3【静謐の家】
港の端っこで、雪人と肩を並べ、釣り糸を垂れる。
「釣れないわねぇ」
「釣れねぇなぁ」
ぴくりとも動かない浮きを眺めて、時々意味のない会話を交わす。
なんとも漫然とした時間だ。
今、私達がやっているのは、浮き釣りだ。
餌をつけて、糸を垂らすだけの単純な方法である。
雪人曰く、釣果は落ちるが、初心者でも簡単・安心な漁法だそうだ。
ルアーで大物を!と意気込んではいたものの、釣り初心者の私には、ルアー釣りは難しかったのだ。
まずは説明しよう。
(これも雪人からの受け売りで悪いが、ご勘弁願いたい)
ルアー釣りというのは、まず、擬似餌であるルアーを釣り竿でもって、華麗に遠くの水面まで投げ飛ばす。
その後、ルアーを生きているかのように操り、狙った魚を誘う。
この上なく難解な漁法だ。
私には無理だった。
ルアーを華麗に飛ばすという第一段階で、無様に躓いたのだ。
「なんでまっすぐ飛ばないの?!」
いくら頑張っても、ルアーはへろへろぽっちゃんと、すぐ手前の海面に墜落するばかりだった。
果ては、釣り竿ごと海にぶん投げそうになったり、停泊中の漁船にルアーを放り込んじゃったり。
もうさんざんだった。
「いくらお前が怪力でも、力任せに投げるんじゃない。
剣道じゃないんだぞ。
腕を振り回すな。
ルアーを投げる瞬間にさ、こう、くいっと手首を柔らかく返すんだ。
ごら、美羽!
聞いてんのか?
フグみたいにふてくされてないで、もう一回やってみろ」
毒舌満載ではあるが、雪人は辛抱強く教えてくれた。
だが、仏の顔も三度までだ。
雪人の側で昼寝していた不細工な三毛猫に、ルアーを引っかけそうになった時、とうとう雪人は匙を投げた。
「やめだやめだ!
美羽にはまだルアーは早い。
怪我猫が出る前に、今すぐ竿から手を離せ」
不細工猫をひっしと胸に抱き、雪人は私からルアーを取り上げたのだった。
以上の経過を持ちまして、私達は縁側に座ってお茶を啜る老夫婦のごとく、ぼんやりと浮きを眺めている次第であります。
「釣れないねぇ」
「釣れねぇなぁ」
もう何度目になるか分からない会話を交わす。
これじゃ本当に縁側の老夫婦だ。
ちなみに、不細工な三毛猫は雪人の膝の上で丸くなっている。
雪人曰く「こいつ、可愛いよな。人懐っこくって」だそうだ。
不細工猫も、時々雪人に頬を擦り寄せては、ぶるぶる喉を鳴らしている。
一人と一匹は、憎たらしいくらいラブラブだ。
私は一人蚊帳の外だ。
仲間入りしようと触ろうとしたら、尻尾で叩かれたのだ。
猫のくせに、人によって随分態度が違うものだ。
絶対こいつメスだなと、こっそり横目で確認してみたら、ビンゴだ。
つまりは、だ。
メス猫だって、イケメンが大好きらしい。
恐るべきはイケメンか。
それとも女の性か。
どちらにしろ、業が深いもんだ。
退屈紛れに、どうでもいい事を小難しく考えていると、軽快なエンジン音を響かせ、高速船が港に入ってきた。
「ぶにゃーん。ぶにゃにゃーん」
「ん?出迎えに行くのか?
ご苦労さん」
不細工猫は、鍵型に曲がった尻尾をふりふり、桟橋へと悠々と歩いていった。
どうやらお出迎えは、不細工猫の仕事のようだ。
猫の行方を目で追うと、高速船から島に降り立つ人達の薄い群が、自然と目に入った。
群を構成する人は、老若男女、様々だ。
島民以外の人も、ちらほらと混じっている。
「ん?」
違和感を感じて、首を傾げた。
島民以外とおぼしき人達は、なんだか陽炎みたいに存在感が薄い。
観光客なら楽しげなはずだ。
けれども、彼らは、男も女も老いも若きも、海の美しさに目を見張るでもなく、うつむき加減に足を動かすのみだ。
「なんなんだろうね、あの人達」
誰に言うともなく呟くと、
「・・見舞い客だろ、たぶん」
足早に去っていく彼らを見もせず、雪人がぽつりと答えた。
「見舞い客って、誰の?
島の誰かのお見舞いに来るとしても、微妙に人数多くない?
あ、そっか。
島の村長さんとか、偉い人のお見舞いか。
あれ?
でも、昨日村長さんにあったばかりだよね。
めっちゃぴんぴんしてたけど・・」
「島の人間じゃねぇよ。
ましてや村長なんかじゃねぇ。
あの人達が見舞いにきたのは、入院患者だ。
我那波島にはでかい病院があるんだ。
聖クララって言うでっかいのが。
ほら、ここからでも見えるだろ?
