酔っ払って打ったやつ

 お昼ご飯を食べてない午後12時50分ってお腹が空いてなんて生ぬるい時間でしょう。ついでに言うなら梅雨明けの大気も生ぬるい中で、駅の改札を出たところで棒立ちしているの、でも右手に凶器を持ったあたしは狂気的な目つきをした女殺人犯で、だけどその凶器はナイフとか金属バッドじゃなくて爪楊枝で、ジメジメした暑さで脳味噌が腐って平和ボケに染まって、人を刺す代わりに左手のひらの上のみたらし餅をプスプスと刺すのよ。はー、と息を吐き出しながら手持ち無沙汰に気だるげにプスプスと。でもその餅はみたらし団子とはまた別物なんですよ上から茶色いタレを付けているんじゃなくて、表面は白いまま、その中にみたらし餡がたっぷり詰められているんですよ。しかし、これは普通のみたらし餅じゃなくて人面で内藤先輩の顔をしているんだぜ。まあ言うても一口サイズの餅やからたまごっちみたいなもんや。女殺人犯の左手の上にのっかった人面みたらし餅は爪楊枝でプスプスと穴を開けられ、その小さな穴々から餡をプジュプジュと漏らすのよ、内藤先輩の顔のところどころに茶色い餡がしたたるのよ、あたしはもっと彼の顔を汚したくて餅を潰したくて、穴と穴の間を爪楊枝につつくようになぞって引き裂こうとするのよ、やがてつつかれてつつかれて柔らかに粘っこい皮は決壊して、内包されていた全ての体液がだらりとこぼれ出てしまうのよ、みたらし餅は命を失った虫みたいに呆気なく潰れて、餅の表皮の内藤先輩の顔もぐしゃっとなるの、ああもうそれはあたしの知ってる内藤先輩の顔じゃないわ、女殺人犯はそれを見て退屈な笑いをクスクス発するの、そして飽きたみたいに餅を駅の床にポイっと投げ捨ててしまうのよ。誰かがそれを踏んだらますます皮が潰れてぐしゃぐしゃになるでしょうって、依然、改札を出たところで立ったまま、放った餅の残骸を見ているのよ、でもそのうちにそれがフクフクと膨らんでくるのよその中の体液は出きったはずなのに。何なのよって女殺人犯は驚いて目を見張るの。強固な空気を得た風船みたいにフクフクフクと膨らんで内藤先輩のもとの大きさぐらいの白い顔になって、でももっと大きくなって、人の口ぎゅうぎゅうぐらいになって、人の顔ぐらいになって、バランスボールぐらいになっていく、内藤先輩の人面餅が。駅の床の上に落とされたその餅が自分よりも大きくなって膨らむにつれて自分との距離が自然と近くなって女殺人犯は思わず尻餅をついて。妖怪は自分が脅かすときは怖がらないのに、誰かに怖がらされる段になったら怖がるんだよねって。とうとう直径三メートルほどの大きさになると、今まで床に留まっていた餅が玉転がしのように転がり出して、尻餅をついて目を見張っていた女殺人犯の方へ。内藤先輩の人面が回転して、彼女の身体を押しつぶす大玉みたく転がってくる。ああやばいよね潰されちゃうよね人面餅に。あたしのすぐ正面まで転がってきたそれが今にもあたしを押しつぶしそうになる、右手にそう言えば持っていた爪楊枝で一生懸命に餅を刺す、でも小さな穴は開いても効かずとうとうあたしの身体を巻き込んでぐるぐるしていくの。最期に見たのは黒板消しぐらい大きくなった内藤先輩の目、大きな眼球と目が合って脅かされて目をぎいっと閉じる、「あの」空気を取り込んだんじゃないのかみたらし餡を再生したのか重みのある餅があたしの身体を押しつぶして粘度の高い表皮がねっとりと絡んで糊みたいにあたしの身体をひっつけて回っていく、「すみません」回転する歯車のごとく駅の床で廻されている、次第にぺしゃんこの空き缶みたいにあたしが潰されていく、「――か?」か?蚊?
