大学の昼休み。ほとんど空席がないほどに混み合った食堂。客観視して、ロリータファッションに身を包んだわたしは、学生たちの群れの中で浮いているだろう。わたしの前にも、隣にも、一緒に昼食をとる友だちは座っていない。でも、パニエを仕込んでふんわり膨らんだジャンパースカートの腿の辺りにはうさぎのぬいぐるみが座っている。うさめろちゃんという性別のないうさぎだ。わたしは左手でうさめろちゃんの顎の毛を撫でながら、利き手である右手でオムライスをスプーンで掬っては口に運ぶという作業をベルトコンベアーの機械のように勤しんでいる。食堂のほとんどの学生たちは誰かとお喋りをしながら食事をつついていたし、携帯片手にボッチ飯をしている学生たちさえも後ろめたさを感じているようには見えなかった。
左手の愛撫、右手の食事、スプーンを握った手とそれを受け入れる唇は微かに震え続けている。スプーンに載ったご飯と卵が唇に擦れて、数粒の米が机の上にぽつんと落ちた、わたしは誰かに見られているのではないかという恐怖に取り憑かれている。それは同じ学部のなんとかさんというような特定の誰かということではないけれど、誰かの目玉がキュインキュインと動いてわたしの一部始終を監視している気がしている。それは今に始まった感覚ではなく、人の中にいるとき、ほとんどいつもそのような感覚に陥る。特に昼休みや授業前の休み時間のように、騒がしい人々の間にわたしがぽつんと点在するとき、その感覚がマシマシて、手が震える。いつか、誰かの目がわたしを裁いて人間の皮を剝ぎ、血まみれのチキンにするかもしれない。それは、特定の監視員がいつも近くにいてわたしを監視する役割を与えられている人間がいるということかもしれないし、もしくは誰かの目玉には当人も知らぬ監視カメラが植え付けられていて、それがわたしの一挙一動に合わせてウィンウィンと動いているということかもしれない。そして、それがどこか中央センターのようなところの中央管理室に繋がっていて、わたしが群れへの適合性が低い人間くずれであることを証明するデータが蓄積され続けているのではないか。わたしは、他の人たちが五体とセットで持って生まれてきた当然の能力ですよみたいな顔をして使っているコミュニケーション能力に乏しくて、無益なお喋りをして人と仲良くなることに欠陥がある。それでも今、わたしは直接的にはカメラの被害を被っていない、キュルキュルウィンウィンと動く目玉ないしはその内蔵カメラの影に怯えているだけだ、でも、いつか地球が花いちもんめを行うことになったら。地球が人間たちを十やニ十人のグループに分けて、そこから一人ずつ要らない子を炙り出していこうという試みが行われれば、過去の監視による分析のせいで、わたしはグループで最後に残った要らない子にされることだろう。勝ーってうれしい花いちもんめ。負けーてくやしい花いちもんめ。あの子がほしい、あの子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ、べーっ。そして、一人残った要らない子が決定した途端、その子の下の地球がビリビリ裂けてブラックホールのような溝ができ、そこに吸い込まれて消滅するというならまあ良い、でも消滅させるというのはもはや要らない子が今後苦しまずに済む許しを与えるということで、現実はそれほど優しくないのではないか。要らない子は選ばれてしまったものの消滅させてもらうこともできず、それから一生、あの子が要らない子に選ばれた子よ後ろ指を差され、ひそひそ悪口を叩かれ、精神的迫害を受けながら生きていかねばならないのではないか。人間はやっぱり動物の一種で、群れがちな生き物だけれど、その中でもわたしと同様に群れへの適合性が低い人間というのは一定数存在するわけだ。でも彼らは生まれてしまったからには、「はい、リセットです」「はい、ゲームオーバーですお疲れ様でしたもういいですよ」などと簡単に終わらせてもらうことはできず、人間くずれとしてでも生きていかないといけないカルマのようなものを背負わされているのだ。
でも、それでもわたしは頑張っているはずだ。きちんと大学に通い、授業を受け、バイトをして、花いちもんめで要る子に選ばれる人間たちと同じことをしている。
「あっ、あの子可愛い。見て、ほら、あそこの......」
