酔っ払って打ったやつ

正面の黒板に向かってぴしりと整列するように机と椅子が並べられた304号室。あたしは机と机の海に身を隠すように床にぺたんと座り込んで、壁に背をもたれかけていた。膝小僧に重なるようにだらんとぶら下げた手首、その白いデジタルウオッチの文字盤が照明を反射して鈍く光っていた、短針と長針が指すのは午後二時半、生徒はまだまだ来ない。学習塾で講師になるべく新卒入社したものの、上司に呼び出されては叱られる毎日の連続だった。今日も今さっきまで、生徒アンケートの数字が悪いと散々怒られ怒鳴られていたあたしは、今、教室で深海魚だ。誰もいない教室の机と机の間に沈む。ぷかー。ほげー。深海は光と酸素が届きづらいから呼吸しづらいんだぞって。息を吸って吐いて、普段平気で呼吸できているはずなのに、あれ酸素を吸うってどうやってやるんだっけ二酸化炭素を吐くってどうやるんだっけって、すーはーすーはーこれで合ってる?って、この会社にいるときしばしば呼吸のやり方を忘れてしまう気がする。目の下を人差し指でなぞると、じわりと濡れた涙のあとがファンデーションをぬるっと落としていて両生類みたいだった。大声で怒鳴られるとつい反射的に泣けてしまい、仕事で泣く女は最悪ってよく言われるよなと考えながらもダブダブと涙を溢してしまう、悲しいとか悔しいとかでもなく膝を叩かれたらぴょっと足が上がる反射に近いのに泣ける、頬がぬめぬめしているあたしは深海魚じゃなくて蛙かもしれない、歩くたびに足底からぬめぬめが出て、喋るたびに口からぬめぬめが出て、冷や汗を掻くたびに汗腺からぬめぬめが分泌されるのかもしれない。納豆。オクラ。精液。山芋。身体からぬめぬめを出しているあたしはぬめぬめに足を取られて喉を取られて気を取られて仕事が出来なくてしょっちゅう上司に空き教室に呼び出されては怒られる。ぬめぬめ蛙さん、ゲロゲロゲロ、ああ吐きたい、ひとまず胃の中のものを全部吐き出して、それからあたし自身も液状になってこの口から吐き出でいくんだけどゲロになったあたし全てもぶちまけられて形がなくなって、わーいなくなってしまえばもう仕事しなくていい、やったね、って俯いた顔についた唇を呆れたように横に引く。この白い床があたしのゲロでまみれてそこは誰が掃除してくれるのかしらうふふ、単に胃の中のものじゃなくて人間丸々ゲロになるんだから結構な量じゃないかしらうふふって。ああでも教室で死ぬのって嫌だな最期をこんなところで迎えて教室の自縛霊になったら嫌だわって、ゲロのぶちまけ場所を迷い始めたとき、教室のドアがきいと開いてそれが現実をまたきいと開けたみたいだったからゲロが引っ込んだ。俯いていた顔を上げると内藤先輩で、あーお前かみたいな嫌悪感と、あたしを現実に救いとる手が舞い込んできた感がした。
「大丈夫?また怒られてたの?」
「え、はい、そうですけど」
 うるせえなと思いながら言葉を返す。内藤先輩は他科目の五年目の先輩で、セフレってほどでもないけど、こないだ三回目のセックスをした人だった。なんとなく。三回となるとそれなりに積み重なってるけどただ重ねただけの積み木の流れで、愛じゃない恋じゃないお遊戯で。304号室に来て、という上司の声を盗み聞きしていたのだろう、それで上司が戻ってきたのを見計らって入れ替わりに慰めに来たんだろう。気持ち悪っ、って、さっきの続きで嘔吐しやすくなっているあたしにまたゲロ嫌悪感が込み上げる、だって性欲込み込みやんけ優しさじゃないやんけなに思いやりの振りしてんだお前って。でも同時に、この人がぬめぬめ蛙のような呼吸できない深海魚のような落ちきったあたしの精神を今このとき緩和してくれる気がして、もうそれだけが全あたしの救いってことにしていいんじゃないですかって適当に考えて、無言で手を伸ばす。一旦彼に向かって手を伸ばしてしまうとそれはもう決定事項でしょうって気持ち悪さを飲み込んで、何かまた考えるのをやめる、脳味噌がほとんどないハムスターの振りをする。きゅー。
