体育館に入ると、熱気が塊になってグンと迫ってきた。
館内をオレンジに染める発光灯は、冬はわずかに温かみと感じられるものの、それが7月ともなると体感温度を少なくとも3度は押し上げる。暑さも、だるさも、すでに真夏のド真ん中だった。
体育館全てがバスケ部男女の占領となっている今日、俺達バレー部の練習は外、あるいは体育館の隅っこを使う。1年生全体で5時間目が早く終わった事もあり、まだ誰も居ない体育館をバレー仲間で賑やかに占領していたそこへ、同じ1年で5組のバスケ部、永田ヒロトが賑々しくやってきた。
ドンガラガラガラガラガラ!
何を叫んでいるのか歌っているのか知らないが、永田が大声を出すと、全部がこう聞こえる。暑苦しい。ウザい。ぐったり。「もう来ちゃったのかよ」しょうがないとばかりに場所を譲ろうとしたら、ちょうどノリのパスを打ち返した俺の横から、永田が急に割り込んできてボールを弾いて横取りした。そこから軽快にドリブルを始めたかと思うと、そのままバスケットゴールにシュート。いぇーい!とか言いながら、側にいたバスケ仲間とハイタッチを交わしている。
「軽い軽いッ!こんなお子様ボールで、おまえら一体どこ鍛えんだよッ!」
面倒くさいからと俺達が相手にしないのをいい事に、言いたい放題&やりたい放題&傍若無人。
「もう行くよ。行ってやるよ。返せ」
「おら!取ってみろよッ」
永田は仲間内でパスを繋ぎ、ボールがどんどん遠ざかる。パスの切れ間に割り込もうとすると、「へいへい!」と仲間に壁を作られて阻止された。そこにノリと工藤がやって来る。「ちょうどいいや。おまえらも相手してやるよッ!」2人が加わった事で、バレー部対バスケ部、さながら3on3の様相を呈してきた。当然と言えば当然、現役バスケ部員の軽快なパス回しに叶う訳がない。
俺達は、永田にいいように遊ばれて、結局ボールは持って行かれてしまう。
いぇーい!と得意げに、永田はボールを2階のベランダに放り投げた。
「誰が取りに行くんだよ」「面倒くせぇな」「「余計な仕事、増やしやがって」
俺たち3人は天を仰ぐ。
「へいへい、鍛えてやってんだろがよッ。今年も初っ端から敗退か?弱小バレー部めッ!」
これは面倒くさいという訳に行かなくなった。いつの間にか館内にバレー部員が集合。恐らく一部始終を漏れなく聞いていたであろう2年3年が凍りついている。神が取り憑いているとでも言うのか、絶妙のタイミングで、さっき永田の放ったボールがベランダから転げ落ちてきた。
「ヘンパイ!いつもバレー部には……お世話してまっす!」
ノリに馴れ馴れしく寄りかかって、永田は、その頭をコン!と叩いた。先輩の厳しい目線にも、永田は全く動じない。先輩は永田には直接何も言わないけれど、「おい書記」と何故か俺が呼び出される。
「けものフレンズを、どうにかしろよ」
「どうにかって……生徒会執行部にケモノ捕獲という活動は無いんですけど」
見れば、そのケモノは、もう次の獲物を見つけて……体操部の女子に食い付いていた。そこから、女子に見惚れている工藤の下半身にも目を付けて、「オトコの肉棒、見せてやれぇぇ!」とジャージをズリ降ろしにかかる。ノリが慌てて割って入って、間一髪、危機一髪、工藤の貞操はどうにか守られていた。
やれやれ。
「あのバカには何を言っても無駄ですよ」
あの猛獣は誰の手にも余る。猛獣使いをやれ!と命令されるのも嫌だし、同じグループだと誤解されるのも困る。半径3メートル以内には近寄りたくない。
その時、入口辺りが急に眩しく、慌ただしくなった。オレンジ灯によく映える赤と黒のユニフォーム姿に身を包み、威厳と風格を漂わせて、バスケ部の2年と3年がゾロゾロと入って来る。ざっと30人は居るだろうか。
「吉本がパスの合図しただろ。おまえ、どこ居たんだよ」
「僕ですか?あん時、すぐ手前に居ましたよ」
「ボヤボヤしてねーで、吉本にサッサと投げろよ」
