一人になりたかった。図書館の横を素通りし、科学棟の裏に向けて走った。チョウチンアンコウくんがおれを裏切った、と思った。あの司会者の男に声を掛けられるまで、おれは駅から大学への道のりの途中から、ふと頭の中でチョウチンアンコウになりきる遊びを始めただけなのに、脳内のくだらない一人遊びをしていただけなのに。大勢の人におれのウソを聞かれてしまったし、チョウチンアンコウくんお前は誰だよ、と思った。
学園祭の混雑のせいで途中、何人もの人にぶつかりそうになったが、早く消えてしまいたくて、どういうことなんだよと自分を問い詰めたくて、はあはあと息を漏らしながら科学棟の裏へ走った。満面の笑みをたたえリンゴアメを手に持っていた幼い女の子とぶつかる、そのリンゴアメが地面を転がっていく、おれはごめんと叫んだがスピードを落とすことができない、女の子のうええええという泣き声が後ろから聞こえる彼女は今泣いている、十秒前まで笑っていたのに今泣いている。おれはふと気づく、チョウチンアンコウくんはきっと四年前からずっとおれの頭の中に住んでいたのだ。チョウチンアンコウくんは、自分はおれで、でもおれじゃなくて、この大学の正式な学生であったはずのおれだと思い込んでいるのだ。思い込みたかったのだきっと、そうであればよかったと思ったのだ。チョウチンアンコウくんは四年前にこの大学に入学して四年生になり、来春に卒業していくおれなのだ。でもおれはそうでないのだ。おれはこの大学の学生ではないんだよ。
はあはあはあと体育のマラソンのゴール直後のように息を切らして、ようやく科学棟の裏に辿り着くと、すでにそこの石壇に座っていた先客の影を見つけた。その先客は、白い紙袋詰めのベビーカステラをパクパクと口に入れていっている女の子で、侵入者を確認しようとしてか、彼女は横目をジーと動かしてこちらを見た。記憶の隅に引っ掛かるようなよくいる顔のような女の子だったが、彼女は口をアルファベットのOの形に開いて、
「ああ、電車の人」と言った。そして、一拍置いてから、
「同じ大学だったんだね、びっくり。こんなところで再会するのもびっくりだけど」と続けた。電車の人という言葉と彼女の顔がようやく繋がって、おれは「あ」と間抜けな単音を発した。よく見ると、逆痴漢のロリータファッションの女の子と同じような顔つきをしている気がした。今日はあの日のようなフリフリヒラヒラした格好ではなく、シンプルな白いニットと黒いミニスカート姿だったので結びつかなかったのだ。
「服で、分からなくて」と言うと、「ああ、あの日ロリータだった?そっか」ベビーカステラを見ながら興味なさげに返される。本当はこの科学棟の裏で一人で落ち着きたかったのだが、先客がいては仕方ないと思い踵を返そうとすると、
「あ、待ってよ」と背中に声を掛けられた。顔だけで振り向くと、
「今、むらむらしてない?わたしね、今むずむずしてるんだけど、わたしのマンコを舐めてくれない?三千円でいいよ」と、喉渇いてない?コーヒー買ってきてくれない?とでも言うかのような口調で言うではないか。三千円ってなんなんだそれは、と思ったが、チョウチンアンコウくんの自我による自己分裂によっておれは抱え難い気持ちになっていたので、「うん、いいよ」と適当に頷いた。
彼女が、一回してみたいと思ってたんだと言っておれを引っ張っていった先は、普段講義を受けている科学棟の大教室だった。まじかよ、というか鍵閉まってんじゃないかと思ったが、意外にもドアはあっさりと開き、閉じたカーテンの隙間から薄く昼間の光が洩れる大教室はすごく変な感じがした。電気はつけず、彼女はちょっと寒いねと言って暖房だけをつけた。バレたら退学になるだろうからトイレでにした方がいいんじゃないかと言ったが、「そうだねえ、しかもSNSの時代だから、誰かに見られて写真撮られて日本中に拡散されちゃうかもしれないねえ」と彼女はパンツを脱いで床に放り投げた。おれはそもそもこの大学の学生ではないから退学にはならないけど、バレたら来年入学することは不可能になってそれは嫌だなとか、警察を呼ばれたりするのかなと考えながら、その様子を見ていた。
