酔っ払って打ったやつ

 翌朝、健太君ががちゃりとドアを開ける音でわたしは目が覚めた。あのあと、カラスの鳴き声が聞こえて朝の訪れを感じ取ったことに安心して、ベッドに入って眠ったのだ。健太君がやっと来てくれてきっとやっと朝の九時がやって来たのだろうことが分かったけど、ベッドに入ったまま眠りから目覚めていないふりをした。まだ眠っているのかな?って頬を撫でて欲しかったから。健太君に頬を撫でられるまでをトクトクしながら狸寝入りして待って、頬に手を置いてもらったとき、わたしはキャン!と飛び起きた。健太君の顔も見ずに、顔をごしごしと健太君のお腹に擦り付ける。会えて会えて会えて嬉しかった。今日もやっと迎えに来てくれた。保育園でおとーさんおかーさんが来るのを首を長くして待っている子どもの気持ちでボディランゲージで愛情を表現して、にんまり笑って顔を上げた。健太君が口づけてくれた。健太君がいない夜は長くて長くてなかなか眠れる気にならなくてしょうがないのに、健太君がやって来るとわたしはたちまちほどけて眠くなる。唇を離してくっつけてをくり返すだけの浅いキスを何回かしたあと、そのままふあーっと脱力して、また眠りの世界に落ちていった。健太君がいる。いるいるここの部屋にいるわたしの近くにいる。本当は手を握ってもらって眠りたかったけれど健太君はよく分からないパソコンを打つお仕事があるので、それは我慢して、健太君がそばにいるということだけに満たされて、夜からやっと初めて安心して眠った。
 ずっとしばらく明かりがついたまま、パソコンのタタタターンが聞こえているまま眠っていた気がしたけど、お昼ごろになると健太君はわたしを布団ごと抱き締めて揺すって起こして、「お昼だよ」と言った。本当は健太君が起こしてくれてわたしの世界に関わってくれたことが嬉しかったけど、お母さんに甘える小さい子どものように、わざと「ううーん」と眠そうな声を出した。
「お、ひ、る、だよ、ご飯だよ」
 健太君がもっとわたしを揺する。わたしは目をぱちくり開けたり閉じたりしてみて、健太君がもっと上からわたしを見下ろして起こしてくれたらいいな、とぼうっとした頭で願う。
「なあにー?今日のご飯」
「オムライス。好きでしょ」
「うん、うん!」
 尻尾を振って起きて、顔を洗って歯磨きしてきなさいという健太君に従って洗面所に向かったけど、オムライスじゃなくてもなんでも嬉しかった。いつも、健太君がわたしと一緒に食べるためのお昼ご飯を作ってくれて、起こしてくれるというのが嬉しくてたまらない。そのために一人の夜の辛さを耐えて今日になったんだと思うし、それが大したことじゃないならわたしの人生の価値なんて健太君が作ってくれるオムライス分しかないのだと思うし、ただ、わたしは健太君と過ごす日中のためにしか生きていない。それは別に大した価値のあるものではないのかもしれない、男が日中SMプレイに似た遊びを楽しんでいるだけなのかもしれない、でもわたしはそのためにしか生きていない、生が自分の意思とは関係なく続くものだとしても。
 食べ終わって午後は健太君の膝の上とか腰の辺りにまとわりついて時間を過ごした。健太君はパソコンをタタタターンしてるのが大体であまり構ってくれない。だからわたしはそれに飽きると健太君の顔色を伺いながら健太君のベルトを外してズボンの度重なるボタンを外してそれを脱がせてパンツを下ろすのに腰を浮かせて少し協力してもらったりした。健太君がパソコンを触っている机の下に潜って、パンツの下にそっと隠されていた健太君の局部をすっすっと触ってある程度大きくしてから、それを口に含んだ。舌先に力を込めてなぞると、健太君の局部が金魚のようにぴちぴち反応するのが嬉しかった。美味しい、なんて味はしないのに、健太君のその形を口に入れることが大好きで、口をきゅうきゅうにすぼめて、その形状にまとわりつきたい欲が湧き上がる。健太君の局部を口内に入れて、口を上下させながら健太君の局部の形をなぞって、それで口をいっぱいにする。
「舌も動かして」
 健太君に指示されるのはなによと思わないでもなかったけど、その通りにすると、健太君が気持ちいいと声を漏らして褒めてくれたのでわたしの満足度は上がってそのまま口と舌を動かし続けた。つい目を瞑ってしまう、でも意識的に目を開ける、もしゃもしゃの黒い陰毛が見える。もっとそれにくっつけたくて、そこに顔を埋もれさせて全面服従したくて、ぎゅっぎゅっと口をそこに近づける。

 でも健太君は今日も夜の八時になればドアを閉めてわたしを置いていってしまうに過ぎないのだ。健太君はいつも帰る三十分前ごろにわたしにホットココアを作ってくれて、それからなぜか幼児にするようにわたしに添い寝する時間を取るのだ。
「はい、ココアができたよ、おあがり」
