるんだけどね」
ここでも右川の会が始まる。山下さんとは、しばらく一緒に連れ立って歩いた。「何がいい?」と通りがかった自販機でジュースをオゴってもらうと、俺にもし兄貴がいたら……自然とそんな妄想も生まれる。
「右川は、今も茶道部に居るみたいですね」
「まだそんなとこに貼り付いてんのか。剣道あたりで根性を叩き直してくりゃいいのに」
しょうがねぇな、と山下さんは笑った。つられて俺も笑う。
茶道は週1回の活動しかない。つまりその他、ほとんどは店にいるらしかった。
「先生に生意気な口きいてない?」とか、「友達と上手くやってるかな?」など、山下さんは学校での右川の行状を色々と訊いてくるので、やはり仮の(?)保護者として心配のようだ。
「大丈夫ですよ。先生とも割りと、うまくいってるように見えます」
タメ口きいてますけど。
「仲の好い友達もたくさん居るみたいなんで、楽しそうにやってますよ」
楽しいとは程遠い雰囲気のイケてない面々が浮かんだ。安心度は高いだろう。ノリの顔も浮かんだ。
ここで、「こないだ右川の兄貴の話になったんですけど」と暴露した。(そろそろ、いいだろ。)
「あぁ。確か、北海道の大学に居るって聞いてるけど。それが何か」
「あいつが兄貴の話をしたがらないので、逆に何かあるのかと」
山下さんは愉快そうに笑って、「あの兄妹、仲悪いからな」「仲良いきょうだいって、居ますかね」「沢村くんて、きょうだい居るの?」「弟がいます」「うん、そんな感じだ。頼れそうなお兄ちゃんというか」「いや、そんな」
急に小っ恥ずかしくなってきた。
「カズミとも仲良くしてやってね。頼むから」
「はい」としか言えないだろう。ここは。
右川と仲良くできるのは、山下さんだけかもしれません……それを言うと、今までの全てが嘘と分かってしまうので言わなかった。
「カズミって勉強とか、ちゃんとやってんのかな。今日から夏休みだよね」
君は塾とか行くの?と聞かれて、ハイと答えた。
「期末の結果とか戻って来た?」
「それはもう……とっくに返ってきました」
どれも70~80点台を死守した。数学と長文読解は90点を超えていた。成績不振を理由に生徒会を退く機会を失ったと言える。朝比奈も、『化学が心配だったけど、割りと出来てて安心した~。後は楽勝でーす』と、LINEを寄越していた。『期末終了記念に右川亭に行く?』と送ったメッセージには返事が無いまま今日に至る。
右川亭を最初に教えてくれたのは、そう言えば、朝比奈だったな。
山下さんは、「そっか。とっくに」と何やら含みを持たせた。「どうしました?」こっちから促してみる。
「いつも結果を見せてくれなくて。カズミの奴、見せられない結果なのかな」
見せられないと思います……はっきりとも言えずに言葉を濁していると、山下さんの方が業を煮やして、「追試とか、どうなんだろうね。何か知ってる?知ってたら教えてよ」と、ズバリ直球で聞かれてしまった。
山下さんには誤魔化せない。というか、誤魔化したくはない。
「数学以外は、ちょっと厳しいみたいですけど」と、事実ありのままを答える。
「だけど補習とか、あいつ、よく頑張ってますよ」と、演出し過ぎの感はあるが、持ち上げてみた。
決して右川のためではない。白状しよう、欺瞞は100も承知だ。
〝右川に嫌な事を言われても、一応、その努力は認めている心の広い同級生〟
そんな自分自身を山下さんにアピールしたかった!
そんな幼稚な見栄にも山下さんは気付いているかもしれない。言った側から恥ずかしくなってくる。自分を必要以上に好く見せて、後悔してまで……そんな姑息な事をやってのけてまで信頼を得たいと思える。山下さんとはそういう人だ。右川なんかに独占させるのは勿体ない。
店の近くまで来たとき、「ちょっとタバコ買ってくるから。腹減ったろ?よかったら店に寄って行って」と、言われて、断るのもなんだと1人で右川亭に向かう。そう言えば、店はこの時間、1番忙しいのでは?
