お酒やおつまみ、お食事はいかがですか?
営業スマイルをまとった新幹線のパーサーがワゴンを押しながら横を通り過ぎていく。新幹線に乗る前に買ったグレープフルーツサワーを飲み終えてしまったからお酒が欲しいなと思うのだけど、なんとなくパーサーの女の子に声を掛けて注文するという行為はハードルが高い気がして、お酒を下さいと言えないまま、窓際の席に座ったわたしはずっと窓の外を見ていて、それで、そのパーサーの女の子のウグイス嬢みたいな表情のない声が通り過ぎていく。ああ、お酒。でも、車内販売ってどんなお酒売ってるのかよく知らないしなって。わたしはビールが飲めないから、声掛けてビールしか売ってなかったらきっと買っちゃうけどでも飲めないから嫌だなって。
わたしは横浜アリーナでのライブが終わってから大阪に戻るまでの新幹線の中にいて、新横浜から名古屋まではまあまあ時間が掛かるけれど、名古屋から京都、新大阪までは一時間足らずでだいぶ近い。アナウンスのあとに新幹線は名古屋に停車し、人を出して入れてぴゅっぴゅっぴゅっ、しばらく止まったあと発車していってゆっくりと加速していって景色が段々と早く通り過ぎていくけれどそれは夜だから暗い、でも都会だからもちろん真っ暗じゃなくて光にまみれて赤々と照らされている中でその背景だけは暗いって話で、飲み終わって中身が入っていないグレープフルーツサワーの缶を無意味に手でもてあそんで振りながら、その名古屋駅を過ぎたあたりで急に心が落ち込み始めた。ライブ中は、ライブが終わって会場を出たときは、新横浜で新幹線に乗り込んで座ったときは、高揚して興奮していたのに、急に、向こうで手をくすねて意地悪く笑っている現実が見えた気がした、新幹線が新大阪に近付く一秒五秒のたびに現実が暗く近付いてくる気がした、わたしは目を開いて窓から外の景色を見ているびゅんびゅん通り過ぎていく早く、でも近付いている日常へ、って分かって、深く溜め息をついたのが頭の上から足の先まで駆け抜けてわたしを呪う、わたしは自分で自分を呪う。
明日はユキちゃん出勤の日です。わたしはデリヘル嬢です。びゅんびゅんお客さんに呼ばれたホテルとかお家に行っちゃうんだぞドライバーさんの送迎の車に乗せられて行っちゃうんだぞぴゅっぴゅっぴゅっ。時間の流れが速くていつのことかもう忘れたけど、でもわたしはこの間まで普通の会社の正社員をやっていて、でも、正社員をしてちゃ、大好きな健太くんが所属しているアイドルグループのバンドにあんまり行けなくって、平日の地方ツアーとか絶対行けなくなって、就活のときには「全国転勤になっても大丈夫です!」なんてなにがビックリマークじゃその根拠はなんだみたいなことを自信満々に言ってたくせにいざ岡山の僻地に飛ばされてみるともう無理いって感じでだって健太君のライブに行けないんだもんって会社をやめたよね、だってわたしに生きてる意味なんかないから頑張る価値なんかないんだもんって、ねえ。強いて言うなら生きてる意味も価値もなんにもないのに死ねなくて生きてるの、でもそのことを正面から受け止めちゃったら心がひりひりして飛び降り自殺しちゃうから誤魔化して詰め込んで生きているの、健太君しかわたしに詰め込むことはないからだから仕事なんかやめるよね、あー、明日もお客さんのチンコ舐めなきゃって、あー美味しい美味しいって。死んでいるわたしは生きていても死んでいるでも死ねないからじゃあ生きていくしかないから、健太君のために生きているのか健太君にはどうせ女優とかモデルの彼女がいてわたしの思いなんか届きゃしないけどでも健太君のほかに詰め込むものがないからじゃあ健太君しかないじゃないって?