 健太君は夏だというのにあたたかいココアを大きなマグに注いでくれて、その一つをテーブルのわたしの方に向けて置いた。でもわたしは知っているのだ、けんちゃんが毎晩作ってくれるホットココアは睡眠薬的なものが入っていることに。きっとわたしのココアにだけ睡眠薬が入っていて、けんちゃんは帰るときにわたしが泣き喚かないように寝かしつけをしてから、わたしが寝入ったタイミングで部屋を出るのだ。それからわたしはいつも夜の十一時頃にふっと真っ暗な部屋で目が覚めて、暗くて見えなくともそこにもう健太君がいないことを感覚的に知って泣く。これは思い込みじゃない。むしろ、ココアを飲み終わった後のマグの底にはうっすらと白い粉がたまった痕がついている。こんなのコナンくんでやったら即物的証拠じゃないかと思うんだけど、わたしはいつもそれを指摘できない。大人しくそれを飲み、ちょっと添い寝しようか?と言われれば、いつも素直に頷いてしまう。しかし、たぶん、スプーンでしっかり混ぜれば底に粉が沈殿することなく綺麗に睡眠薬を入れた証拠をなくせるのではないかだろうか。でも、健太君がもしかしてわざとそれをしないのはマウンティングをしているのかもしれない、俺はお前の身ぐるみを剥がして首輪をつけて犬にした上で、睡眠薬を飲ませることでお前を完全に支配しているんだよと。こんなにあからさまに粉末の残りを見せ付けられても抵抗ひとつできないんだろう?と。ううう。でも、その日は出来心だった。別に、何日も前から計画していたとかじゃなかった、そうしたらどうなるんだろうとはずっと思っていたけど。
「健太君のほうのココアがいい!」
 健太君は眉をぴくっと動かして一瞬イヤな顔をして、自分の側に置いていたマグをさらに数センチ自分の方へ寄せつつ、平然とした顔を取って代わらせる。
「なんでよ、量は一緒だよ」
「健太君がいつも使ってるマグがいい!」
 健太君のマグをばっと奪い取り、中のココアを飲もうとしたとき、健太君がわたしの頬を強く叩いて、びっくりしてマグを持った指が外れて、わたしの裸の身体よりも温度の高い液体がべっちょりとこぼれて流れていった。火傷するほどじゃなかった。でも、いくらか熱くて、身体の上を熱くてどろっとしたものが流れていくのは初めてで、ああ床にも垂れるなあなどと行く末を描きながら案外冷静にそれを見ていた。床にぽとりとココアが垂れて、白いフローリングを茶色いものが汚していくのを見届けたあと、わたしは健太君に目を合わせた。
「なんで健太君のマグで飲んじゃだめだったの?」
 そんなこと別に聞くつもりもなく、なんとなく口から出ただけだったのだけど、健太君は何も答えずに、乱暴にわたしの手を引っ張って、首輪を外さないままお風呂場へとつっこんだ。その途中、わたしの身体から依然としてココアが落ちていって、すごく分かりやすい犯人の進路みたいにお風呂場への道へ辿っていくのを横目で見た。
 健太君はいやいや洗車をする人みたいに服を着たまま、むっつりとなんだかすごく怒ったような顔で一言も何も言わずにわたしにシャワーの水を浴びせて、わたしは勝手に一人で余計な暴走をしてしまったから、水が冷たいと言うことすら許されない気がして黙ってシャワーの冷水を浴びて、お風呂場のドアをがんと乱暴に開けられて脱衣所でバスタオルでごしごしに拭かれながら、夏なのに身体の体温が奪われて冷えてしまったのを感じた。羽をもがれたペンギン。そして、健太君はわたしにバスタオルを押し付けたまま、何も言わないまま部屋を出て行って、きい、と鍵が閉められる音が聞こえた。月並みに、その音に悲しさを誘発された感じがすごくして、なんだか説明できるような明確な理由は分からなかったけれど涙が溢れてきて、それをしばらくわざと垂れ流したまま、あーわたし悲しいんだあって思って、それからいい加減にえらいこと曇った視界が邪魔になると、バスタオルでごしごしと目を拭った。なんだ、摩擦圧力か?目を拭うのに更に涙が溢れてきて、あー、好き、みたいな。ごめんなさい、みたいな。わたしが抵抗したから余計なことをしたから。睡眠薬入りのココアだってことはずっと分かっていたのについ余計な試すようなことをしてみたくなったわたしがいたから。なんでそんな余計なことしたの。ごめんなさい、好き、でも、わたし、愛されていない。彼の手の範疇から外れることをした。彼は怒って帰った、都合のいいわんちゃんをずれてはみ出した、彼はわたしを置いて怒って帰った、わたしは愛されていない。今までの犬状態が愛されていたかも愚問だけど、ほら、違うでしょ、本当がどうかより気づくか気づかないかでしょ。いや違うよずっと気づいていた。なんでもなく思いつきでなんとなく試してみた気がしたけど、本当はずっと気が付いていてだからそれを確証にするために試してみたい気持ちになったんだろう、わたしの奥底に住むわたしの誰かが、別にわたしじゃなくても。でも、なんでそんな余計なことするの。わたしは愛されていなくても愛していたんだよ、なのになんでわたしのうちの誰かがわたしの邪魔をして健太君を怒らせたの。