西の岬の端にある白い建物。
あの箱みたいなのが、そうだ」
雪人が指した指の先を辿ると、確かに岬の端っこに白い建物が建っていた。
あれが病院だとすれば、随分と大きな病院だ。
「こんな小さな島なのに、あんな立派な病院があるっておかしくない?
離島で病院経営って、いろいろと不便だし、都合悪いと思うけどな」
退屈しのぎに不審点を追求してみた。
「・・小さいから好都合なんじゃねぇの?
病院ったって、あれの主体はホスピスだから」
「ホスピス?
んん?それって何だっけ。
テレビか何かで、聞いたことあるような・・ないような・・」
「死期の近い患者のための医療施設だ。
末期ガンとかのな。
治療目的じゃなくって、身体的苦痛や死への恐怖を軽減するためにあるんだ。
有り体に言えば、あそこは『静かに死を待つ家』だな」
腕組みして考え込む私のために、雪人は淡々と説明してくれた。
「そう・・なんだ」
改めて、西の岬を眺めやる。
死を待つ家は、遠目から見ても、しんと穏やかに静まりかえって見えた。
その静謐さは得体が知れなくて、そら恐ろしい。
少し、ぞっとした。
心持ち雪人の方へ体を寄せると、雪人は大急ぎで続きを話し出した。
「グソー(あの世)を呼び込むようで、縁起悪いって、眉をひそめる島民もいるけどさ、概ね歓迎されてる。
病院には一般病棟や外来が併設されてるし、緊急搬送用のヘリポートもある。
病院のおかげで雇用も生まれたしな。
島民にとっても、悪いことばかりじゃねえよ」
「へぇ〜、そっか。
だから、高速船のおじさんは、グソーに近い島だって言って、気まずげにしていたんだ。
でも、大きな病院が島にあるのは良いことだよね。
よしオバアも時々膝が痛いって言ってるんだ。
だから、近くに病院があったら安心だね」
死を待つ家から、ひたひたと忍び寄る静謐を打ち消すために、私達は口早に言葉を紡いだ。
私達は、今、死とは遠いところにいる。
それ故に、死の持つ静謐は得体が知れなくて、恐ろしいのかも知れない。
いつかは対峙しなければならないことだ。
でも、私達がそれをするのは、ずっとずっと先だ。
静謐さをひもとくのは、先延ばしにしたって、バチは当たるまい。
遠い遠い未来の不安よりも、だ。
いい具合に時間も有り余ってるし、今目の前にある問題を解決するとしよう。
そう思って、私はさっさと静謐から目を逸らした。
港の端っこで、雪人と肩を並べ、釣り糸を垂れる。
「釣れないわねぇ」
「釣れねぇなぁ」
ぴくりとも動かない浮きを眺めて、時々意味のない会話を交わす。
なんとも漫然とした時間だ。
今、私達がやっているのは、浮き釣りだ。
餌をつけて、糸を垂らすだけの単純な方法である。
雪人曰く、釣果は落ちるが、初心者でも簡単・安心な漁法だそうだ。
ルアーで大物を!と意気込んではいたものの、釣り初心者の私には、ルアー釣りは難しかったのだ。
まずは説明しよう。
(これも雪人からの受け売りで悪いが、ご勘弁願いたい)
ルアー釣りというのは、まず、擬似餌であるルアーを釣り竿でもって、華麗に遠くの水面まで投げ飛ばす。
その後、ルアーを生きているかのように操り、狙った魚を誘う。
この上なく難解な漁法だ。
私には無理だった。
ルアーを華麗に飛ばすという第一段階で、無様に躓いたのだ。
「なんでまっすぐ飛ばないの?!」
いくら頑張っても、ルアーはへろへろぽっちゃんと、すぐ手前の海面に墜落するばかりだった。
果ては、釣り竿ごと海にぶん投げそうになったり、停泊中の漁船にルアーを放り込んじゃったり。
もうさんざんだった。
「いくらお前が怪力でも、力任せに投げるんじゃない。
剣道じゃないんだぞ。
腕を振り回すな。
ルアーを投げる瞬間にさ、こう、くいっと手首を柔らかく返すんだ。
ごら、美羽!
聞いてんのか?
フグみたいにふてくされてないで、もう一回やってみろ」
毒舌満載ではあるが、雪人は辛抱強く教えてくれた。
だが、仏の顔も三度までだ。
雪人の側で昼寝していた不細工な三毛猫に、ルアーを引っかけそうになった時、とうとう雪人は匙を投げた。
「やめだやめだ!