山下さんの居ない店はどうなっているんだろう。まさか右川が自信満々で鍋を振って……そんなバカげた事を考えながら、割りと賑やかな駅前通りを店のある路地に向けて曲がろうとしたその時、見覚えのある2人が視界に入った。
俺は目を疑った。
朝比奈が、永田先輩と2人、ツーショットで肩を並べて歩いている。
朝比奈は制服姿、永田さんは部活を終えてそのままの上下ジャージ姿だった。
……どういうこと。
2人は何やら楽しそうに会話しながら駅の方に向かっていく。
朝比奈の用事って、これなのか。
あんまり驚いて、動揺して、俺は曲がる筈の通りを1つやりすごしてしまった。
2人で怪しい待ち合わせ……それは無い気がする。だったら、こんな見つかりやすい場所では会わないだろう。それであそこまで無邪気に振る舞えるほど、朝比奈が悪魔的な人間とも思えない。偶然だ。そうに違いない。今、LINEを送ったら、いつものように無邪気に返してくれる。
『もう用事終わった?今から会わない?』
絵文字も、何の飾りも付けないメッセージを送った。
映画を見に行こうと言った時、あんまりいい顔をしなかった事を思い出す。何度も永田と言い争う俺を見て幻滅したとか。部活と生徒会に忙しい事を言い訳に、朝比奈は自分が放ったらかしにされたと感じて?上の名前で呼んだり、急に下の名前で呼んだり、距離を取ろうとして混乱しているとか。永田先輩がどうこうより、もう俺自体に興味が無くなったんじゃないか。
また1つ通りをやり過ごしそうになった時、俺の視界にもう1人、見覚えのあるヤツが飛び込んだ。
制服じゃなければ、同級生だとは到底思えない。すぐ横のスーパーから出て来て、両手には自身と同じくらい大きな買い物袋を2つ抱えている。その右川も……目線の先に2人を捉えてジッとしていた。ヤツもこの状況を飲み込めないのだろう。いつになく真剣な面持ちで2人の背中を見送っている。
そのうち2人を探るのを諦め、進行方向、通りを見据えたその先……立っていた俺と目が合った。
〝ヤベぇ〟と、心の声が聞こえた気がする。
およそ10メートルの距離を置いて微動だにせず、右川と見詰め合い、この状況を探り合った。
〝何か聞いた?〟
まさか、この事なのか。おまえはとっくに知っていたのか。朝比奈が、自分から永田さんと親しい事をおまえに暴露したとでも?取り上げるほどの事でなければ、それを右川の口から聞いたとしても、恐らく俺は「へぇ~」で終わる。2人が思いのほか深いなら……それを知っているかどうかと野次馬根性で俺に尋ねる右川は、非常にデリカシーに欠けた人間と言えるだろう。もともとデリカシーとは程遠い事は百も承知だが、右川の様子から察するに、違うような気もする。あと、ノリだ。ノリもこれを知ってるということなのか。それとも全く別の事なのか。
もう何だか訳分からなくなってきた。手に負えない。右川も手に負えないと判断したのかもしれない。くるっと踵を返して、再びスーパーの中に消えて行った。てゆうか、また逃げたな。
俺は右川亭の店の前まで戻って来た。定休日とある。そのせいか、入口はカギが掛っていて開かない。
「あれ?カズミの奴、居ない?」
いつの間にか俺の後ろに居た山下さんが、「しょうがねぇな」と入口を開けた。
チビは買い物してました……。
「あの、今仲間に呼び出されちゃって。すみません、また来ます」と、それを伝えるためだけに、俺は店の前までやってきた。永田さんと2人、楽しそうな朝比奈の様子が頭に付いて離れない。普通にしていられる自信がなかった。もし右川が戻って来たら……それが1番困る。
俺は右川亭を後にした。
家につく直前に、もう1度スマホを開く。
『今日は用事があるから、ごめんね』
午後3時を最後に、朝比奈のメッセージは1度も来ていない。