健太君は夜にはウチに帰って来ない。健太君は健太君のオウチに帰っている、わたしを健太君の仕事場であるマンションに昼も夜も閉じ込め続けたまま。健太君の仕事は何やってんのかよく知らねえけどパソコン一つあればできるらしい仕事で、ここには配達のお兄さん以外は人っ子ひとり来なくて、この部屋にはパソコンとベッドと小さな衣装だんすの他、何にも余計なものがない、うさぎちゃんのフィギィアも壁に飾られたポスターも掛け時計もなんもない。そして、わたしは身ぐるみ剥がされてひん剥かれた裸に首輪をつけられて、そのリードはベッドでがっちゃんこされている、でもこの部屋とトイレぐらいなら十分いける長さ。こんな長かったら散歩中の犬は車道に飛び出して車に轢かれちゃうっつーの。向こうを歩いてきた女子高生の制服のスカート食い千切っちゃうっつーの。でも便利。わたしは健太君にこうされて初めて、歴史上誘拐されてきた沢山の少女たちはどうやって排泄をしてたんだろうという疑問を持った。いちいち看守役の犯人にトイレ行きたいですって言って連れてってもらうの?もしくはたまにお漏らしプレイとかしちゃうの?でもめんどくさくね、それ、みたいな。
健太君は夜にはウチに帰って来ない。健太君がなんで帰って来ないのかわたしは知らない。前に聞いたときは夜は麻薬の売りつけのために危ない通りをうろついてるんだって言ってた。その前に聞いたときはイカ漁のために海に出ないといけないんだって言ってた。うっせー死ねや。健太君が帰って来ないということはわたしは一人だということだ。一人なのだ。毎朝九時に健太君がやってくるまでわたしはずっと一人。一人暮らしなら普通そんなもんやんけって?あほか違うよわたしはね裸に首輪をつけられるっていう超絶調教状態のまま毎晩一人きりなのよ。言いようによっちゃ放置プレイだと考えられなくもないけど、これを放置プレイを取るのは好意的すぎるね。放置だね。健太君はきっと、夜の八時にこの部屋を出てから、朝の九時にまたやって来るまでの間、きっとわたしのことを忘れてるの。わんわんわん。
健太君が置いていったパソコンがあるから毎晩その気になれば2ちゃんとかドラマ動画見たりとかできるんだけど、でもわたしは犬だから。健太君はわたしに服を着せずに首輪をつけたまま、わたしの犬さを冷凍保存して明日の九時まで鮮度良く保っているように凍らせてどこかに帰ってしまうから。だから、わたしは犬だから、犬らしく、ソファーの上でごろごろしている、噛んで汚れたブランケットをかけてカーペットの上で寝ている、ときどき猫のように健太君の椅子に乗って窓の外の景色を眺めている。この月を健太君もどこかで見ている、とかは思わない。きっと健太君は月なんか見ていない星なんか尚更見ていない。わたしが見るものをきっと健太君は見ていない。
健太君はいつも携帯かパソコンの下の所の表示で時間を見るから、この部屋に時計はない。よって、わたしはいつも今の時間が分からない。でも、健太君がいない夜の時間、わたしは必ず分かっていることがいくつかある。それは、健太君がいまここにいないことと、今は夜であることと、いつか夜は明けること、そしたら朝がやって来てきっと多分また健太君がやって来ること。わたしはカーペットの上に横向けにだらんと寝転がって、犬ならばくうんくうんと寂しげに鼻を鳴らすところだった。でもわたしは犬じゃないしモノマネが上手いタイプの人間でもないので、心の中だけでその鳴き声を響かせた。健太君がこの部屋にいないから寂しくて鳴いているのだ。この声が健太君に届いたらいいのに。わたしの喉や心が健太君の脳に繋がっていて、わたしが何か言ったり思ったりする度に健太君の脳味噌が震えればいいのに。健太君に届かない鳴き声など本来意味がないのだよ。自己陶酔?酔えるほど余裕ないのよわたし。
くうんくうん。お腹をおさえながらカーペットの上に寝転がっている。ベッドの上にぐちゃっと放り出していたブランケットに手を伸ばす。寝転がったまま、雑に手を動かして当たった布をひっぱり下げる。わたしが噛んでところどころ汚くなったブランケット。赤ん坊の指しゃぶりみたいに、健太君がいなくて寂しい夜にわざとらしく噛んで汚くしてみたのだけど、健太君はそれを見つけても何にも言わなかったし、新しいブランケットを買ってくれもしない。知的生命体であるくせに犬のようにブランケットを噛むことで怒り・寂しさを表現しようとした低知能ぶりに腹が立って、そんなお前はこの歯型がついたブランケットがお似合いだよ!と思っているのかもしれない。新しいブランケット、ふわふわしたやつ買ってー、っておねだりしたらきっとすぐに買ってくれると思うけど。
