「サユリさんはぁ、いつも明るく元気で、ショップが大変な日もわたし達にエネルギーを分けてくれるような子で、わたしもほんとに支えられてきてぇー、すごい感謝しててぇ、そんなサユリさんがご結婚されるって聞いたときは自分のことみたいに二人で喜んじゃってぇ、わたしもすごい嬉しくて、だから絶対に絶対に幸せになってほしいと思いますう、本当にサユリちゃんおめでとう」
 あたしはアパレルショップで働くフリーターで、その女店長がサユリちゃんの結婚を祝うためのクソスピーチをサユリちゃんと夫の親族ならびに友人に垂れ流していくのを耳から脳へ流して、脳内でそれを軽くディスっていた。語尾が甘えたな女子高生みたいな喋り方はすっかり聞き慣れていたはずが、マイクを通して改めて聞くと馬鹿丸出しで、こんなやつらと一緒に働いているあたしも簡単に回りまわってクソだよねー、という軽い自己嫌悪込みで、はい、はい、はい、とサクサクっと脳内でディスっていく。まあ、そもそも、その日シフトに入っていなかったということだけで、わざわざ休みの日にさほど親しくも無いサユリちゃんの結婚を祝わざるを得ない状況に追いやられた上、二十時間以上の賃金に値する二万円を搾取されたことで内心かなり機嫌を悪くしていたのだ、それなら新しく過激な下着でも買いたかったわ。お前ら幸せなやつはやりたいやつだけで完結しとけや。しかも、ギャル系のサユリちゃんの旦那が吹けば飛ぶ紙のようなホスト系でもなく、電気屋みたいな地味な眼鏡系なのがまた腹が立つ、結局堅実な人が一番ですみたいな、やっぱり男は優しさだよねみたいな、っていうかそう思うのまでは勝手だとしても、なぜわざわざお披露目をして自分の幸せを撒き糞のように散らそうとし、その糞をかけられなきゃいけないんだか、などと腹が立つポイントは容易に色々と列挙することができる。でも実はあたしは店長にもサユリちゃんにも深いところではそんなに興味が無くて、店長の五分ほどのスピーチを終始俯いて聞き、それよりも白いテーブルクロスの裾にかかったあたしの左腕を見ていた。左腕の、ひじと手首の真ん中のあたりにできた、一筋のボコボコがとっても綺麗で、五分も十分もその皮膚の窪みを眺めていられる。これは別に火傷跡とかそういうシリアスなものではなくて、結婚式の会場に来るまで腕にかけていた、何冊もの漫画が入ってずっしり重くなった鞄の取っ手が作った跡だ。例えて説明するなら、百貨店で買い物した重い紙袋なんかを腕にかけていると、腕にうっすらとできる、取っ手の紐の跡に近い。あたしはあの跡が好きだ、誰かに締められたような、鬱屈とした思いを解消するために誰でもいいからやったとか、もしくはあたしを殺してやりたくて絞殺しかけたなら最高だね、みたいな感じがして、いくらかうっとりする。でも、紙袋で言えば、取っ手の幅が一、二センチあって、そこが平らになっているものはだめだ、面白味のない一、二センチの幅の跡と、圧力がかかったその縁のところには赤い跡が残るだけで、いかにも荷物を下げてた跡ですみたいになるだけなので、それよりは二本のひもがネジネジしている取っ手の方が、細い縄で締められたような跡が残るので望ましい。実はあたしも先週まではそれで満足していたひよっこで、取っ手が二本のひものネジネジになっているショップバッグに数冊、いや十数冊のそうまあ大して読みもしない漫画を入れて出勤退勤していたクチだったのだが、今週の水曜日についに理想の取っ手に出会ってしまったのだ。取っ手の表部分のところに、大小様々な大きさのビジューがたっぷり散らされていて、その取っ手を裏返して腕に引っ掛けて持つと、腕に大小様々なビジューのデコボコの跡がくっきりと強く残るのだ。あたしはそれをひどく気に入っていて、店長が女子高生のような低IQのスピーチをしている間じゅう、その跡を眺めているという訳だ、これは無差別殺人とか無計画犯罪的な類ではなくて、誰かがずっとあたしを殺したいと思っていてやっと念願の犯行に及べた、みたいな特別な感じがする跡で、それだけに目を注いでいるとにんまりしてきちゃいそうになる。小さなスタンプを腕にたくさん押し付けていって異物的な跡を付けていった腕は、冷静に見ると皮膚病みたいな気持ち悪い感じで、でも愛とかは結局気持ち悪いものでしばしば傍から見ると狂気的なもので、あたしは自分でつけた取っ手の跡に、だれかに付けて欲しい狂気的な愛の跡を勝手に感じて、自分でやっているのにそれが他人につけられた縛り跡みたいな感覚に陥って、端的に言うと精神的オナニーみたいに気持ちよくなってしまう。
「ああ、緊張しちゃったよお。実は人の結婚式で話すのって初めてで。わたし大丈夫だったあ?早口になったりしてなかった?」
 隣の椅子を引くと同時に話しかけてきた女店長の声にはっと意識が戻って、耳が瞬時に蘇ると、女店長のスピーチが終わって、代わりに司会者がマイクを通して話している声が聞こえて、気づけば彼女の低IQスピーチをディスるのにも飽きて意識を飛ばしていたことに気づく。それと同時に、バツイチ女店長の二人の幼子がクチャクチャと音を立ててご飯を口に運び続けていたことも認識し、食事が出されてからというもののずっと、躾のなっていないサルどもがというような気分になっていたことを思い出す。
「いえ、聞き取りやすいスピードでしたよ。大丈夫です」
「ほんと?あー、でも、マリちゃん、ずっと下向いてなかった?」
「ええ、はい、店長の言葉に感情移入してしまって、店長の顔を見てしまったら泣いちゃいそうだったので見ないようにしてました」
 あたしが口から出まかせを吐くと、店長はそっかあと照れたように笑って、それから二人の子どもの頭をそれぞれそっと撫でた。あ、神経図太そうなこの人も、バツイチのくせいに職場の後輩女の結婚式のスピーチをさせられるなんてさすがに堪えるものがあるのかと勘繰り、冒頭のスピーチを聞きながら散々脳内でディスっていた店長が少し可哀想に見えたので、店長の頭をぽんぽんと撫でてあげ、地味なヨドバシカメラの店員みたいな旦那捕まえちゃって、世の中の女たちは目くらましに遭って失敗しがちだけどわたしは堅実で正しい幸せを掴みましたみたいな感がイラつきますよねって言ってあげたかったけど、それでも彼女とあたしは分かり合えないだろうからそんなことは言わないで黙って髪を乱された子どもを見ていて、特に下の子の方がクチャクチャと汚い音を立てて食べるのがやっぱり気になった。