「あんまり気にするなよ、最初はそんなもんだよ、俺もよく怒られたし」
 歩んで近付いてきた先輩が机と机の間でうずくまるあたしの手を取って、立ったまま握った、もう片方の空いた手で頭を撫でられる、ポンポン、ポン子ちゃん、ティーンの女子向けファッション誌に載ってるキュンキュン仕草みたいな安易な慰めっすね、なんてハムスターのポン子ちゃんは脳が無いから考えないの、きゅー。でも実はあたしはポン子ちゃんじゃなくて人間で同じ科目の同期が一人いて、だけど嶋田くんは優秀だから怒られなくていつもあたしだけが呼び出されて上司に怒られるの、って実は考えている。とはいえそれは内藤先輩もなんとなく察していることだろうからわざわざ口にする価値も感じなくて、あたしのために下ろされた手をぷらぷらと揺らす。言葉はありきたりで価値が無いのに、この手は今あたしの前にあるから。ぷらぷらぷら、手は揺らせば揺れるし耳は叩けば赤くなるのに、伝わらない言葉は何の意味もなくていさかいすら起こすマイナスになる。先輩、最初はそんなもんとかそういう励ましは要らなくてあたしはただ単に仕事をやめたくなってるんです、って言ったら怒られそうだから言わなくて上目遣いで内藤先輩を睨みつけて、なんだよ、って言われる。うるせえな。
「呼び出し食らうの今週二回目ですよ。もちろん、あたしが悪いんですけど」
「まあ、そんな気にすんなよ。厳しく言われるとへこむだろうけど、やってりゃそのうちできるようになるよ」
「でも、どんどん仕事量増えるんですよね、先輩たちのように」
「そりゃ増えるけど、どんどん食べれる量も増えるんだよ」
 口から出したキャッチボールを転がしてみるけど別に内藤先輩に伝えたいことや教えてほしいことがあるわけじゃなくて、むしろ性欲のくせにいい先輩ぶるなよって、身体の関係はあるけれど普通に後輩としても心配なんだよとか許さないから性欲か後輩かどっちかにしろよ、はい性欲だなって。でも、目の前に現れてくれたおかげでさっきより気が紛れたなあって感謝するところもあって、だけど怒られ女子会社員と深海魚とぬめぬめ蛙をごちゃ混ぜにするともうなんでもいいかなのホイップで、正面に立っている彼のズボンのベルトに手を伸ばして外そうとした。
「え?いや、ここはまずいって」
それはそんなに抵抗している口調でもなかったから、うるせえじゃあ来んな純粋な優しさじゃないヤツが抵抗してんじゃねえって無視して、そのままベルトを外してズボンのめんどくさいボタンも外してずり下げた。普段授業をしている教室でパンツ姿になった彼がちょっと面白くて、心の中でだけあははって笑って、一応、目だけで彼を見上げる。
「だめだって、誰か来るかもしれないし」
青年みたいに左右にくるくるした目玉がそう言ったけど、ああ本心から拒否されているって気はしないからやっぱり無視で、ボクサーパンツの中から主張しているところをさわさわと撫でる。だって勃ってるよあははって思う自分に、だって濡れてるよって思うレイプ犯みたいな横暴さを感じるけど、だってあたしは仕事辞めたいから何でもいいじゃないですかってまとめる、それはやっぱり横暴だわ、でもお前も嫌じゃないんだろって無理やり系ヤリチンみたいな思考で彼のマンコを撫で上げます。だって仕事辞めたいし、今日もこれから授業があるとか、もうちょっとしたら戻ってまた仕事しないといけないとかそんなこと考えたくないんです、だから彼のマンコ、じゃないわ、勃ってるものをパンツの上からなぞなぞなぞるんです、なぞなぞです優しい人の振りをしているけれどその実、彼を支配しているものはなあーんだっ?