「一回これがやりたかったんだ」と教卓に片足だけを上げて載せ、覗き込めばまるまると露出した局部が見えるポーズを取った。でもおれは彼女にむらむらしてない?と声を掛けられる前から実はなんだか色んなことがどうでも良くなって波に呑みこまれたような気持ちになっていて、
「身体柔らかいんだね」と投げやりな感想を言った。彼女は、そういうことじゃなくてと変な人を見るように少し笑ってから、
「舐めて」と言った。しゃがみこんで彼女の股に口を近づけると、毛が鼻に当たってもさもさした。三千円払って舐めさせられる時代かあ、そしてその写真を撮られてSNSに拡散されて就職できなくなったりする時代かあ、すごい時代だなあと、舌を動かす合間にゴモゴモと呟いていると、彼女はおれの頭をぱしっと軽くはたいて、
「写真を撮られたり拡散されたりなんてしないし、わたしは来年の四月からメガバングで働くんだもん」とおれの舌に向かって異議を浴びせた。同い年かよ、と思うと苛々してきて、洗ってもいない彼女のマンコに、ズーズーと音を立ててむしゃぶりついた。
今日は二月五日だった。ということは、明日は二月六日だ。明日はおれの二十二回目の誕生日であり、受験の大勝負をかける日だ。さっき布団の隙間から覗いたとき、まだ時計は夜の八時五十分を指していた。こんな小学生のように早い時間に眠れるわけがない。でも眠らないといけない。おれは冬だというのに安いベッドで薄い布団にくるまっていた。寒かった。でも寒いとアンコウくんのことを思い出してしまうから、頭まで全部布団にくるまった。
柵を飛び越える羊を数え、机を飛び越える乳を数え、高飛びの棒を飛び越えるマンコを数えたけど、それでもまだ寝付けなかった。でも、十二時までに絶対眠っていなければいけない。それは、眠っていなければ死ぬことができないのではないかという予感があるからだ。十二時を過ぎる瞬間、眠っていなければおれはきっと死ぬことができないのではないか。両目がくっついて取れなくなるといいなと思って、閉じた目をさらに固く閉じた。
だいじょうぶだ。おれは眠れる、そして、眠りの中で死ぬのだ。「シド・ヴィシャス、シド・ヴィシャス、シド・ヴィシャス」と、聴いたこともない昔のロックバンドのボーカルの名前をつぶつぶと口の中で唱える。
シド・ヴィシャスが二十一歳で死んだから、おれも二十二になるまでに死ぬはずなのだ。よって、就活も受験も人生も無駄!
学園祭の混雑のせいで途中、何人もの人にぶつかりそうになったが、早く消えてしまいたくて、どういうことなんだよと自分を問い詰めたくて、はあはあと息を漏らしながら科学棟の裏へ走った。満面の笑みをたたえリンゴアメを手に持っていた幼い女の子とぶつかる、そのリンゴアメが地面を転がっていく、おれはごめんと叫んだがスピードを落とすことができない、女の子のうええええという泣き声が後ろから聞こえる彼女は今泣いている、十秒前まで笑っていたのに今泣いている。おれはふと気づく、チョウチンアンコウくんはきっと四年前からずっとおれの頭の中に住んでいたのだ。チョウチンアンコウくんは、自分はおれで、でもおれじゃなくて、この大学の正式な学生であったはずのおれだと思い込んでいるのだ。思い込みたかったのだきっと、そうであればよかったと思ったのだ。チョウチンアンコウくんは四年前にこの大学に入学して四年生になり、来春に卒業していくおれなのだ。でもおれはそうでないのだ。おれはこの大学の学生ではないんだよ。
はあはあはあと体育のマラソンのゴール直後のように息を切らして、ようやく科学棟の裏に辿り着くと、すでにそこの石壇に座っていた先客の影を見つけた。その先客は、白い紙袋詰めのベビーカステラをパクパクと口に入れていっている女の子で、侵入者を確認しようとしてか、彼女は横目をジーと動かしてこちらを見た。記憶の隅に引っ掛かるようなよくいる顔のような女の子だったが、彼女は口をアルファベットのOの形に開いて、
「ああ、電車の人」と言った。そして、一拍置いてから、
「同じ大学だったんだね、びっくり。こんなところで再会するのもびっくりだけど」と続けた。電車の人という言葉と彼女の顔がようやく繋がって、おれは「あ」と間抜けな単音を発した。よく見ると、逆痴漢のロリータファッションの女の子と同じような顔つきをしている気がした。今日はあの日のようなフリフリヒラヒラした格好ではなく、シンプルな白いニットと黒いミニスカート姿だったので結びつかなかったのだ。