三列シート、真ん中は空いてる、その隣の隣のおっさんよく寝てるスーツの、おっさんって言ったけどほんとはそこまでおっさんじゃない、三十五から後半ぐらい、ぐでえって足が伸びてよく寝ている、股の上で組んだ手のひらの左手、指輪が光っている、少々くだびれているけど性的な感じは枯れていないおっさんで、わたしは彼に痴漢、例えばズボンの上から彼の局部をこすったりしたらどうなるのかなって、おっきくしてくれる?おっきくしてくれて起きたら一緒に新大阪で起きてわたしと一緒にラブホに連れ込まれてくれる?いや、売女ですけどそこらへんは申し訳ないんだけど抱いてくれます?いやわたしの価値なんて全くないんだけどねゼロですほんとはねゼロですから。とか。んー、組んだ手の上のベルト、かちゃかちゃ外しちゃいます?外してる途中でかたかた音が鳴って目を覚まして防犯ベルでも鳴らしちゃいます?あー、狸寝入りで気付いてないふりでしゃぶらせてくれたりしちゃいます?それで立ったらそのあと一緒に新大阪で起きてわたしと一緒にラブホに連れ込まれてくれる?ぐぐぐ、隣の隣のその彼が小さくいびきをかく、あー、疲れてる?疲れてるんですか一生懸命仕事なさってきたんですか?じゃあせっかくなんでわたしに抜かせてくれませんか入れてくれませんか、っていうか、健太君の魔法が切れたわたしと今晩一緒にいてくれませんかっていう誤魔化し。塩がない、じゃあ醤油だ!醤油がない?じゃあポン酢だ!っていう、味がつけばなんでもいいに近いぐらい。通路を挟んだ横の席で爆眠している脂っぽそうなおじさまは嫌だけど、その前のまあ若いリーマンなら君でもいい、とりあえず誰か、わたしの無味な夜に味をつけて、っていう。健太君?健太君の眩しい魔法は名古屋を過ぎたあたりで現実に飲み込まれてあんなにきらびやかだった色を失った味がしない味覚障害のわたし、本当はたぶんなんにも味がしないけどでも誰か隣にいてくれたらなんとなく味がつく気がする。と思いながら、さっきからずっと、隣の隣の居眠り中のおじさんの股間を見ている。あっお兄さんか三十五から後半はお兄さんおじさんか、いやなんでもいいけど透視しているズボンのしたの局部を。透けてる!ふにゃふにゃしてる!いや透けてないけど寝てるんだからまあ幼虫状にふにゃふにゃかなみたいな。わたしは彼を例えば新大阪駅を降りて近くの南方のラブホに連れ込むことを想像する。キス?キスとかどうでもいいや前戯も愛撫もどうでもいいやお友だちじゃねえんだぞ。うんだから彼は彼の局部をわたしの局部に雑に突っ込むんだ、味がしないんだなそれが彼がいくら腰を激しく振って振り続けても、あっすごい局部打ち付けられてるわすごーい、学生時代は体育会系のサークルに入ってたの?みたいな驚きがあるだけど無味です、あとたぶんチンコもシャワー浴びてからだろうから無臭です感じません感じませんでもいいんですそれで健太君。ライブ終わりの健太君はモデルの彼女でも抱いているのか?健太君もつまんねえセックスをすんのか?あああ、でもわたしは喘ぐんですよ小さくね、小さく。お仕事じゃないし感じないから相槌みたいに。でも隣の隣の男はいくんですよねそのうち、でもわたしはいけないんですよね不感症だから、ジャガイモを薄く切っただけのポテチみたいに味がついてないから。それでやつは全裸で寝るんだぜわたしを置いてぐうぐうと小さないびきをかいて寝るんだぜわたしは彼にちっとも愛情を感じてないけど彼にくっついてとりあえず寝る体制を取るんだぜ彼の腕と腋毛の間に顔をすっぽり入れて収まるのだ、収まっているのだ、収まっている間はきっと悲しくないのだ、母親の胎内にいる胎児みたいな感じ?ぷかぷかぷか、ラブホテルの一室でわたしは一人で胎内に戻るのよ、隣の男はぐうぐう寝てるのよ、でも誰かがいればそれだけで味が誤魔化されるような気がしないか。舌をびりびりっと痺れさせて一生麻痺していたい。
あー、まもなく京都のアナウンスにつられて隣の隣の彼が目を覚ます手で眠そうな目をこするもう夜の十一時近いぜお兄さんそんな疲れてるのか抜いてあげるよはあわたしが全人類っていうか全男性にしてあげられることなんてそれぐらいしかないから許して。あー、彼は立ち上がる彼が眠っていた間中彼の股間を見つめていた気持ち悪いわたしから逃げ出してどこかに行ってしまう、立ち上がって通路側をまっすぐ歩いて12号車のドアを越えていなくなった彼はわたしを置いてった。わあああ置いてかれたユキちゃん一人だーーって子供みたいに泣きたくなるわたしの頭の中で被害妄想強めな可哀想なユキちゃんが地団駄踏んでわんわん泣き始める、わたしの中のユキちゃんはあまりにも自由だ地団駄とか幼稚くさい誰かに期待しすぎですそんなのは地団駄踏んで誰かが助けてくれるんなら全人類がそうしてるっつーの。わたしはわたしの中に住むユキちゃんとわたしの現実であるわたしを上手く繋ぎ合わせることができなくていつも困っているユキちゃんが泣いていてもわたしは頭の中で隣の隣の男を襲ったりする妄想しかできなくてせいぜい口元をひくひくさせてああ困ったわねって誰にも気付かれないようにこっそり苦笑いするぐらいしかできない。 あ、帰ってきたよ頭が見えた魚みたいにすーっとこっちに近付いてくる隣の隣の男の頭が近付いてきてやがて隣に座る、ぽすん。ぽすん、なんて聞こえなかったけどわたしは心の中で言いましたアナウンスが聞こえました新大阪ですってまもなく、京都から新大阪は早いんだよなあ、ユキちゃんは彼に言います、とりあえずこれから新大阪ついたらわたしとセックスしません?って。でもユキちゃんの声は心の域を出ないので聞こえていません、席に戻った彼は俯いてスマホを見てます、お金とかいらないんで、とかユキちゃんが言ってます、お前馬鹿かゆきんこ見ず知らずの客でもないやつに、むしろお前が逮捕案件が、っていうか性病かもしれないしねデリヘル嬢だからねわたしの価値はないからねほんとはね。えへへ、えへへ、彼はユキちゃんを圧倒的無視しています、ねえ抱いてってユキちゃんがやけくそユキちゃんが彼の鞄から取り出したノートパソコンの角で彼を殴ります、別にあんたのこと好きとかそういうわけじゃ全くないのに無視してんじゃねえよって彼の頭に向かって何度もノートパソコンの角を振り下ろします怒りっぽい。誰でもいいから誰でもよくないけどでも誰でもいいから誰かわたしにポン酢をください。意味不明なことを言いながらユキちゃんは男を殴りつけ泣いている、まもなく新大阪です、ぴー。