7【鳳凰木の下で】
雪人に最後通告を突きつけてから、二日たった。

この二日間、私は鳳凰木の下に詰めっきりだ。

朝日が顔を出す頃には、早くも鳳凰木の下に陣取り、星が空を満たすまで粘った。

けれども、雪人は姿を現さない。

「本っ当に、ヘタレチキンなんだから!」
今宵も満天の星空に向かって、悪態をついた。

「おーい、美羽さん。
おいしい夕飯ができたよ。
今日は美羽さんが好きなジュージー(沖縄風炊き込みご飯)にしたよ。
だから、もう帰ろうね」
星を背負って迎えに来てくれるのは、よしオバアだ。
鳳凰木の下で夜明かししかねない私を、毎夕迎えに来てくれるのだ。

一人っきりで丘の下を見張っている時とは大違いで、よしオバアとの帰路はにぎやかだ。

「今日は三枚肉(豚バラ)が安くなってたさ。
だから、ジューシーは三枚肉入りよ。
本当は脂身の少ないグーヤー(豚の腕肉)にしたほうが、カロリー的にはいいんだろうけどさ。
三枚肉の方がおいしいさ。
ほら、美しいバラには刺があるのと同じで、やはり美味しいものにはカロリーがあるね」
よしオバアはぺらぺらと機嫌良くしゃべっている。
いつも通りなのが、張りつめていた気持ちを、ほんの少し楽にした。

「・・ねえ、よしオバア。
明日はとうとう最終日だね。
雪人、来るかな?」
よしオバアのエプロンの裾を引っ張って、ほんのちょっぴりだけ弱音を吐いた。

「ふふふ。美羽さんよ。
心配しないでも大丈夫よ。

話を聞くに、確かに雪人くんはヘタレチキンだけど、美羽さん、あんたが惚れた男よ。
やる時はやってくれるさ。

だから、あんたはどーんと腰を据えて待ってなさい。
それが良い女ってもんよ」
よしオバアが茶目っ気たっぷりに、豊かな胸をたたいた。

「そっかぁ。
どーんと腰を据えるのか。
なんか、よしオバアに言われたら、全部うまくいく気がしてきた」
恋の先達でもあるオバアの助言に、気持ちが明るくなった。

「あれ、美羽さん本格的に腰を据える覚悟ができたね。
じゃあ、もうちょっと腰の辺りに、肉付けないといけないね。
よしっ!今夜はジュージーの他にも、じゃんじゃん腕をふるおうね」
「ぅえ!?いやいや、オバア。そういう物理的な応援は遠慮す」
「いいから、いいから!
オバアに任せなさい!」
こうして、最終日前日は、夜遅くまでよしオバアのカメーカメー(食べなさい食べなさい)攻撃を食らう羽目になったのだった。

せっぱ詰まった気持ちを柔軟にしてくれるオバアには大感謝だが、胃袋的には辛い夜だった。


そして、最終日の朝。
私は日が高くなってから目が覚めた。
前夜の遅くまでの攻防のせいである。

「うぅ・・最終日だってのに」
起きあがると胃が重苦しい。
あきらかに食べ過ぎだ。
雪人が来るにしろ、来ないにしろ、私達の間柄に白黒つく日だって言うのに、しまらないったらありゃしない。

「ぬぅ、三枚肉め」
たらふく食べた豚肉に八つ当たりして、布団を這い出た。


「はーい、行ってらっしゃい。
気をつけてね」
今日の午後の高速船に乗らなきゃいけないって言うのに、よしオバアは陽気に私を送り出した。
ぴかぴか光る笑顔には、悲壮感や焦燥感は、これっぽっちも見あたらない。

「沖縄のオバアって、すんごい楽天的なんだな、今更だけど」
つられて、胸の奥で蟠っていた焦燥感の残り香まで押し流され、私はのんびりと丘へと続く上り坂を上っていった。

「まあ、来ないなら来ないでいいっか」
そうなったら、最終手段に訴えるまでだ。

「船に乗る直前に、雪人の部屋に殴り込みをかけて、一発ぶん殴ってから、告白してやる!
本気で好きだって、拳で語ってやろうじゃないさ!
その後のことは、知るもんか!
やりにげよ!」
蒼穹に拳を振り上げ、雄叫びを上げた。
きっと、世間様は、この状態を開き直りと呼ぶのだろう。