美羽にはまだルアーは早い。
怪我猫が出る前に、今すぐ竿から手を離せ」
不細工猫をひっしと胸に抱き、雪人は私からルアーを取り上げたのだった。
以上の経過を持ちまして、私達は縁側に座ってお茶を啜る老夫婦のごとく、ぼんやりと浮きを眺めている次第であります。
「釣れないねぇ」
「釣れねぇなぁ」
もう何度目になるか分からない会話を交わす。
これじゃ本当に縁側の老夫婦だ。
ちなみに、不細工な三毛猫は雪人の膝の上で丸くなっている。
雪人曰く「こいつ、可愛いよな。人懐っこくって」だそうだ。
不細工猫も、時々雪人に頬を擦り寄せては、ぶるぶる喉を鳴らしている。
一人と一匹は、憎たらしいくらいラブラブだ。
私は一人蚊帳の外だ。
仲間入りしようと触ろうとしたら、尻尾で叩かれたのだ。
猫のくせに、人によって随分態度が違うものだ。
絶対こいつメスだなと、こっそり横目で確認してみたら、ビンゴだ。
つまりは、だ。
メス猫だって、イケメンが大好きらしい。
恐るべきはイケメンか。
それとも女の性か。
どちらにしろ、業が深いもんだ。
退屈紛れに、どうでもいい事を小難しく考えていると、軽快なエンジン音を響かせ、高速船が港に入ってきた。
「ぶにゃーん。ぶにゃにゃーん」
「ん?出迎えに行くのか?
ご苦労さん」
不細工猫は、鍵型に曲がった尻尾をふりふり、桟橋へと悠々と歩いていった。
どうやらお出迎えは、不細工猫の仕事のようだ。
猫の行方を目で追うと、高速船から島に降り立つ人達の薄い群が、自然と目に入った。
群を構成する人は、老若男女、様々だ。
島民以外の人も、ちらほらと混じっている。
「ん?」
違和感を感じて、首を傾げた。
島民以外とおぼしき人達は、なんだか陽炎みたいに存在感が薄い。
観光客なら楽しげなはずだ。
けれども、彼らは、男も女も老いも若きも、海の美しさに目を見張るでもなく、うつむき加減に足を動かすのみだ。
「なんなんだろうね、あの人達」
誰に言うともなく呟くと、
「・・見舞い客だろ、たぶん」
足早に去っていく彼らを見もせず、雪人がぽつりと答えた。
「見舞い客って、誰の?
島の誰かのお見舞いに来るとしても、微妙に人数多くない?
あ、そっか。
島の村長さんとか、偉い人のお見舞いか。
あれ?
でも、昨日村長さんにあったばかりだよね。
めっちゃぴんぴんしてたけど・・」
「島の人間じゃねぇよ。
ましてや村長なんかじゃねぇ。
あの人達が見舞いにきたのは、入院患者だ。
我那波島にはでかい病院があるんだ。
聖クララって言うでっかいのが。
ほら、ここからでも見えるだろ?
西の岬の端にある白い建物。
あの箱みたいなのが、そうだ」
雪人が指した指の先を辿ると、確かに岬の端っこに白い建物が建っていた。
あれが病院だとすれば、随分と大きな病院だ。
「こんな小さな島なのに、あんな立派な病院があるっておかしくない?
離島で病院経営って、いろいろと不便だし、都合悪いと思うけどな」
退屈しのぎに不審点を追求してみた。
「・・小さいから好都合なんじゃねぇの?
病院ったって、あれの主体はホスピスだから」
「ホスピス?
んん?それって何だっけ。
テレビか何かで、聞いたことあるような・・ないような・・」
「死期の近い患者のための医療施設だ。
末期ガンとかのな。
治療目的じゃなくって、身体的苦痛や死への恐怖を軽減するためにあるんだ。
有り体に言えば、あそこは『静かに死を待つ家』だな」
腕組みして考え込む私のために、雪人は淡々と説明してくれた。
「そう・・なんだ」
改めて、西の岬を眺めやる。
死を待つ家は、遠目から見ても、しんと穏やかに静まりかえって見えた。
その静謐さは得体が知れなくて、そら恐ろしい。
少し、ぞっとした。
心持ち雪人の方へ体を寄せると、雪人は大急ぎで続きを話し出した。
「グソー(あの世)を呼び込むようで、縁起悪いって、眉をひそめる島民もいるけどさ、概ね歓迎されてる。
病院には一般病棟や外来が併設されてるし、緊急搬送用のヘリポートもある。
病院のおかげで雇用も生まれたしな。
島民にとっても、悪いことばかりじゃねえよ」
「へぇ〜、そっか。
だから、高速船のおじさんは、グソーに近い島だって言って、気まずげにしていたんだ。
でも、大きな病院が島にあるのは良いことだよね。
よしオバアも時々膝が痛いって言ってるんだ。
だから、近くに病院があったら安心だね」
死を待つ家から、ひたひたと忍び寄る静謐を打ち消すために、私達は口早に言葉を紡いだ。
私達は、今、死とは遠いところにいる。
それ故に、死の持つ静謐は得体が知れなくて、恐ろしいのかも知れない。
いつかは対峙しなければならないことだ。
でも、私達がそれをするのは、ずっとずっと先だ。
静謐さをひもとくのは、先延ばしにしたって、バチは当たるまい。
遠い遠い未来の不安よりも、だ。
いい具合に時間も有り余ってるし、今目の前にある問題を解決するとしよう。
そう思って、私はさっさと静謐から目を逸らした。
