二次会が終わって、店長とルミちゃんとも別れて一人で電車に乗った途端、あたしの頭はテスラのことに切り替えられた。数人掛けの椅子のシートの一番端のところに座って、頭を銀色の手すりにもたれかけ、すぐにスマホを点灯させる。でも、二時前に送ったラインの返事がまだ来ていなくて、テスラは何してんだクソがと思って、シューティングゲームのような早さで、テスラの彼女のツイッターにアクセスする。
「今日もハッピーです(はーと)今日暑いからアイスモンスターで杏仁氷とストロベリー氷はんぶんこ!」
 手前と奥に二つのカキ氷が並ぶ写真の、その奥の方に見覚えのあるテスラのTシャツが写っていて、あたしは数秒その写真に見入って、それからまた、ツイッターの文面を繰り返し目でなぞって、妬ましくて憎らしくてでも慣れたことで、慣れているから電流を流し続けられているうちに分からなくなる罪人みたいに麻痺していくところもあるんだけど、でもそれでも全部麻痺できるかというとそうでもなくて、ああ、全部麻痺してなんにも全然痛くなくなったら楽なのにと時々思う程度にはやっぱり妬ましく憎らしく痛くて、テスラの彼女を殺したくなる。ビジュー付きの紐でじっくり綺麗に絞め殺すとか、ゆっくりと拷問していって苦しみを味あわせたいとかじゃなくて、上からギロチン的なものをさくっと落として情緒なく殺したいような感じで。彼女に美しい死を与えてあげたり、ゆっくり怨念を込めて殺してあげるほど彼女にも興味が無くて、ただただ妬ましく憎らしいのは彼女にっていうか、テスラに愛されているというそこだけに関してだ。テスラに愛されているのが彼女じゃなくても、小鳥やコガネムシやおせんべいであったとしても、同じふうに思うはずだ、個としての彼女の人格はどうでもよくて、テスラに愛されている者がする全ての行動があたしへの当てつけみたいに羨ましい。今は何してんだよとも想像してしまわない訳がない。夜の十時過ぎ、ちょうどテスラと彼女がセックスしているぐらいの時間帯だろうか。テスラの家で?彼女の家で?ラブホテルで?テスラの手が触れて肩や腹がひっついて肉が繋がって何度もバウンドして繋がりを何度も何度も押し当てていくことだけでも十分ぞわぞわとした憎悪的な怒りが湧くけれど、テスラが愛してるよなんて言いながら彼女の頭に手を回して優しく密着したりしながらそうしているのではないかと考えると、あたしは息を鼻の奥まで吸い込んで深く長く吐き出しながら本当に死にたくなってしまう。なんであたしは生きていてでもテスラの彼女も生きているのにテスラのチンコを挿入されていてはぁはぁ喘いじゃって幸せで、もうなんならそこまでは良しとしてもなんであたしは死んでいなくて生きないといけなくてなんなのっていうか、お幸せにでもいいから本当に早く人生を終わらせてほしくなる。テスラが好きで、テスラ以外の全てのなにもがあたしの心を深いところで動かさなくて、でもあたしは選ばれない側の人間ですみたいなことを考えて目を閉じて、とりあえず電車の中で眠ってこのつらみを緩和しようぜとしていた辺りでスマホが鳴って、手の中で握っていたスマホをぱっと開くと、それはテスラからだった。
「式、終わった?今から家来る?」
 なんだよと思う気持ちと許されたような安堵感と短絡的なアメーバみたいな単細胞的な喜びと、あたしはいつも単純にすぱって切れるような気持ちじゃなくて複雑でいて、ああ、今日は彼女が生理なんですかって、テスラくんはちょうど月一ぐらいに土日にもそういうラインを送ってくるんだけど、それは多分きっと彼女の生理の周期でやってないからあたしを呼ぶんだろ?というのは考えすぎだろうか、教えてえろいひと。でも、あたしはテスラが好き、だから、デートの後に呼び出されてノコノコ出て行くのかっこ悪いとか自尊心があるから無理とかそういう思考にはならなくて、テスラが好き。
「おわた!いくー。泊まりでいいよね?」
「おっけ」
 一分もしないうちに返事が返ってくる、あたしは普段平日の夜にテスラと会うのだけど、テスラの彼女は土日休みのOLで、あたし達が土日に会うのはそう頻繁ではないのだ、そう、月一ぐらい。途端に、化粧崩れてないかなとか顔がオイリーになってないかなとか髪の毛取れかけてきてないかとか気になってきて、テスラの家に行く前に駅のトイレで軽く化粧直しをしようと思った。二層仕立てのゼリーみたいに、うきうきした心が浮き上がり、その底で、軽くいい加減な存在価値が重苦しく沈殿してまとわりついている。自尊心が発揮されないのと、自尊心がひしひし削られていくのはまた別の話だ。既に日々削られ続けた自尊心はもはや人間としての底辺近くをさまよっていて、今更、少女マンガみたいに「彼女と別れないならもう会わない!」みたいな自尊心を発動することはできないし、そんなことができる人はあたしと違って、その人がいなくとも自我を保てる人だ。あたしの自我は、テスラだ。あたしはテスラだ、テスラはあたしじゃなくても、あたしはテスラで、テスラでできている。
 バンギャルだったあたしが、きゃあきゃあと盛り上がるライブハウスの、舞台の上で一人だけ我関せずみたいに冷静沈着に俯いて、ドラムにリズムを刻み続けていたテスラを一目見て恋に落ちてから、それからずっとあたしはテスラになったのだ。アヒルかなんかの赤ちゃんが孵化してから初めて見たものを親と思い込むみたいに、あたしにとってテスラは初めてあたしの目を吸い込んだ男で、だからテスラのどこどこが魅力的とかそういうことよりも彼がテスラであるという存在自体が全てと言っても過言ではなくて、テスラは、ほんとに、テスラだからという理由だけで彼の全てが愛おしい。