(はい、内藤くん)
(はい!チンコだと思います!)
(正解です!素晴らしいですね!)
(一堂拍手)
パンツを下ろして垂直に突き出したチンコを口に含む、テンションが上がってるのか物事の順序なんか守りたくねえ気持ちなのか、亀頭をぺろぺろしないでいきなり口に入れちゃうの、目の前には内藤先輩のチンコ周りの毛むくじゃらと皮膚しかないの、でも見えない全体像を時々俯瞰するあたしがいるの、教室の箱に入ったあたしと内藤先輩はフェラしフェラされているの、座り込んだあたしと立ってチンコを露出してあたしの口に吸われている内藤先輩。言わないけど心の中で彼を罵倒したくなる、棚上げしても言わない罵倒はバレない、変態かお前気持ち悪い、後輩に教室でジュボジュボされて興奮してんじゃねえ、そんなヤツが良き講師の振りしてんじゃねえ、何ともない顔してほんの数時間後に上手に授業してんじゃねえ。なんて最低で変態な先輩なのって言いがかりに近いことを考えると、ノリで口に突っ込んだこの大きな毛虫は美味しいなって気がしてきて、その形を口の中で記憶するみたいに口をきゅうきゅうにすぼめてそれを舌でなぞった、形状記憶。あっあっ、声変わりしていない少年みたいな声で内藤先輩が小さく喘ぎ声をもらす。
教室で喘いじゃうのかまじかよって得意げな子供になって、もっと頑張って舌をしつこく絡ませる、いや、これがさすが彼の指導力なのか褒めて伸ばすみたいな感じなのかってちょっと面白くなって笑って彼を見上げたら、彼は宙を向いて苦し気持ち良さそうに喘いでいて、何この人ほんと気持ち悪い変態じゃないのってもっとおちんちんが美味しくなって、でもあたしは別に内藤先輩のこと好きじゃないんだけどなって、あたしの中に色んなことを考えるあたしがいて、でもそれらのあたしたちは一生懸命内藤先輩のチンコを舐めるという作業を一丸になってしていて、だけどペイ出ないんだけどな?みたいな。
でも今あたし忘れてるよねって仕事のこと覚えちゃいるけど、それはいつかのどうでもいい記憶ぐらいで、ここにずどんといないよねって。そう、なんでもいいからなんか突っ込んで忘れたいよね、他のことで頭をぎゅうぎゅうにして。
「あっ、いきそう」
君は陳腐だ陳腐だ。
「いいよ」
口に突っ込んだまま喋る言葉はンググって感じであたしも陳腐だ陳腐だ。
「ああっ、いきそう、いきそう」
 それは体液を出すだけの作業だ、君もあたしも教室フェラの状況も陳腐だし、やがて出てきては命にならないで即空気に触れて死んでいく精子も陳腐だって笑いそうになるけど、表情には出さないように注意しながら唇の前後運動を続けている。じゅぼっじゅぼって品性を欠いた音が教室中に響き渡り、その中で舌をぺろぺろすることも忘れてないのよ偉いよねだから代わってあたしが出したい、そうしたらきっともっと頭が真っ白になって忘れられるもの。
「あっ、出そう、出る、出るよ」
 ぴゅっ。先発隊が生暖かく不快な液体をあたしの口内にもたらして顔をしかめたとき、教室のドアがきいと開いて、それがあたしと彼の現実を開ける音になる。ひいい、と頭の先から足先まで冷や汗が落ちきるのがたぶん一秒ぐらいで、足元にどずんどずんに溜まる汗水を感じながら入り口に目を向ける、でもチンコはそのままでチンコを咥えながら横を向いたあたしは犬さながらだったでしょう、そしてその間もぴゅっぴゅっってあたしの口は性欲の水溜りになっていて。