次の日。
朝のHRまでに、まだ時間がある。今日は余裕で1組にやってきた。
ノリの隣に座り込んで雑談しながら、いつ切り出そうかとタイミングを窺っているそこに、「何か昨日、大変だったんだって?」と、黒川が半笑いでやってくる。成り行き上、昨日の一件、事の次第を2人に話して聞かせた。最後はチビとバカの言い争いになった事も。
教室の前方、今日もそのチビが仲間に埋もれて雑談に沸騰中だ。わお♪とか言ってられるのも今のうちだゾ。
「思いきって、永田とチビ、くっつけちゃうか。部室に閉じ込めてさ」
何を想像しているのか、「うへ」と黒川がイヤらしく笑うと、「そんなの可哀想だよ」とノリが諌めた。
この時点で、俺はどっちの肩を持てばいいのか分からなくなる。バカもチビも可哀想という概念からは程遠い。さすがの黒川もノリにどう突っ込めばいいのかと軽く混乱していた。
「そういや右川ってさ、双浜卒業の兄貴がいるんだって」
口直しにと、久しぶりに右川の会をブチあげてみる。前の席まで聞こえるようにワザと大きな声で言ったらば、チビがピクリと反応……それは全く無かった。本当に聞こえていないのか。ガン無視か。手応えが無さ過ぎて、思わずチッと舌打ちが出る。
黒川が、昨日会ったとか言う他校の女子を「ブス。もう救いようのないブス」とスマホの写真を開いて、そこから品定めが始まった。「え、マジ?どれ?」「おわ!これ潮音女子じゃん」と、女子校名に後ろの男子が喰い付いて、「あ、こいつ知ってる」そんな反応に黒川の気が削がれたその一瞬、ノリが意味深に腰を浮かせる。これまた意味深に、黒川から背中を向けた。
俺だけに聞こえるように、こっそりと、
「昨日、右川さんから何か聞いた?」
驚いた。
ノリの方から、それも真顔で来るとは思わなかった。
また嫌な感じが襲ってくる。
「それ何の事?」
「てことは。聞いてないの?」
「知らない。何?」
「えーと。どうしようかな。言わなきゃかなって思ったりもするけど」
ノリは口ごもって何だか要領を得ない。
「どうしようかな。マジで」
ちらちらと右川の様子を窺いながら、ノリは迷っていた。嫌な感じはますます大きくなる。
「ノリ、おまえ……まさか、あのチビと何か」
俺はあくまでも慎重に、慎重に、匂わせたつもり。
一緒に閉じ込められるのは永田というより、最近になって急接近のノリの方じゃないか。まさか。
「いや、そういう……聞いてないならいいや」と、ノリは動揺して、ますます怪しい感じに。
「ノリって実際、今の彼女とどうなってんの」
「つーかよぉ、ノリって昨日の放課後どうしてた?」
一連のやり取りをどこまで聞いたか知らないが、黒川が畳みかけるように差し込んで来る。
「か、彼女?昨日って……?」
俺と黒川の問い掛けをほぼ同時に食らって、どっちに何を返せばいいか、迷って迷って……何故か急にノリの顔が真っ赤に染まり始める。それを見た俺は「?」だったし、黒川は何故か「!」という表情だった。
こんな大事な場面で……ドンガラガラガラガラ!
「おい!ノリきち!」
永田が雪崩れ込む。こっちは、それどころじゃない話をしてるっていうのに!
「てめー昨日彼女とヤったろがッ!」
こういう時に限って他のクラスの女子が結構居て、ひゃあっ!とばかりに、俺達の半径3メートル以内はいきなり空洞と化した。「声が、でけーよ」と、黒川が永田の額にぱちん!と突っ込み。
「昨日、仲良くツーショット見ちゃったんだよッ!」
それだけでこの熱量か。
「見ろ!足が全開じゃねーかッ!ノリきち!」
周囲の目がノリの足に集中した。
例のアレか。45度以上開いていたらもう決まり、とか何とか。「そうでもないじゃん」俺は援護する。
ノリを見ると……真に受けるなと言っとけばよかった。さっきの比じゃない。顔が沸騰したみたいに真っ赤に染まっている。そして誰が見ても分かる。ノリは思いっきり動揺していた。足をバタンとこれみよがしに閉じて、さらに両腕で抱えて、俯いたまま……馬鹿。そんなんじゃバレバレだろ。
それが事実なら、俺はずっと勘違いをしていた事になる。ノリは右川なんかに惑わされてはいない。
それならどうして。一体、2人は何の事で。
「ノリきち、昨日ヤッたぞぉぉぉーッ!確定!」
永田の大声が辺りに轟き渡った。教室中が悪魔的に淀んでくる。ノリはもう平気では居られないと、教室を飛び出してしまった。
「彼女が居るなんて生意気なんだよッ。ノリきちのクセに!」
獲物を屠ってやったとばかりに、永田は得意気だ。……いい気になるなよ。
ノリの仇打ち。ちょっと永田を揺さぶってやるか。「で、今日の俺ってどうなの?これは確定?」と、足をこれみよがしに45度以上で開いて見せた。朝比奈が目の前に居たら……絶対に言えないし、出来ない。
「お、おまえは……生意気なんだよッ、顔がッ、病気かッ、色々と!」