「服で、分からなくて」と言うと、「ああ、あの日ロリータだった?そっか」ベビーカステラを見ながら興味なさげに返される。本当はこの科学棟の裏で一人で落ち着きたかったのだが、先客がいては仕方ないと思い踵を返そうとすると、
「あ、待ってよ」と背中に声を掛けられた。顔だけで振り向くと、
「今、むらむらしてない?わたしね、今むずむずしてるんだけど、わたしのマンコを舐めてくれない?三千円でいいよ」と、喉渇いてない?コーヒー買ってきてくれない?とでも言うかのような口調で言うではないか。三千円ってなんなんだそれは、と思ったが、チョウチンアンコウくんの自我による自己分裂によっておれは抱え難い気持ちになっていたので、「うん、いいよ」と適当に頷いた。
彼女が、一回してみたいと思ってたんだと言っておれを引っ張っていった先は、普段講義を受けている科学棟の大教室だった。まじかよ、というか鍵閉まってんじゃないかと思ったが、意外にもドアはあっさりと開き、閉じたカーテンの隙間から薄く昼間の光が洩れる大教室はすごく変な感じがした。電気はつけず、彼女はちょっと寒いねと言って暖房だけをつけた。バレたら退学になるだろうからトイレでにした方がいいんじゃないかと言ったが、「そうだねえ、しかもSNSの時代だから、誰かに見られて写真撮られて日本中に拡散されちゃうかもしれないねえ」と彼女はパンツを脱いで床に放り投げた。おれはそもそもこの大学の学生ではないから退学にはならないけど、バレたら来年入学することは不可能になってそれは嫌だなとか、警察を呼ばれたりするのかなと考えながら、その様子を見ていた。
「一回これがやりたかったんだ」と教卓に片足だけを上げて載せ、覗き込めばまるまると露出した局部が見えるポーズを取った。でもおれは彼女にむらむらしてない?と声を掛けられる前から実はなんだか色んなことがどうでも良くなって波に呑みこまれたような気持ちになっていて、
「身体柔らかいんだね」と投げやりな感想を言った。彼女は、そういうことじゃなくてと変な人を見るように少し笑ってから、
「舐めて」と言った。しゃがみこんで彼女の股に口を近づけると、毛が鼻に当たってもさもさした。三千円払って舐めさせられる時代かあ、そしてその写真を撮られてSNSに拡散されて就職できなくなったりする時代かあ、すごい時代だなあと、舌を動かす合間にゴモゴモと呟いていると、彼女はおれの頭をぱしっと軽くはたいて、
「写真を撮られたり拡散されたりなんてしないし、わたしは来年の四月からメガバングで働くんだもん」とおれの舌に向かって異議を浴びせた。同い年かよ、と思うと苛々してきて、洗ってもいない彼女のマンコに、ズーズーと音を立ててむしゃぶりついた。
今日は二月五日だった。ということは、明日は二月六日だ。明日はおれの二十二回目の誕生日であり、受験の大勝負をかける日だ。さっき布団の隙間から覗いたとき、まだ時計は夜の八時五十分を指していた。こんな小学生のように早い時間に眠れるわけがない。でも眠らないといけない。おれは冬だというのに安いベッドで薄い布団にくるまっていた。寒かった。でも寒いとアンコウくんのことを思い出してしまうから、頭まで全部布団にくるまった。
柵を飛び越える羊を数え、机を飛び越える乳を数え、高飛びの棒を飛び越えるマンコを数えたけど、それでもまだ寝付けなかった。でも、十二時までに絶対眠っていなければいけない。それは、眠っていなければ死ぬことができないのではないかという予感があるからだ。十二時を過ぎる瞬間、眠っていなければおれはきっと死ぬことができないのではないか。両目がくっついて取れなくなるといいなと思って、閉じた目をさらに固く閉じた。
だいじょうぶだ。おれは眠れる、そして、眠りの中で死ぬのだ。「シド・ヴィシャス、シド・ヴィシャス、シド・ヴィシャス」と、聴いたこともない昔のロックバンドのボーカルの名前をつぶつぶと口の中で唱える。
シド・ヴィシャスが二十一歳で死んだから、おれも二十二になるまでに死ぬはずなのだ。よって、就活も受験も人生も無駄!
