「町子ちゃん、今日はお友だちを買ってきたんだよ」と恭一くんがケースを開ける、わたしを入れている透明なガラスケースを開けて、わたしのほっぺたに触れて、うすく微笑む。
(お友だち?わたしにお友だちってなんのこと?)とわたしは首を傾げる。
「町子ちゃん一人でさ、おれが仕事に行ってるときは寂しいかと思ってさ。ほら、あっちの乱暴なやつらとは同じケースに入れられないしさ」と棚の上のガラスケースにびっしりと詰まったフィギィアを指し、苦笑した。恭一くんは戦闘もののアニメや映画が好きで、恭一くんの部屋はいかめしい鎧をまとった兵隊やロボットなんかのフィギィアでいっぱいなのだ。血の気の多い彼らがわたしに乱暴してはいけないと、恭一くんはわたしだけを別のガラスケースに入れる。
(で、わたしのお友だちってなんなの?恭一くんがわたしのお友だちじゃないの?)
恭一くんは仕事用の鞄からいそいそと黄色い包みを取り出し、「はい」とその中身をひらひらと揺って見せた。ネコのぬいぐるみだった。ネコのくせに直立二足歩行をするんですよと言わんばかりにすっくと二本足で立っていて、ヒゲが長かった。
「この子なら上品そうで、爪で引っかいて町子ちゃんを傷つけたりしないかなって思ったんだよねえ。人間みたいに賢そうな顔してるでしょ」と、ガラスケースのわたしの隣にそのネコを入れる。安定感なさそうでこけるんじゃないの、と思ったけど、意外にもガラスケースの中でそのネコは凛と直立した。
「どうかなあ?仲良く出来そうかなあ?」と恭一くんが顔を近づけてガラスケースを覗き込む、眼鏡がガラスの縁にコツンと当たって、恭一くんは「あちゃあ」と額を押さえる。
(あんた、町子って言うの)とネコがじろりとわたしを見た。猫目、ネコなんだから当たり前なんだけど、目尻がきゅっと上向きになった猫目で見られて、わたしは今まで一人で安穏に過ごしていた小さな部屋に妙なやつがやって来てびくんとした。
(そ、そうよ、あんたはなんて名前なのよ)と強ぶってみたけれど、(あたし?あたしの名前は特にないわね。うーん、腰の横に布のタグが付いているから見てくれる?それ、あたしの名札かもしれないわ。なんか書いてる?)と昔なじみのバーのおばちゃんみたいにネコが言うので気負わない距離感に少しひよった。ライトグレーの毛が生えた身体のわきに縫い付けられたタグを引っ張り、(ドライクリーニングメイドインチャイナさんかしら。英語と漢字はよく分からないわ)と言うと、ネコはふーんと鼻息をはきながら、(何それ長いわ、あんたなんて三文字なのに、あたしはえらい高いお金を払ってあの世での名前をつけてもらった仏さんみたいじゃないの。あれすごいのよね、お金をたくさん払うほど名前が長くなるんでしょう。名前が長くて何が嬉しいのかと思うけど。じゃ、あたしは最初の三文字でドライさんでいいわ)
こうして、わたしのガラスケースの住人が二人に増えた。「おれが仕事の間、町子ちゃんが寂しくないといいなあ」と、恭一くんがわたしのまつ毛を優しく撫でた。それを見てドライさんが、(ふん。ここのご主人、ほんとにあなたのことが好きなのね)とまた、鼻をふんっと言わせて、嘲るようにでもどうでもいいように笑う。(ま、まあね)と応えると、恭一くんは何も聞こえていないみたいにドライさんの耳の頂点をつんつんと叩いて、「ネコさん、町子ちゃんを爪で引っかいたり、尻尾を立てて怒ったりしないでね」と言ったので、わたしは少し恥ずかしくなった。
(いやね、この人、あたしのことどこの野蛮人だと思ってるのかしら。自分の知っているネコの常識で人を考えるのはやめてほしいわねえ、物事を力で解決しようとするなんて野生のネコか、人間でいったら小中学生か暴力男かサイコパスのすることだわ)と眉をひそめた。でも、ドライさんは恭一くんをがんとにらみつけたりしないで、やっぱりどうでもよさそうな顔で部屋を見渡していた。
(そうね、恭一くんったらネコさんなんて呼んでね。ドライさんって名前が決まったところじゃないの)とわたしまで悪態をつくと、ドライさんは、三十年前からドライさんって名前だったみたいにふふんと口元を上げ、(このオス、じゃないわ、この人間の男、えらく眉毛が長いわね、あたしのヒゲみたいよ)と、恭一くんの眉をじろじろと見て言った。