「俺はそんな暴力的な告白は受け付けないぞ」
開き直り戦法に、不遜なツッコミが入った。
深く響く声で。

「お前は最後の最後まで、雄叫びとともに登場するんだな。
けったいな癖も、ここまでくると天晴れだ」
疎らになった緋色の花を割り割いて、現れたのは雪人だった。

待ち望んでいた景色が、胸を打つ。

広がる蒼穹、
燃える緋色の花、
遠くに見えるあおい焔を宿した海、
安っぽい青のビーチサンダル、
そして、すべての色彩のただ中に佇む雪人。

季節が移り、少しだけ彩りは変わってしまったけれど、愛おしい景色だ。
私の魂に焼き付いて消えない景色だ。

「雪人!」
わずかに残った坂を、全力で駆け上がり、愛おしいヘタレチキンに抱きついた。

「美羽」
少し体温の低い腕がしなって、背中に回った。

「お前さ、待たせ過ぎ。
ずっと待ってるって言ったくせに、最終日に寝坊って、間抜けだな」
「へ?なんで寝坊したって知ってるの?」
早速発揮される毒舌に、目を丸くする。

「なんでって・・。
お前が来るのが遅いから、待ちきれなくなって、海風荘まで迎えに行ったんだよ。

したら、よしオバアに追い返されたんだ。
説教付きでな。
めっちゃヘタレチキン呼ばわりされたぞ。

あとな、よしオバアから伝言。
『船の時間は気にしなくて良い。
隆生オジーが、何時でも船だしてくれるから、好きなだけゆっくりしてきなさい』だと」
雪人は唇を尖らせつつも、しおらしくメッセンジャーの役割を果たした。
よしオバアのお説教と、ヘタレチキン呼ばわりが効いているらしい。
その点についてはグッジョブ、よしオバア。

しかし、雪人を追い返したり、船の手配をすませていたりしたのを、黙っているのってどうよ?

「よしオバアめぇ!
道理で、やけにご機嫌だったわけだ!
んもう!お茶目が過ぎるわ!
当人を蚊帳の外扱いって、力業も過ぎるでしょ!」
悔しくて地団駄を踏んだ。

「まあ、許してやれよ」
雪人が寛大ぶった。

「ちょっと、君。
あれこれとぐずって、私を待たせてた割には、態度でかくない?
なんで上から目線の命令口調なのよ」
「ん〜、あれこれについては謝る。
すまん。
でも命令口調は譲れない。
期間限定の恋人契約にも事項にもあっただろ?
俺の望むことは全部かなえることってな」
じろーりと突き刺さる白い目を、雪人はひょいと肩を竦めて受け流した。

「契約って、何で今更・・」
「契約履行は絶対だ。
そうしないと、俺が困る。
だって、俺はこの先、お前と一緒に生きていけないから」
何でもないことみたいに、雪人はもうすぐ訪れる自分の死を認めた。

私は一気に震え上がった。

「触っていいか?」
いちいち律儀な申し出に、ぼんやりとうなずく。

雪人は眩しそうに目を細めて、私の頬を両手で包み込んだ。

「いいか、美羽。
今から言うことは、履行期間が終わっても、必ずかなえてくれ。

まずは、俺よりも好きなヤツを見つけること。

次に、俺のことを大嫌いになること。

それから、また俺に会いたいなんて考えもしないこと。

そうして、俺がいなくても、幸せになること。
今までもこれからも、ずっとずっとな。

そんで、これが一番重要事項な。

俺を忘れること。

綺麗さっぱり、なにもかも。

俺を想って泣かないように。
思い出して辛くならないようにな。

承諾してくれ、美羽。
でないと、本当に困るんだわ。

未来のない俺には、もうそれくらいしか手段がないんだよ。
今、生きているうちに、お前に好きだって伝えるための手段がな」
雪人は情けなさそうに、眉根を下げて笑った。

こんな表情をしても、雪人は綺麗だ。
イケメンって、本当にずるい。

「君って、本当にヘタレチキンね」
「ん。不本意だけど、美羽の件に関してはいくらでも認めてやる」
非難のありったけを込めて睨んでも、雪人は「さあ早く」と両腕を広げるばかりだ。 

「・・分かった。
雪人の願い、全部かなえる。
絶対に、必ず」
嫌だけど。
今までにないくらいに嫌だったけど。
私は今目の前にいる雪人のためにうなずいた。

「ありがとう、美羽」
雪人は心の底から嬉しそうに笑った。
花の緋色よりも、
海のあおい焔よりも、
もっとずっと色鮮やかな笑顔だった。

「美羽、美羽、好きだ。
誰よりも、何よりも」
律儀な申し出なしで、雪人が私を抱きしめる。

「・・キスしても、いいか?」
かと思えば、新規開拓に関しては、きっちりお伺いを立ててくる。
憎たらしいくらい愛おしい律儀さだ。

「いいよ、雪人。
なんでも叶えてあげる。
恋人契約期間は、私は君のことが大好きだから」
にっこりと一番の笑顔でうなずいてから、私はそっと目を閉じた。

何よりも、誰よりも、
イケメンなヘタレチキンのことが、
世界一すきだから。

君がいなくなっても、
私はこの先一生忘れないから。

唇が近づいてくる間、雪人には内緒の告白を繰り返した。

何度も何度も。