バックルームがおかしな空気に包まれる。
駄目だ。これはいけない。
「あの、じゃあ私帰るね。お疲れ様……」
「ま、待ってください!」
「っ!?」
逃げるように帰ろうとした足が止まる。何故なら、手首を掴まれたから。
全然痛くないけれど、私の手首をしっかりと掴んでいる腕を見る。そのまま視線を上へと移動させると、まだ少し顔を赤くしたままの神月くんが、緊張したような表情で私を見下ろしていた。
「……よかったら、一緒に帰りませんか……」
これは、本当にどっちだ。
女性に慣れているのか慣れていないのか、どっちなのだろう。
神月くんの手のひらが熱い。その温度が、私の手首へと伝わってくる。
やめてほしい。つられて私まで顔が赤くなりそうだ。
「もう11時過ぎてるので、送ります」
「え、いいよそんな!いつもこの時間に1人で帰ってるんだから」
「あの、正直に言ってください。迷惑ならやめます」
「……それはずるいよ……」
正直に言えば、別に迷惑ではない。だけど、本当に1人で平気だ。この場合はどうするべきだろうか。
嘘でも迷惑だと言って断ればいいのか、それとも。
「俺は正直に、言いますね。佐野さんと、もう少し話したいんです。仕事中は出来ないから。だから家まで送るっていうのを口実に、もう少し一緒にいたくて……」
「え、っと……?もしかして、何か仕事の相談でもある、とか?」
「……はっ!?」
「……えっ!?」
神月くんは、少しの間固まった。
ずっと手首を掴まれたままで動けない私も、同じく固まっている。
神月くんが何を言いたいのか、どういうつもりなのか、何を考えているのか、何もかもが意味不明だった。
「はあ〜〜〜!」
すると神月くんが急に力が抜けたような声を出して、その場にしゃがみ込んだ。
そのまま空いているほうの手で頭をガシガシ掻きむしって、それから私の顔を見て、ははっと笑った。
「!」
いつも見上げている神月くんが、今は私を見上げている。
上目遣いで楽しそうに笑うその姿に、何故か目を奪われた。