「うわっ、なにそれ?気持ち悪い」
混み合った食堂のそれぞれ違うところから耳が吸い込んだ声が、それぞれ自分に当てられた言葉なのではないかと肩がぴくりと反応してしまう。自意識過剰だとは分かっているのだけれど、可愛いとか、何あの子すごい格好とか、気持ち悪いとか、キモイとか、あんな子死んだ方がいいのに、とかいった言葉が聞こえてくると、それはもしかしたらわたしのことを言っているのではないかという妄想が頭上から降りかかってきて、その続きに耳を傾けざるを得なくなる。それが良い評価であれ悪い評価であり、彼ら彼女の楽しいご歓談机にわたしが載せられて、思い思いにフォークやナイフで切り込みを入れられて具材にされることを想像すると軽い恐怖を感じる。可愛い、と言った女の子はトレイを持って歩きながらの発言だったため、食堂の騒がしさに紛れて消えていったが、後方の席から発されていた、気持ち悪いの続きは聞き取れた。
「なにその男、首輪付けてヤりたいって言われたの?あんたに付けたいってことだよね?めちゃめちゃ気持ち悪いね」
「そうそう。わたしもドン引きで、まさに絶句を体現しましたみたいな感じ」
「ほんとそれ、気持ち悪すぎて逆にくっそ笑けるわ」
ああ、そうですかと思い、先程よりは手と唇の震えがマシになっていることに気付く。わたしじゃない、とか、なんだそんなことか、と思うとき、目玉に追われている意識は少し薄れて、わたしの左手を縛っていた監視の糸もさっきより少し解けた。うさめろちゃんの顎を愛撫する左手にもっと力を加えて、ふわふわの毛まみれの顎をわしゃわしゃと強く撫でる。うさめろちゃん、可愛い、可愛い、うさめろちゃんはすごく可愛い子。
わたしが机の上にぽつんと点在する米粒のようにでも生きていくことができているのは、うさめろちゃんがいて、それにロリータファッションがあるからだ。可愛いは周囲の人間から自分を守るバリアだ。周囲と協調できない人間くずれは、その周囲の人間たちに手を伸ばされ、つまんで噛み砕かれ食われてしまわぬよう、包囲網を張っていかないと生きていけないのだ。パニエを仕込んで膨らませたジャンパースカートと、フリルたっぷりのブラウス、白い靴下に、ラウンドトウのリボンのついたパンプス、という可愛いものたちがわたしに光を与え、生きていく手助けとなってくれる。でも、それは堂々と生きていける力をくれるほどには強固なバリアではない。ほんとは断崖絶壁から飛び込むなり、マンションから飛び降りるなりして死んでしまいたいし、せめてカタツムリのように布団の中で人生を過ごし続けていたい。しかし、生きねばならないし、そのうえ周囲の群れじゅうが楽しげに談笑していれば、わたしはその笑い声に応じて降ってくる矢と戦わないといけないので、本当は戦いに行きたくない兵士が鎧を身に着けることで戦場に出る決意を保とうとするような感じかもしれない。ねえ生きてるんだよね、うさめろちゃんも生きてるんだよねと、左手でうさめろちゃんのお腹回りを撫でる。顎とはまた違う、丸いカーブに沿って生えた毛たちが、うさめろちゃんの中で本当に何かが息づいているような神秘的な感覚をもたらした。その毛を撫で続けていたが、やがてジャンパースカートの胸のところのハート形のポケットに入れていたスマホが振動したのが服越しに伝わった。左手でポケットからそれを掴み上げ、点灯させてポップアップの表示を確認した。
『陽一:昨日はありがとう。会えてうれしかったよ。また仕事の手が空いたときに連絡するからご飯行こうね』
表情を微動だにさせずにポップアップ表示を読みきると、それから先を開いて既読をつけることなく、スマホをまた胸のポケットに仕舞う。陽一さんはセフレのうちの一人だった。しかし、少なくとも彼には求められている存在であるという安堵感がわずかにもたらされた以外は特に感情が動かず、むしろスマホを振動させた相手が健太さんでなかったことを物足りなく感じた。はー、と息を吐いて吸って吐いてから、特に深い考えなく胸ポケットからスマホを取り出し、健太さんとのライン画面を開いてメッセージを打ちかけた。
『こんにちは、今日は暑いね。今度はいつご飯に行ける?』