健太君。さみしいようさみしいようなにをしてるの?わたしは健太君にスマホすらも取り上げられていて、連絡手段がなくて、ということはわたしが今呼吸困難を起こしてぶっ倒れても誰も助けを呼べず救急車も呼べず死ぬということなんだけど、とにかくわたしはこの現代人にあるまじき感じで健太君への連絡手段を持っていないので、健太君の仕事用のメモを書くための雑なノート、机の上に転がっているそれと同じく机の上のプラスチックケースに立てて入れられている黒ボールペンを取って、そこに落書きをする。もちろん届かない、けど、犬の絵をたくさん描く。吹きだしで台詞をつける。
「さみしい」
「けんたくんどこ?」
「なにしてるの!」
「なんできてくれないの!」
「ひとりぼっちだよ~~~」
「いつ朝になるの?」
「いつくるの?」
「納豆」
「ブロッコリーすき?」
「納豆とブロッコリーどっちがすき?」
「納豆とブロッコリーとわたし、どれがいちばんすき?」
「頭が納豆まみれになって洗っても取れないか、頭からブロッコリーが生えてくるかどっちがいい?」
わたしはそれを健太君が朝来る前に、机の前にぎょうぎょうしく広げて置いておくのだ。健太君は目を細めて少しイヤな目つきをして毎朝それを見るのだけど、でも健太君はちょっとだけ答えてくれるのだ。「納豆とブロッコリーなら納豆が好きかな」とかね。わたしが沢山書いた疑問文の中でもとってもどうでもよくて適当に書いたことだけに答えてくれるの。今日はまだ書いてないけど。ふええ。さっきからずっとカーペットの上に寝転がっている、ブランケットをかけて、お腹を手でさすりながら。いや、寒いんだよなこれ。夏とはいえ一日中全裸だよ、首しか保温してねえぞ、お腹痛くなるに決まってんだろばかが。だから、わたしは健太君に連れてこられて犬にされてからは、ずっとお腹を下している。でもわたしは本当の犬じゃなくて自分でトイレに行って排泄してそれを流せる知的生命体だから、お腹を連日下しまくっていることを健太君は知らないで、いい気なもんで犬ごっこを楽しんでいる。このくそが。お前が全裸首輪してみろや。あーでも、健太君は下腹だけがちょっとぽよんとしてるからそれが妙に人間臭いから健太君は服を着てていいよ。はあ、わたしはね、とりあえずずっと、地味にお腹を壊していて、でもあなたがだいすきだいすきだいすきなの。
ずっと体温を保った手でお腹をさすっていたら少しは腹痛がましになった。だから、冬眠から目覚めたてのクマのようにのっそりとカーペットから起き上がって、運動神経抜群のネコのようにぴょんと椅子に飛び乗った気分で体育座りをした。あー人間つまんねえ。むしろクマとかネコだったらもっと良かったんじゃないか。クマなら健太君を襲って血しぶき吹かせて骨を残して健太君を全部食べきってしまえるかもしれないし、ネコならぐだぐだ考えずに気ままに健太君に可愛がってもらうだけで暮らせたはず、健太君がいない夜に健太君のことをぐだぐだ考えずに次のご飯のこととネズミとゴキブリとねこじゃらしのことで頭をいっぱいにして眠れたはず。回転椅子をぐるりと回転させるつもりがあんまり回転しなくて、なんだよと思いながら手で残りをくるっと回して、窓から外の世界を見た。黒い、暗い、中で、人間が住む光たちが無数に光っている。あんなにも沢山の人間たちが住まいのために光を光らせて眠って生きて食べて、彼らには生きる価値があるのかと思うけど、いいやわたしは首輪をつけた犬だし、わん。
健太君はどこ?無数の人間の明かりの中にも健太君はいなくて、いやそりゃ光の中に生首が浮かんでるとかそんなはずないそういうことじゃなくて、こんなに人間の光はあるのにわたしの健太君はここにいないって思ってキャン!って小型犬のように吠えたくなる。頭悪そうな、脳味噌すかすかなんだろうなっていう甲高い鳴き声。うぜー。おっと。カラスの鳴き声が向こうの空から聞こえる、これはガチ。空はまだ黒くて暗かったけれど、それを聞くと遠くの空がぼんやりぼんやり明るんできた、もしくはもうすぐ明るんでくる気がしなくもなかった。いつもカラスの鳴き声を聞くと少し安心する、もうすぐ朝が来るなあって、頑張って夜を耐えたなあって。わたし、今日も頑張って夜を耐えたよ健太君。まあ、夜を耐えたことで何の意味もないんだけどね。わたしが生きていることにはほとんど何の意味も価値もない。例えばお祭りで掬ってきた金魚がすぐ死ぬより長持ちした方が少し嬉しいだろうぐらいの感じで、もしかしたらちょっと健太君が喜んでくれるかもしれないぐらいで、本当にわたしの生はたぶん無駄である。いや、無駄なことに価値があるとかそういう話じゃねえぞくそ。本当に無駄で何にもならなくて死んだ方が良くて、でも、死んだ方が良いのと死ぬのはまた別って話よ。