勢いは強いまま、身体はどんどん引いている。昨日と同じ過ちは繰り返さない。お互い手加減をわきまえた者同士、温る~く睨み合って……永田は横のテーブルを、がん!と蹴り倒した。ドンガラガラガラ!と、威勢良く教室を出て行く。弱みがダダ漏れ。本人は気付いているのか居ないのか、そんな意地っぱりが妙に切ない。
その時ひょいと横から、
「さっきからさ、なにそれ?」
いつからそこに居たのか。全く分からなかった。座ってる俺と比べても、この高さ。何度見ても驚く。
右川だった。
「それって短足競争?それとも、超テンパった天狗合戦?」
「天狗上等。おまえの身長より長い足で、か~るく跳び越えてやろうか」
「やだ。その程度の長さじゃ、あたし踏まれちゃうもん」
相変わらず口の減らないチビだ。
「ノリくんは?」
「居ない」
見りゃ分かるだろ。
それを聞いても、「ふーん」と、言ったきり何故か立ち去らない。
意味ありげで気になる。ノリはいいとして、右川は一体どういう気でいるんだ。
こっちが我慢できなくなって、
「言っとくけど、ノリには手を出すなよ。あいつは彼女が居るんだからな」
はぁ?と右川は首を傾げて、
「てゆうか、彼女が居るのに手を出すなって、あんたがそれを言うのかよ」
うっ。
うっかり墓穴を掘ってしまった。黒川が首を傾げて、何かを疑う目を向けた事を見逃してはいけない。
「何の事だか」
黒川を警戒する。右川を刺激しないように。
「だーかーらー、それはいいとして。ノリくんから何か聞いた?」
「聞いたって、何を」
話が反れて良かった……側から、また別の謎が顔を覗かせる。
「何だよ。もういいだろ。結論言えよ」
プイ。
またか!
今度ばかりは許さない。
逃げ出そうとする右川のシャツの襟首、ガツン!と掴んだ。
「言い掛けて黙るな。気持ち悪いだろが」
そこに、タイムリーにも朝比奈が俺を探して1組にやって来てしまった。
「グラマー忘れちゃった。持ってる?」
そのグラマー……の響きにこっちは妙なスイッチを押されたような気分になって、うっかり手が緩んでしまい、そこを見逃さず、右川はすり抜けた。
「ね、朝比奈さぁん。こんな顔と一緒に歩いて恥ずかしくない?視力落ちた?」
「うるせーな」と、言い終わるか終らないかのうちに右川は消えた。つまり、また逃げられた。
話を終わらせようと企んで、ワザと焚きつけられた気がする。笑いを誘ったり、ムッとさせたり、とことん逃げだそうとする。結局、肝心な事が聞けずに終わった。グラマーの教科書。ほい、とばかりに、「こっちは4時間目だから持ってていいよ」と渡す。
朝比奈はコンビニのレジ袋を腕にぶら下げていた。そう言えば今朝も「お昼買わなきゃ」とサンドイッチを取り、いつものようにアクエリアスを取る俺の横で、お昼にそぐわないチョコやらプリンやらを買い込んでいたな。お昼とか言って、「さっそく開けてんのかよ」思わずクスッと笑った。
「ね、右川さん、何か言ってた?」
ここにきて、またか。
「別に。何も」
「ホントに?」
何かを探るように、朝比奈に顔を覗きこまれる。どういう意味だろう。
まさか。
俺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「君は何か……右川から聞いた?」
途端に朝比奈は首を傾げて、「聞いた?私が?右川さんから?何を?」
……違うようだ。
いくら墓場まで持っていく覚悟をしたとはいえ、ここで墓穴を掘る訳にはいかない。「てゆうか、どんだけ買ってんの」とコンビニ袋を覗きこんで、中からチョコを取り上げた。「これ、もらってい?」と誤魔化す。
「味見だけ、させてあげる」と、朝比奈も一旦、誤魔化されてくれた。(かな?)
俺はパッケージを破りながら〝何か聞いた?〟と次々と探られる現象を思い浮かべて、分析を開始。
それぞれの〝聞いた?〟は同じなのか。まったく別の事なのか。
もし今度、どれでも誰でも訊かれたらその時は、ちゃんと捕まえて追及しよう。例えそれが、朝比奈でも。
チョコを1つつまんで「ほら」と、朝比奈の口に放り込んだ時、少し溶けたチョコレートと一緒になって彼女の柔らかい唇が指先に触れる。
「んー……岩塩か。確かに利いてる。でもやっぱ普通のチョコがいいな」
そう言って朝比奈は、俺の相棒アクエリアス2リットルを持ち上げると、男前にラッパ飲みした。
目を閉じて飲み込む朝比奈をじっと見ていた。
次第に周囲が邪魔に思えてきて、そろそろクラスに戻るという口実のもと、俺は彼女をそっと廊下に連れ出した。地学教室の扉の裏側に滑り込み、少々強引に彼女を抱きしめて唇を奪う。チャイムが鳴っても離れない。いつものように朝比奈から何でもない話が聞こえてこないのを不思議に思った。朝比奈は黙ったまま、俺の腕の中でジッとしている。そのまま、どれだけ時間が経っただろう。
「あのさ。右川さんから、何か聞いた?」
俺は、朝比奈を追及できなかった。
どこか思いつめた様子の彼女を見ていて、急に何かが遠くなるような錯覚に襲われる。