でも、送信はせず、それを打ち切った一秒後に一字削除ボタンを連打して全てを消してしまうと、再びそれを仕舞った。そして、今、健太さんに対して感じた、執着に近いものを咀嚼せずに流し込んでしまうように水を飲んだ。それからオムライスを口に運ぶと、もうそろそろお腹が一杯になることを感じた。オムライスはもう残り五分の一ほどだったが、一旦、単調なトマトソースに飽きると、つまらない。わたしは半ば無意識に卵をスプーンの先でつぶすように突きながら、昨日の陽一さんのことを思い出す。
左手の愛撫、右手の食事、スプーンを握った手とそれを受け入れる唇は微かに震え続けている。スプーンに載ったご飯と卵が唇に擦れて、数粒の米が机の上にぽつんと落ちた、わたしは誰かに見られているのではないかという恐怖に取り憑かれている。それは同じ学部のなんとかさんというような特定の誰かということではないけれど、誰かの目玉がキュインキュインと動いてわたしの一部始終を監視している気がしている。それは今に始まった感覚ではなく、人の中にいるとき、ほとんどいつもそのような感覚に陥る。特に昼休みや授業前の休み時間のように、騒がしい人々の間にわたしがぽつんと点在するとき、その感覚がマシマシて、手が震える。いつか、誰かの目がわたしを裁いて人間の皮を剝ぎ、血まみれのチキンにするかもしれない。それは、特定の監視員がいつも近くにいてわたしを監視する役割を与えられている人間がいるということかもしれないし、もしくは誰かの目玉には当人も知らぬ監視カメラが植え付けられていて、それがわたしの一挙一動に合わせてウィンウィンと動いているということかもしれない。そして、それがどこか中央センターのようなところの中央管理室に繋がっていて、わたしが群れへの適合性が低い人間くずれであることを証明するデータが蓄積され続けているのではないか。わたしは、他の人たちが五体とセットで持って生まれてきた当然の能力ですよみたいな顔をして使っているコミュニケーション能力に乏しくて、無益なお喋りをして人と仲良くなることに欠陥がある。それでも今、わたしは直接的にはカメラの被害を被っていない、キュルキュルウィンウィンと動く目玉ないしはその内蔵カメラの影に怯えているだけだ、でも、いつか地球が花いちもんめを行うことになったら。地球が人間たちを十やニ十人のグループに分けて、そこから一人ずつ要らない子を炙り出していこうという試みが行われれば、過去の監視による分析のせいで、わたしはグループで最後に残った要らない子にされることだろう。勝ーってうれしい花いちもんめ。負けーてくやしい花いちもんめ。あの子がほしい、あの子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ、べーっ。そして、一人残った要らない子が決定した途端、その子の下の地球がビリビリ裂けてブラックホールのような溝ができ、そこに吸い込まれて消滅するというならまあ良い、でも消滅させるというのはもはや要らない子が今後苦しまずに済む許しを与えるということで、現実はそれほど優しくないのではないか。要らない子は選ばれてしまったものの消滅させてもらうこともできず、それから一生、あの子が要らない子に選ばれた子よ後ろ指を差され、ひそひそ悪口を叩かれ、精神的迫害を受けながら生きていかねばならないのではないか。人間はやっぱり動物の一種で、群れがちな生き物だけれど、その中でもわたしと同様に群れへの適合性が低い人間というのは一定数存在するわけだ。でも彼らは生まれてしまったからには、「はい、リセットです」「はい、ゲームオーバーですお疲れ様でしたもういいですよ」などと簡単に終わらせてもらうことはできず、人間くずれとしてでも生きていかないといけないカルマのようなものを背負わされているのだ。
でも、それでもわたしは頑張っているはずだ。きちんと大学に通い、授業を受け、バイトをして、花いちもんめで要る子に選ばれる人間たちと同じことをしている。
「あっ、あの子可愛い。見て、ほら、あそこの......」
「うわっ、なにそれ?気持ち悪い」