健太君は夜にはウチに帰って来ない。健太君がなんで帰って来ないのかわたしは知らない。前に聞いたときは夜は麻薬の売りつけのために危ない通りをうろついてるんだって言ってた。その前に聞いたときはイカ漁のために海に出ないといけないんだって言ってた。うっせー死ねや。健太君が帰って来ないということはわたしは一人だということだ。一人なのだ。毎朝九時に健太君がやってくるまでわたしはずっと一人。一人暮らしなら普通そんなもんやんけって?あほか違うよわたしはね裸に首輪をつけられるっていう超絶調教状態のまま毎晩一人きりなのよ。言いようによっちゃ放置プレイだと考えられなくもないけど、これを放置プレイを取るのは好意的すぎるね。放置だね。健太君はきっと、夜の八時にこの部屋を出てから、朝の九時にまたやって来るまでの間、きっとわたしのことを忘れてるの。わんわんわん。
健太君が置いていったパソコンがあるから毎晩その気になれば2ちゃんとかドラマ動画見たりとかできるんだけど、でもわたしは犬だから。健太君はわたしに服を着せずに首輪をつけたまま、わたしの犬さを冷凍保存して明日の九時まで鮮度良く保っているように凍らせてどこかに帰ってしまうから。だから、わたしは犬だから、犬らしく、ソファーの上でごろごろしている、噛んで汚れたブランケットをかけてカーペットの上で寝ている、ときどき猫のように健太君の椅子に乗って窓の外の景色を眺めている。この月を健太君もどこかで見ている、とかは思わない。きっと健太君は月なんか見ていない星なんか尚更見ていない。わたしが見るものをきっと健太君は見ていない。
健太君はいつも携帯かパソコンの下の所の表示で時間を見るから、この部屋に時計はない。よって、わたしはいつも今の時間が分からない。でも、健太君がいない夜の時間、わたしは必ず分かっていることがいくつかある。それは、健太君がいまここにいないことと、今は夜であることと、いつか夜は明けること、そしたら朝がやって来てきっと多分また健太君がやって来ること。わたしはカーペットの上に横向けにだらんと寝転がって、犬ならばくうんくうんと寂しげに鼻を鳴らすところだった。でもわたしは犬じゃないしモノマネが上手いタイプの人間でもないので、心の中だけでその鳴き声を響かせた。健太君がこの部屋にいないから寂しくて鳴いているのだ。この声が健太君に届いたらいいのに。わたしの喉や心が健太君の脳に繋がっていて、わたしが何か言ったり思ったりする度に健太君の脳味噌が震えればいいのに。健太君に届かない鳴き声など本来意味がないのだよ。自己陶酔?酔えるほど余裕ないのよわたし。
くうんくうん。お腹をおさえながらカーペットの上に寝転がっている。ベッドの上にぐちゃっと放り出していたブランケットに手を伸ばす。寝転がったまま、雑に手を動かして当たった布をひっぱり下げる。わたしが噛んでところどころ汚くなったブランケット。赤ん坊の指しゃぶりみたいに、健太君がいなくて寂しい夜にわざとらしく噛んで汚くしてみたのだけど、健太君はそれを見つけても何にも言わなかったし、新しいブランケットを買ってくれもしない。知的生命体であるくせに犬のようにブランケットを噛むことで怒り・寂しさを表現しようとした低知能ぶりに腹が立って、そんなお前はこの歯型がついたブランケットがお似合いだよ!と思っているのかもしれない。新しいブランケット、ふわふわしたやつ買ってー、っておねだりしたらきっとすぐに買ってくれると思うけど。
健太君。さみしいようさみしいようなにをしてるの?わたしは健太君にスマホすらも取り上げられていて、連絡手段がなくて、ということはわたしが今呼吸困難を起こしてぶっ倒れても誰も助けを呼べず救急車も呼べず死ぬということなんだけど、とにかくわたしはこの現代人にあるまじき感じで健太君への連絡手段を持っていないので、健太君の仕事用のメモを書くための雑なノート、机の上に転がっているそれと同じく机の上のプラスチックケースに立てて入れられている黒ボールペンを取って、そこに落書きをする。もちろん届かない、けど、犬の絵をたくさん描く。吹きだしで台詞をつける。