それから、わたしとドライさんは、恭一くんが仕事から帰ってくるまで、毎日同じガラスケースの中で時間を過ごした。カーテンを開けた窓から見える外の景色と時計の針ぐらいしか恭一くんの部屋には変化がなくてつまらないとドライさんはよくぼやいたけど、それまでケースに一人だったわたしからすれば、話し相手ができたのは思ったよりずっと楽しいことだった。最初に、恭一くんにお友だちを買ってきたよと言われたとき、誰かが恭一くんとわたしの中に割って入って恭一くんがわたしだけのものでなくなるのが嫌だと思ったのだ。私の三分の一でも二十分の一でも、恭一くんの愛情を取られるのは嫌だった。誰かが恭一くんの膝の上でまどろむなんてむかむかして、きっと机の上の一番重いものか鋭利なもの、えっと、ノートパソコンを投げつけたり、ボールペンの芯でお腹を突いたりしてしまうかもしれないから。でも、ドライさんは女というよりくたびれたおばちゃんという感じで、恭一くんに取り入ろうとしたりもしないし、誰にも色目も使わないし、わたしはその突如現れた存在にいくらか安心を覚えていた。ドライはコミュニケーションも上手で、棚の上に二列に置かれたガラスケースの中でずらっと並んだフィギィアたちとも話をしたりした。甲冑を着込んでいる兵士には、「あんた、このクソ暑いのにそんなもん着てて暑くないの」と話し掛けたりしていた。兵士も最初は、「はっ、なんだ貴様、ネコの分際で兵士さまに話し掛けるとは頭が高い!」と短剣を向けたりしたが、「あんたねえ、ネコの分際ってどうせフィギィアとぬいぐるみの違いじゃないの、大差ないわよ。ここは人間のつまんない男の部屋で戦いなんかないんだから気ぃ張ってたっていいことないわよぉ。っていうかその距離じゃその武器届かないわよ、投げるってんなら別だけど」とドライが淡々と話すと、「は、はあ、まあ一理ある」と顔を赤くして俯いた。
「違うわよ、だからさ、あんたたち暑そうだし、クーラーつけない?って話よ、そもそもあたしも暑いのよね。見て、この、ふわふわもふもふした毛。暑いの分かるでしょう?真夏にファーコート着て街を闊歩してる人間のご婦人みたいなもんよ」
「で、でもお前はネコではないか。野生のネコも飼いネコも総じてその毛並みが標準装備であろう。世には洋服を着せられている滑稽な犬もいるが。して、お前さんネコたちには暑かろうと寒かろうと平気でいられる能力があるのでは?」
「はん、だから、それは動物のネコの話よ、あたしはぬいぐるみのネコなのよ。暑いときは暑いし、寒いときゃ寒いわよ。で、あんた、クーラーつけるわよ」
「お、おう、下げられる一番下の温度にしてくれ」
「はあ、何言ってんのよあんた、体育の時間終わりの高校生男子じゃないのよ、はあ」とドライは苦笑して、「ねえ?町子」とわたしに同意を求めたりした。ドライは三十回は死んで生まれ変わったように飄々と堂々としていて、でもわたしには少し優しかった。
(お友だち?わたしにお友だちってなんのこと?)とわたしは首を傾げる。
「町子ちゃん一人でさ、おれが仕事に行ってるときは寂しいかと思ってさ。ほら、あっちの乱暴なやつらとは同じケースに入れられないしさ」と棚の上のガラスケースにびっしりと詰まったフィギィアを指し、苦笑した。恭一くんは戦闘もののアニメや映画が好きで、恭一くんの部屋はいかめしい鎧をまとった兵隊やロボットなんかのフィギィアでいっぱいなのだ。血の気の多い彼らがわたしに乱暴してはいけないと、恭一くんはわたしだけを別のガラスケースに入れる。
(で、わたしのお友だちってなんなの?恭一くんがわたしのお友だちじゃないの?)
恭一くんは仕事用の鞄からいそいそと黄色い包みを取り出し、「はい」とその中身をひらひらと揺って見せた。ネコのぬいぐるみだった。ネコのくせに直立二足歩行をするんですよと言わんばかりにすっくと二本足で立っていて、ヒゲが長かった。
「この子なら上品そうで、爪で引っかいて町子ちゃんを傷つけたりしないかなって思ったんだよねえ。人間みたいに賢そうな顔してるでしょ」と、ガラスケースのわたしの隣にそのネコを入れる。安定感なさそうでこけるんじゃないの、と思ったけど、意外にもガラスケースの中でそのネコは凛と直立した。
「どうかなあ?仲良く出来そうかなあ?」と恭一くんが顔を近づけてガラスケースを覗き込む、眼鏡がガラスの縁にコツンと当たって、恭一くんは「あちゃあ」と額を押さえる。
(あんた、町子って言うの)とネコがじろりとわたしを見た。猫目、ネコなんだから当たり前なんだけど、目尻がきゅっと上向きになった猫目で見られて、わたしは今まで一人で安穏に過ごしていた小さな部屋に妙なやつがやって来てびくんとした。
(そ、そうよ、あんたはなんて名前なのよ)と強ぶってみたけれど、(あたし?あたしの名前は特にないわね。うーん、腰の横に布のタグが付いているから見てくれる?それ、あたしの名札かもしれないわ。なんか書いてる?)と昔なじみのバーのおばちゃんみたいにネコが言うので気負わない距離感に少しひよった。ライトグレーの毛が生えた身体のわきに縫い付けられたタグを引っ張り、(ドライクリーニングメイドインチャイナさんかしら。英語と漢字はよく分からないわ)と言うと、ネコはふーんと鼻息をはきながら、(何それ長いわ、あんたなんて三文字なのに、あたしはえらい高いお金を払ってあの世での名前をつけてもらった仏さんみたいじゃないの。あれすごいのよね、お金をたくさん払うほど名前が長くなるんでしょう。名前が長くて何が嬉しいのかと思うけど。じゃ、あたしは最初の三文字でドライさんでいいわ)