混み合った食堂のそれぞれ違うところから耳が吸い込んだ声が、それぞれ自分に当てられた言葉なのではないかと肩がぴくりと反応してしまう。自意識過剰だとは分かっているのだけれど、可愛いとか、何あの子すごい格好とか、気持ち悪いとか、キモイとか、あんな子死んだ方がいいのに、とかいった言葉が聞こえてくると、それはもしかしたらわたしのことを言っているのではないかという妄想が頭上から降りかかってきて、その続きに耳を傾けざるを得なくなる。それが良い評価であれ悪い評価であり、彼ら彼女の楽しいご歓談机にわたしが載せられて、思い思いにフォークやナイフで切り込みを入れられて具材にされることを想像すると軽い恐怖を感じる。可愛い、と言った女の子はトレイを持って歩きながらの発言だったため、食堂の騒がしさに紛れて消えていったが、後方の席から発されていた、気持ち悪いの続きは聞き取れた。
「なにその男、首輪付けてヤりたいって言われたの?あんたに付けたいってことだよね?めちゃめちゃ気持ち悪いね」
「そうそう。わたしもドン引きで、まさに絶句を体現しましたみたいな感じ」
「ほんとそれ、気持ち悪すぎて逆にくっそ笑けるわ」
ああ、そうですかと思い、先程よりは手と唇の震えがマシになっていることに気付く。わたしじゃない、とか、なんだそんなことか、と思うとき、目玉に追われている意識は少し薄れて、わたしの左手を縛っていた監視の糸もさっきより少し解けた。うさめろちゃんの顎を愛撫する左手にもっと力を加えて、ふわふわの毛まみれの顎をわしゃわしゃと強く撫でる。うさめろちゃん、可愛い、可愛い、うさめろちゃんはすごく可愛い子。
わたしが机の上にぽつんと点在する米粒のようにでも生きていくことができているのは、うさめろちゃんがいて、それにロリータファッションがあるからだ。可愛いは周囲の人間から自分を守るバリアだ。周囲と協調できない人間くずれは、その周囲の人間たちに手を伸ばされ、つまんで噛み砕かれ食われてしまわぬよう、包囲網を張っていかないと生きていけないのだ。パニエを仕込んで膨らませたジャンパースカートと、フリルたっぷりのブラウス、白い靴下に、ラウンドトウのリボンのついたパンプス、という可愛いものたちがわたしに光を与え、生きていく手助けとなってくれる。でも、それは堂々と生きていける力をくれるほどには強固なバリアではない。ほんとは断崖絶壁から飛び込むなり、マンションから飛び降りるなりして死んでしまいたいし、せめてカタツムリのように布団の中で人生を過ごし続けていたい。しかし、生きねばならないし、そのうえ周囲の群れじゅうが楽しげに談笑していれば、わたしはその笑い声に応じて降ってくる矢と戦わないといけないので、本当は戦いに行きたくない兵士が鎧を身に着けることで戦場に出る決意を保とうとするような感じかもしれない。ねえ生きてるんだよね、うさめろちゃんも生きてるんだよねと、左手でうさめろちゃんのお腹回りを撫でる。顎とはまた違う、丸いカーブに沿って生えた毛たちが、うさめろちゃんの中で本当に何かが息づいているような神秘的な感覚をもたらした。その毛を撫で続けていたが、やがてジャンパースカートの胸のところのハート形のポケットに入れていたスマホが振動したのが服越しに伝わった。左手でポケットからそれを掴み上げ、点灯させてポップアップの表示を確認した。
『陽一:昨日はありがとう。会えてうれしかったよ。また仕事の手が空いたときに連絡するからご飯行こうね』
表情を微動だにさせずにポップアップ表示を読みきると、それから先を開いて既読をつけることなく、スマホをまた胸のポケットに仕舞う。陽一さんはセフレのうちの一人だった。しかし、少なくとも彼には求められている存在であるという安堵感がわずかにもたらされた以外は特に感情が動かず、むしろスマホを振動させた相手が健太さんでなかったことを物足りなく感じた。はー、と息を吐いて吸って吐いてから、特に深い考えなく胸ポケットからスマホを取り出し、健太さんとのライン画面を開いてメッセージを打ちかけた。
『こんにちは、今日は暑いね。今度はいつご飯に行ける?』
でも、送信はせず、それを打ち切った一秒後に一字削除ボタンを連打して全てを消してしまうと、再びそれを仕舞った。そして、今、健太さんに対して感じた、執着に近いものを咀嚼せずに流し込んでしまうように水を飲んだ。それからオムライスを口に運ぶと、もうそろそろお腹が一杯になることを感じた。オムライスはもう残り五分の一ほどだったが、一旦、単調なトマトソースに飽きると、つまらない。わたしは半ば無意識に卵をスプーンの先でつぶすように突きながら、昨日の陽一さんのことを思い出す。