叱咤も内輪モメも、それをするときは皆に隠れて……そんな常識は、この双浜バスケ部には無い。周囲に聞こえるように、いつも堂々と晒している。注意された後輩は、次からもうその先輩が気になって仕方ない筈だが。
「そういう先輩は3ポイント狙い過ぎ。相手に全部読まれちゃってますって」
「つーか結局、吉本先輩のそういう合図、いります?」と、ダメ出しのターゲットが最初の先輩に戻った。
相手が先輩でも言いたい事は言う。砕けた物言いだが、敬語は忘れない。
日常的に言ったり言われたりが当たり前になると、いつまでも気にするというのも馬鹿らしく感じるのかもしれない。
臆する事は無意味。それがチームのモチベーションをより活発に、そして団結を一層強くすると感じた。
今日はその中に永田の兄貴……現生徒会・副会長の永田さんの姿は無い。だからと言うか、そういう時を選んで弟は暴れる。バレー部2年3年は、バスケ部の熱気に中てられるように体育館の隅っこに追いやられた。それに続いて俺達も……とばかりに、まずは工藤にしつこく貼り付く永田を「そろそろ止めとけ」と引き剥がす。
「へいへい。隅っこでチマチマやってねーでさ、オレらの相手になれよ。バレー部10人対こっち3人で勝負しねーか?負けたら、おまえらはバレー部を退部だ。バスケでオトリに使ってやる」
「サッサと練習しろよ。遊んでる場合かよ。試合が近いんだろ」
追い払いたいばっかりに、思いやりにも似たような事を言ってしまった。
背に腹は代えられないし。
そこに、まだ着替えもせず大遅刻で黒川がやってくる。「ういっす。ういーっす」と軽く挨拶くれた後で、「今日の体育館はバスケベか。早く行けよ。兄貴にチクるぞ」永田を軽く脅して、その肩を押しやった。
永田の勢いは、一瞬スッと引っ込む。だが、これはガキに与えるお菓子と一緒だ。兄貴と言うカードは、いっときを黙らせるのに効果はあるものの、単なる一時しのぎに過ぎない。永田は全く反省しない。時間が経てばすっかり忘れて、また同じ事を繰り返す。何といっても先輩を恐れていない。これが怖い。
「すいません。遅刻しました。ちょっと先生に呼ばれちゃいまして」
黒川は、バレー部の先輩には神妙に謝って見せた。
だが、バスケ部を〝バスケべ〟と呼び、それをうっかり聞いてしまったバスケ部の先輩を屈辱に歪めてしまった事には、全く無頓着である。
そう、黒川も恐れていない部類だった。先が思いやられる。
体育館を全く使えない日、バレー部は、その時間の半分を筋トレ中心に充てていた。パスやレシーブなどの基本練習を体育館の隅っこを借りてチマチマこなした後、ランニングに繰り出す。
「ヘイヘイ!退場ッ!」と憎々しくも、永田に送り出されるという訳だ。
7月。
外は灼熱地獄である。
「このクソ暑いのに……5キロかよ」
こういう時、1番最初に文句を言い出すのが、愚痴と皮肉とメガネで出来上がっている黒川だった。今日は大遅刻という汚名も付けてやる。
「他んとこなんか7キロ走るらしいよ。それに比べたらさ」と律儀にも1つ1つに反応して、黒川には全く通じない優しさを振りまいて慰める側に回るのが、ノリだった。
そんな後ろを少し遅れ気味にくっ付きながら、「3組の進撃の巨体、吉元サトミがさ、7キロ痩せたとか言ってんだけどあれ絶対ウソだよな」と全く無関係な事を言ったり考えたりで気を紛らわせているんだろう、恐らく俺ら1年の間で早くも次期エースと呼び声の高い身長190センチ、工藤であった。
「吉元は3組じゃなくて4組だし。7キロとか言ってねーし。確か2キロだけ」と黒川に突っ込まれた。
工藤は恐らく世界一ニブい。本人は気付いていないが、周りは大体そう見ている。言ってる事は半分くらいに聞いておくか、或いはもう最初から聞かなかった事として扱った方が賢明である。
「吉元さん、ダイエットしなくても痩せてると、僕は思うけど」
「だよな。顔ブスで頭バカなんだから、デカくする以外に無いのに」
「そんな……可哀想だよ」
「これが現実。あー!おっぱい触りてぇ!」
「やめなよ。そういう事言うのは」