こうして、わたしのガラスケースの住人が二人に増えた。「おれが仕事の間、町子ちゃんが寂しくないといいなあ」と、恭一くんがわたしのまつ毛を優しく撫でた。それを見てドライさんが、(ふん。ここのご主人、ほんとにあなたのことが好きなのね)とまた、鼻をふんっと言わせて、嘲るようにでもどうでもいいように笑う。(ま、まあね)と応えると、恭一くんは何も聞こえていないみたいにドライさんの耳の頂点をつんつんと叩いて、「ネコさん、町子ちゃんを爪で引っかいたり、尻尾を立てて怒ったりしないでね」と言ったので、わたしは少し恥ずかしくなった。
(いやね、この人、あたしのことどこの野蛮人だと思ってるのかしら。自分の知っているネコの常識で人を考えるのはやめてほしいわねえ、物事を力で解決しようとするなんて野生のネコか、人間でいったら小中学生か暴力男かサイコパスのすることだわ)と眉をひそめた。でも、ドライさんは恭一くんをがんとにらみつけたりしないで、やっぱりどうでもよさそうな顔で部屋を見渡していた。
(そうね、恭一くんったらネコさんなんて呼んでね。ドライさんって名前が決まったところじゃないの)とわたしまで悪態をつくと、ドライさんは、三十年前からドライさんって名前だったみたいにふふんと口元を上げ、(このオス、じゃないわ、この人間の男、えらく眉毛が長いわね、あたしのヒゲみたいよ)と、恭一くんの眉をじろじろと見て言った。
それから、わたしとドライさんは、恭一くんが仕事から帰ってくるまで、毎日同じガラスケースの中で時間を過ごした。カーテンを開けた窓から見える外の景色と時計の針ぐらいしか恭一くんの部屋には変化がなくてつまらないとドライさんはよくぼやいたけど、それまでケースに一人だったわたしからすれば、話し相手ができたのは思ったよりずっと楽しいことだった。最初に、恭一くんにお友だちを買ってきたよと言われたとき、誰かが恭一くんとわたしの中に割って入って恭一くんがわたしだけのものでなくなるのが嫌だと思ったのだ。私の三分の一でも二十分の一でも、恭一くんの愛情を取られるのは嫌だった。誰かが恭一くんの膝の上でまどろむなんてむかむかして、きっと机の上の一番重いものか鋭利なもの、えっと、ノートパソコンを投げつけたり、ボールペンの芯でお腹を突いたりしてしまうかもしれないから。でも、ドライさんは女というよりくたびれたおばちゃんという感じで、恭一くんに取り入ろうとしたりもしないし、誰にも色目も使わないし、わたしはその突如現れた存在にいくらか安心を覚えていた。ドライはコミュニケーションも上手で、棚の上に二列に置かれたガラスケースの中でずらっと並んだフィギィアたちとも話をしたりした。甲冑を着込んでいる兵士には、「あんた、このクソ暑いのにそんなもん着てて暑くないの」と話し掛けたりしていた。兵士も最初は、「はっ、なんだ貴様、ネコの分際で兵士さまに話し掛けるとは頭が高い!」と短剣を向けたりしたが、「あんたねえ、ネコの分際ってどうせフィギィアとぬいぐるみの違いじゃないの、大差ないわよ。ここは人間のつまんない男の部屋で戦いなんかないんだから気ぃ張ってたっていいことないわよぉ。っていうかその距離じゃその武器届かないわよ、投げるってんなら別だけど」とドライが淡々と話すと、「は、はあ、まあ一理ある」と顔を赤くして俯いた。
「違うわよ、だからさ、あんたたち暑そうだし、クーラーつけない?って話よ、そもそもあたしも暑いのよね。見て、この、ふわふわもふもふした毛。暑いの分かるでしょう?真夏にファーコート着て街を闊歩してる人間のご婦人みたいなもんよ」
「で、でもお前はネコではないか。野生のネコも飼いネコも総じてその毛並みが標準装備であろう。世には洋服を着せられている滑稽な犬もいるが。して、お前さんネコたちには暑かろうと寒かろうと平気でいられる能力があるのでは?」
「はん、だから、それは動物のネコの話よ、あたしはぬいぐるみのネコなのよ。暑いときは暑いし、寒いときゃ寒いわよ。で、あんた、クーラーつけるわよ」
「お、おう、下げられる一番下の温度にしてくれ」
「はあ、何言ってんのよあんた、体育の時間終わりの高校生男子じゃないのよ、はあ」とドライは苦笑して、「ねえ?町子」とわたしに同意を求めたりした。ドライは三十回は死んで生まれ変わったように飄々と堂々としていて、でもわたしには少し優しかった。
