バスは電車よりも湿気を閉じ込めやすい気がする。バスの中はまだ湿った空気の名残があって、乗り込んだ途端それが匂った。梅雨は面倒だ。それからやって来る夏が快適かというとそうでもないけれど。ニ列めにお婆ちゃん、真ん中辺りに明るい茶髪の青年が座っているぐらいでいつも通り静かなバスだった。私は特等席シート、五つ席が繋がった後部座席に座った。小学生の時の遠足の余韻をいつまでも引きずっていて、雨の日にバスに乗る時はついここに座ってしまう。膝の上にスクールバッグを立て、その上に両腕を交差させて置き、窓の外を見やった。土曜日、午後、四時なんぷんか。一週間のシゴトを終え切ったような気だるい楽しさを、ぐだっと溶け出した疲労感が覆っていた。でも、まだ、日は明るいんだよ。唇をすぼめて、ふうーと息を吐き出した、中央図書館前、中央図書館前、と運転手がアナウンスしてバスが止まり、ドアがポーと間抜けな開閉音を立てた。中央図書館はこの町の辺りで一番大きい図書館だ。白くて広くて大きい、公共感がある。公共は優しくも厳しくも寂しくもないただのハコって感じがする、人を入れて出して歓迎も疎外もない。入り口の自動ドアが開いて閉じきる前にまた開いて、閉じて、しばらくしたらまた開く。おじちゃんもおばちゃんも公共の施設から出てくる人はみんな市民って感じの同じような顔をしている気がする。窓ガラスの向こうの何でもない景色を見ていた、足音を立てる靴が隣まで近付いてくるだろうなんて思わなかったから。五人掛けの後部座席に誰かが腰を下ろした、ここだけ、風がざわついた。足音が立てるリズムとか気配でなんとなく女性でないことは分かった。胃腸がひやっとして、窓の外に顔を向けたまま目だけを動かした、黒いTシャツと青いデニムのパンツが見えた。私の目が空中で右往左往して不安に行き場をなくしてまた窓の向こうに辿り着く。見慣れた景色、住宅街は目に留まるスピードで流れていって、それが信号で止まる、小さな四輪車に乗る少年が笑っているのが見えた、微笑ましい景色だ。でも、ひどくモヤがかかった鏡みたいな窓の表面で、私と男の目が合った。四輪車の少年じゃない隣の男が、口を開かないでゆっくりと口角を上げていって、それから少し歯を見せて笑った。その歯はすごく黄色いに違いないとなぜか思ったし、まるで金縛りに遭ったように身体が強張って動けなくなった。お腹の辺りが重く痛んで、恐怖と緊張感が襲った。そして、人の手の生温かさを感じた。ちょうど制服のスカートの裾がかかった膝に手がぽんと置かれ、膝小僧を回すように撫でられた、金縛りの私はその温度を感じながら笑顔を窓越しに見ているままだ。手が太腿へと滑っていく、肌の皮膚とその内側の肉まで触診するようにべっとりとした触り方で。信号が青に変わってバスがまた走り出す、のろりのろり進む四輪車ににこにこと跨った幼い少年を追い越して見えなくなる可愛らしい姿が。太腿の外側を内側を縦横無尽に撫で尽くしていた、それがふっと飛んで、臍の下のパンツの入り口に指をかけた瞬間、一瞬だけ金縛りが解けて、窓に向いていた顔をぶんぶんと振った、私は見た、片手がスカートの裾を掴んで持ち上げ、もう片手の骨っぽい長い指が布の中に入っていくのを。布の内部で毛虫のようにごねごねと蠢く指が、汚い生命力を溢れさせて奥へと近付いていく。やめてと言いたい口はぱくぱく動いているはずなのに声が出ない喉に力を込める声を出そうとしているのに空気しか洩れない。パンツの中の皮膚の表面が擦られている、毛虫が楽しげに踊っている、私を絶望させるための、女を蹂躙して踏みにじるためのダンスをしている。なでる、こする、その度に布地がちらちらと揺れて毛の生え際が見えた、毒々しい薄黄色の毛虫が気持ち良さそうに黒い陰毛を動かしている。背中を撫でられている犬の毛みたいに、前、後ろ、前、後ろ、陰毛はおぞましく従順にその運動にしたがって動く。ふいに、男は指をパンツから抜き、震える腕を乗せていたスクールバッグをどかして座席の横にがっと置いた、私の両腕が頼りなく宙ぶらりんになって、膝に落ちきる前に、男は座席の下に潜って、私をもっと凍りつかせた。身体が骨ばっているのがTシャツの上からでも分かる細身の若い男で、頬が白かった。目、は見ないで、紺のスカートをばっと直してその上にぎゅっと握りこぶしを置いて内腿に力を入れた、私と同じぐらい白いその腕が足を開かせようと膝を掴む。でも、全身の力以上の力を精一杯込めて抵抗するがくがく微振動がふるえるほどに。運動会の綱引き合戦をしてるみたいな攻防、でも掛け声なんてない、ひゅーひゅーと私の喉が湿った空気を出すだけ、中央公園前、中央公園前、とアナウンスが聞こえる、明るい茶髪の青年が立ち上がる、たすけて、心の声は私の内側から外の世界へと届かない、歩いて行ってしまう、賃金を入れようとする、のを膝をこぶしで強く押さえたまま見た、ふっとこじ開けようとする力が離れ、あ、え、と思ったとき、私の頬を体温が包んだ。左頬をさわられて、ひゅっと力が抜けて目が合った。乾いた目だった。暑くもない寒くもない湿っぽくもなくてただただ乾いている人間じゃない目。白目が濁って少し血走っているけれど目の奥は温度がなく、くろくて、乾いていた。両膝を持って足が開かれる、パンツがずらされて膝の下でぱつんと留められる、スカートが陰毛の上辺りまで捲られる。見せびらかすように更に足を大きく開かせ、指でつんつんと股の間をつついた、にっこりと笑う黄色い歯が見えた。両手の指先で陰毛をかき分け、そこに顔を近づけた。思わず剥がそうとすると腕が座席に置かれていたスクールバッグに当たって落ちた、ポケットから飴玉の包みが三、四落ち、コロコロとバスの通路を転がっていった。男はちらとそちらに目をやると、私の両腕をそれぞれ自分の手で掴んで動けなくし、赤黒い舌をぺろりと覗かせて陰毛の間をなぞった。ぴくん、と嫌悪が流れ込む。少しずつ、ひと舐めずつ、私を嫌悪で満たしていこうとするように、小さな一定のリズムで舌が動いた。汚い唾を塗りつけられていく、雨上がりの湿気と唾液の匂いが混じって、自分が汚いものに変質させられていく気がした。片山口―、片山口に止まります。やめて、叫びたい声はずっと前から出なくて、耳の奥のここじゃないどこか遠い所で、小さな私の泣き声が聞こえた。