「あの、おたくの商品は添加物を使ってらっしゃるんですか?」
 現実の声があたしに呼びかけている気がして、はっと現実の目を開けるとパープルの髪をした上品なご婦人が目の前にいて、自分は女殺人犯ではなく和菓子屋の販売員のアルバイトだったことを思い出す。和菓子が陳列されたガラスケースの上に置かれた、爪楊枝が刺さったみたらし餅の食品サンプルをちら、と見てから作り笑いを思い出す。
「ええ、はい、どうしても、商品を日持ちをさせるために使っておりますね」
「ああ、やっぱりそうよね。入ってないものはないの?生菓子とか」
「生菓子の方が添加物は少なめにはなっているんですが、それでも少々は入っていますね。申し訳ないです」
「そう。わたし、添加物が入ってる食品は摂らないようにしてるの、ごめんなさいね」
 微笑したご婦人は頭を軽く下げて店内を出て行き、ありがとうございましたというあたしに、店の奥からの店長の声が続いた。たかだか駅の和菓子屋に何を求めているのか、添加物が入ってて身体に悪いからってちょっとぐらいなんなんだよ長生き信奉者かって、彼女の背中を見ている、あたしは長生きも健康も放り出して今すぐ死んでも悔いはないし、高級そうなスカートをさやさや揺らして歩く彼女のようなご婦人は一ヶ月前より遠いところにいる人になった。あたしは一ヶ月前までは正社員で塾講師をしていたけれど、空き教室で先輩にフェラしている所を偉い人に見つかってあららって退職して、今、和菓子屋さんでアルバイトをしているから、正社員とフリーターという話ならば、すん、と地に落ちたようなものだから。でも、元は高いところにいた気分だったかというと違う、前とは別の海の底にいるだけでどちらにしても気持ちは底、もともとの精神の低みに状況がやっと追いついただけかもしれない。もちろん和菓子屋でバイトする全ての人が底辺かというと全くそうではないのだけど、あれあれこんな事情でここでバイトしているあたしは依然として海の底にいる、また違う海の深海魚、結局あたしの深海魚は変わらない、と、階段を降りていったご婦人の背中が消えた景色をぼんやり見ている。途中で階段を踏み外して、階段の下で大きく口を広げて待っていたみたらし餅に食われたの?でもあのご婦人には人面みたらし餅の妖怪はきっと見えないんだろう。
駅だから人通りはあるけれどあまり客の来ない暇な和菓子屋、視界に入るのはここ二階から地上一階に繋がる階段とその上の時計とその横のATM、これらと、通り過ぎていく人たちだけがあたしの景色。一、二週間で新鮮さを失ったこの一枚の退屈な絵をぼんやり眺め続けていたとき、エプロンのポケットに入れていたスマホが震えたのが分かった、きっと内藤先輩が今日のお昼ご飯の写真を送ってきたのだろう。あたしは塾を辞めてこうしているけれど、あたしにフェラされていた内藤先輩の方は営業マンに転職をしたのだ彼はバリバリに生きているのだ毎日。でも、同じ会社に勤めていたときは連絡先を知っていても殆ど連絡しなかったのに、辞めてからというものの彼は毎日お昼ご飯の写真を送ってくるのだ、それに加えて毎朝のおはようと、寝る前にはその日の出来事ならびに感想がつらつらと。朝は、おはようとか今日も頑張ろうとか。お昼はその日のご飯の写真。特に夜がおかしい、だいたいが、転職した今の方がやりがいがあって楽しい!でもたまには辛くて働くって大変だ!だけど明日も頑張ろう!などという同じような話に終始しているし一人の指で勝手にそれを喋っている、こんな人だっけとあたしは戸惑い、そんなものをあたしに送り続けてくるよく分からなさと、自己啓発本を薄く拾ったみたいな内容に首を傾げている。それに返信しなかったり、気が向けばずっと短い往信を送ってあげたりもする。でも、辞めてから会っていないからいまやセフレ関係も微妙だし、当然彼女でもないし、あたしはブログの送り先でもないしなのにそんな調子だから、転職してから彼はやっぱり気持ち悪くなったように思う。偉い人にフェラ現場を目撃されたとき精液を飛ばしながら頭のネジもポンポンポンと飛ばしたのか、でもそれだったら随分あたしのせいになるからどうせ元々そういう面のある人だったのかもしれない。
今日の彼の昼食のメニューを想像する、営業先巡りの途中でカレー屋にでも行ったのか、忙しくてコンビニおにぎり一つなのか、もしくは牛丼か、どうでもいいけどそんなことを考えてそれから彼の顔を思い浮かべる、ああ人面餅の人か。気持ち悪いな、と思って、表情には出さず心の中だけで微笑する。一緒に働いていたころ三回だけセックスしたことのあった彼はあたしの心の浅いところしか動かさない人だった、でも今あたしは心の真ん中ぐらいの深さで彼を気持ち悪いと思うし、同時に愛着の湧いたぬいぐるみ程度には彼の気持ちよさに執着している。彼も深海魚になったのかもしれないどこの海で泳いでるのか知らないけど口が大きく裂けたりしている気持ち悪い魚で彼はあたしのせいでとうとう深海魚に足をすべらせたのかもしれない。
「笹岡さん、もう一時過ぎてるから休憩行ってきてくれていいよ」
 店の奥から店長がにょろっと顔を出す、ねずみ男のように突き出た前歯が店の照明を反射してきらっと光るのを見ながら、はい、と返事する。愛じゃないな愛着と小馬鹿にした面白味だなと思いながら床を靴のカカトでとんとんと叩いて、店長と替わりばんごになって店の奥に引っ込む、ロッカーからコンビニで買ったおにぎりを取り出すと、床に座り込んでペリペリとおにぎりの封を切って一口を齧り、ポケットからスマホを出す。
『今日は天ぷらそばです』既読
 それだけの文に、おそらくワンコインぐらいだろう価格の天ぷらそばの画像が付け加えられていて、別にそれは美味しそうでもなんでもなくて、返信を打たずにスマホを消灯させてまたポケットに仕舞う、あたしも美味しくもないむしろ米が不味いコンビニのおにぎりを口に入れて噛み砕いていく。足音と、店長がいらっしゃいませと言う声が聞こえる、あたしはここでもどこでも深海魚だ、お前もかって思って大口を開けて行儀悪くおにぎりを齧るろくに噛みもしないで雑に咀嚼して飲み込む、でも内藤先輩気持ち悪いよって少し笑う一人で。