「オレが言ってやらなきゃ誰が言ってやるんだよ。ブスの吉元に」
黒川はやたらと〝おっぱい〟を連呼。ノリは「やめなよ」「声がでかいよ」「可哀想だよ」と生真面目にツッコミを入れる。俺は心底、感心した。
「おまえら、走りながらよく喋る元気があるよな」
このクソ暑い中、俺がクギを刺さなければ、黒川の愚痴はずっと続くだろう。ノリはもう息が上がっている。そろそろ解放してやれよと言いたくなった。
「沢村のこういう言い方がさ、何かオレらを下に見てるって感じがしないか?」
黒川は、ランニングでたまたま横並びにやってきた女子テニス部の知り合いに投げかけた。
「沢村の言う通りじゃん。あんた、うるさいんだよ」
「余裕見せてやってんだよ」
「だったらその余裕で、5キロと言わず10キロぐらい走ったら?」
「別に、それぐらいなら走れるし。てゆうか、テニスって何キロ走るの?」と、まだまだ黒川は女子を離したくないようで。下半身あたりを眺めて気を紛らわせたい所だろうが、スカート下から覗く陽に焼けた太腿は涼しさというよりも、逆に焦げ付く夏の痛々しさを感じてしまう。
「お先にね」
女子は俺に向けて手を上げた。「何だよ。テニブスのくせに」と、その背中に向かって黒川が悪態をつく。そのすぐ後ろを自転車で貼り付いていた3年の女子マネージャーに睨まれて、首をすくめた。女子マネージャーは、俺と目が合うとピースサイン、愛想よく笑って走り去って……。
「なぁ、テニブスの女子って、やたら沢村にだけ愛想よくねーか」
「かもな。前を向け」
コートの1部に草が生い茂って邪魔だと俺に愚痴ってきたから、生徒会を通じて先生にお願いしたという経緯がある。先輩だから無視もできなかった。それだけの事だった。
「うるせーぞ。1年」と、前方から先輩に注意されるまで黒川のグチは続いた。黒川の分も俺らが被って、まとめて1年!と叱られてしまう訳だから納得が行かない。
「あれ?叱られた?何で?」
「いいから、とにかく急げ」
俺は、またまた遅れ気味の工藤の背中を叩いた。
「後ろの1年が全員遅れてると思われんだろが」
4月にバレー部に入部した1年は最初15人。さっそく辞めた変えたの奴もいて、結局10人が残った。身長が185を超えているのは俺と工藤ぐらいで、あとは割とこじんまりしたメンツばかりである。
Aグループとでも言うべきなのか、1年の中でも割りと強いキャラ(?)と俺ら4人は先輩から見られているらしく、何かと頼まれるのも期待されるのも怒られるのも、割りとこの4人組であった。
俺もノリも、それほど強いキャラではないと思うんだけど、生徒会に入っているとか黒川の相手になってしまうとか、そんな経緯からグループの1部と判断されている。(されてしまっている。)
同じようにランニングしていた野球部とすれ違った。
長い隊列が通り過ぎたその途端、
「今年はせめて1回戦ぐらい不戦勝で行きたいよな」
すぐ前を行くバレー部2年が呟いた。万年初戦敗退の野球部が、去年は辛くも1勝を遂げ……その影響なのか何なのか、春の予算委員会で金額が我がバレー部を上回った。
「おともだち、だと思ってたのになァ」
「あれだよな。全然やって無いとか言って、しっかりやってるヤツ」
正直、妬ましくて、羨ましいのである。
我が双浜高校、男子バレー部は強豪ではない。その片鱗も無い。決して不真面目という訳ではないが、いまいち覇気に欠ける。その証拠に、弱小バレー部だと永田に突っ込まれても、ですよね?という感じで俺はそれほど腹も立たなかった。
今現在、俺の頭の中を占めているのは、もうじきやってくる期末試験。
その後、夏休みに入ったら合宿を経て、その先の県大会予選。
全てが終わったら……というか、大方の予想通り、かなり早いうちにバレーからは解放されるだろうから、そこからやっと始まる本当の夏休み。
初めて迎える夏に、せっかくだから彼女の朝比奈と、どっか行きたいし。
徐々に、徐々に……気温と共に、次第に俺の周囲も熱くなるのだ。