「さみしい」
「けんたくんどこ?」
「なにしてるの!」
「なんできてくれないの!」
「ひとりぼっちだよ~~~」
「いつ朝になるの?」
「いつくるの?」
「納豆」
「ブロッコリーすき?」
「納豆とブロッコリーどっちがすき?」
「納豆とブロッコリーとわたし、どれがいちばんすき?」
「頭が納豆まみれになって洗っても取れないか、頭からブロッコリーが生えてくるかどっちがいい?」
わたしはそれを健太君が朝来る前に、机の前にぎょうぎょうしく広げて置いておくのだ。健太君は目を細めて少しイヤな目つきをして毎朝それを見るのだけど、でも健太君はちょっとだけ答えてくれるのだ。「納豆とブロッコリーなら納豆が好きかな」とかね。わたしが沢山書いた疑問文の中でもとってもどうでもよくて適当に書いたことだけに答えてくれるの。今日はまだ書いてないけど。ふええ。さっきからずっとカーペットの上に寝転がっている、ブランケットをかけて、お腹を手でさすりながら。いや、寒いんだよなこれ。夏とはいえ一日中全裸だよ、首しか保温してねえぞ、お腹痛くなるに決まってんだろばかが。だから、わたしは健太君に連れてこられて犬にされてからは、ずっとお腹を下している。でもわたしは本当の犬じゃなくて自分でトイレに行って排泄してそれを流せる知的生命体だから、お腹を連日下しまくっていることを健太君は知らないで、いい気なもんで犬ごっこを楽しんでいる。このくそが。お前が全裸首輪してみろや。あーでも、健太君は下腹だけがちょっとぽよんとしてるからそれが妙に人間臭いから健太君は服を着てていいよ。はあ、わたしはね、とりあえずずっと、地味にお腹を壊していて、でもあなたがだいすきだいすきだいすきなの。
ずっと体温を保った手でお腹をさすっていたら少しは腹痛がましになった。だから、冬眠から目覚めたてのクマのようにのっそりとカーペットから起き上がって、運動神経抜群のネコのようにぴょんと椅子に飛び乗った気分で体育座りをした。あー人間つまんねえ。むしろクマとかネコだったらもっと良かったんじゃないか。クマなら健太君を襲って血しぶき吹かせて骨を残して健太君を全部食べきってしまえるかもしれないし、ネコならぐだぐだ考えずに気ままに健太君に可愛がってもらうだけで暮らせたはず、健太君がいない夜に健太君のことをぐだぐだ考えずに次のご飯のこととネズミとゴキブリとねこじゃらしのことで頭をいっぱいにして眠れたはず。回転椅子をぐるりと回転させるつもりがあんまり回転しなくて、なんだよと思いながら手で残りをくるっと回して、窓から外の世界を見た。黒い、暗い、中で、人間が住む光たちが無数に光っている。あんなにも沢山の人間たちが住まいのために光を光らせて眠って生きて食べて、彼らには生きる価値があるのかと思うけど、いいやわたしは首輪をつけた犬だし、わん。
健太君はどこ?無数の人間の明かりの中にも健太君はいなくて、いやそりゃ光の中に生首が浮かんでるとかそんなはずないそういうことじゃなくて、こんなに人間の光はあるのにわたしの健太君はここにいないって思ってキャン!って小型犬のように吠えたくなる。頭悪そうな、脳味噌すかすかなんだろうなっていう甲高い鳴き声。うぜー。おっと。カラスの鳴き声が向こうの空から聞こえる、これはガチ。空はまだ黒くて暗かったけれど、それを聞くと遠くの空がぼんやりぼんやり明るんできた、もしくはもうすぐ明るんでくる気がしなくもなかった。いつもカラスの鳴き声を聞くと少し安心する、もうすぐ朝が来るなあって、頑張って夜を耐えたなあって。わたし、今日も頑張って夜を耐えたよ健太君。まあ、夜を耐えたことで何の意味もないんだけどね。わたしが生きていることにはほとんど何の意味も価値もない。例えばお祭りで掬ってきた金魚がすぐ死ぬより長持ちした方が少し嬉しいだろうぐらいの感じで、もしかしたらちょっと健太君が喜んでくれるかもしれないぐらいで、本当にわたしの生はたぶん無駄である。いや、無駄なことに価値があるとかそういう話じゃねえぞくそ。本当に無駄で何にもならなくて死んだ方が良くて、でも、死んだ方が良いのと死ぬのはまた別って話よ。
